⑦ 霊的治療能力の本源
つづき
○ 霊的治療は昆虫の世界にまで及ぶ
神癒は牛馬のような家畜の病気を癒すことができると同時に、農薬を用いずに害虫を駆除することも出来るのである。それは本来實相の世界には害虫は存在しないからである。大東亜戦争中であったが、神奈川の高下佐一郎氏は軍用に必要な天然繊維であるラミー麻を自分の畑に栽培していたのであった。ある日の朝高下氏は畑に出てみると、何萬という毛虫がラミーにたかって、その葉をたべているのである。
高下氏は生長の家の信徒であったから、その畑の上に坐って合掌瞑目して、生長の家で教えられている神想観をして、「實相世界には互いに相冒し、相食み、互いに傷害するものの存在しない」という實の姿を瞑想し、その毛虫の霊に呼びかけて「汝には人間の作物を害しないで生活できる適当な場所が神から与えられているのであるから、そこへ去れ」と念じた。
高下氏が翌朝畑に出てみると、前日、あのように群がっていた毛虫が、殆どいなくなってあちらに数匹、こちらに数匹、僅(わずか)に残っているのであった。そこで高下氏はもー度、神想観して前日と同じように、實相世界の生物は互いに調和していて犯し合うものがない事を念じた。そしてその翌朝、畑に往ってみると完全に毛虫は退散してしまって、一匹もその畑にはいなくなっていた。
このように神想観によって、「實相」の完全調和を念ずるならば、人間の病気が消えてしまうだけではなく、農作物の病気又は被害をも消滅させることができるのである。その応用範囲は無限であるから、生長の家を唯の“治病宗教”だなどと思って観察するならば、それは大変な誤認だといわなければならないのである。それ故に、生長の家の霊的治療には限界がないと云い得るのである。それは霊的治療というよりは實相顕現瞑想法ともいうべきものであるからである。
無論、すべての人間の肉體の病気が治り、その結果、人間が永遠に死なないということはあり得ないのである。人間の地上降誕は、肉體に宿って来る霊魂が、ある期間、地上でなければ行為することの出来ない特殊の仕事を為すことによって、その霊魂が経験を経て、それによって霊魂が特殊の割り当てられた進化をとげるためであって、その地上出現の使命を果たすための期間を満了するならば、霊魂は肉體を脱して霊界に移行することになっているからである。
つづく
谷口雅春著「人間無病の原理」
☆ 神の愛の霊波を受けるには
神が吾々に働きたまうのは自己「内在の神」の波長を通してである。まラジオの放送が吾吾に働くのはラジオセット内在の波長が放送の波長に合(がっ)するが如くである。だから人を愛したまう神の念波は、人間が「愛」の念波を起こしたときのみに受け得るのである。人を憎み、人に害を与えようと云う念波を起こしながら、神の恵みの霊波を受けることが出来ると考えるのは、波長の異なるところへバリコンを廻して置いて、放送の波を受信しょうと思うようなものである。汝ら互いに相愛せよ。