① 霊的治療能力の本源
○病気の本體の解明
在米本部講師ポール菊本氏から、こんな手紙が来たのである。エスモンド・ガーデナー(MrEsmondGardner)という人が、「七人の霊的治療の聖者ここに語る」という題名の本を計画中であって、そのー人に谷口雅春を選んだので、その本に掲載するために次の諸項目について書いて頂きたいとガーデナー氏から菊本氏に依頼して来たというのである。
菊本氏のいうところによると、菊本氏が昨年ニユーヨークで講演したときにこのガーデナー氏が来聴せられて、その時、会談した印象では、この人は非常に真剣に“真理”を求めている人で、生長の家の講演をきいて非常に感動した結果、谷口をその七人の中に入れたいと希望して来たのだそうである。
ガーデナー氏は次の問題について書いてほしいと希望しているのである。その設問を先ず次に列記する。
①療能力を活用するには、何故人間という通路(チャンネル)が必要か。
②人體磁気的治療、霊的冶療及び信仰による癒しの違いはどこにあるか。
③これ等の心霊治療能力は、それぞれ別個のものであって併用することはできないものか、それとも、これ等のどの療法でも施療者の意のままに用いることが可能であるか。
④誰でも施療者になれるものか。それとも療能力は先天的なものか。また、それは献身的修行によって體得できるものか。
⑤霊的治癒能力を顕す通路(チャンネル)となるためには、どんな素質がなければならないか。
⑥またどのような修行を勧めるか。
⑦患者を診断する必要があるか。あるとすれば、どのような方法で診断するのか。
⑧異常な熱が施療者の掌から放射されるか。
⑨施療者は肉眼に見えない療能力線の如きものを放射するか。
⑩施療の後、施療者は疲れるか、それとも活力を得るか。
⑪回施療者は、意識的に自己の霊的波動を高めて霊的(サイキック)エネルギーを生みだすのであるか。
⑫施療者は、“癒しの導き手”の如きものと結ばれるのか―宇宙の宝庫(プール)のようなものと。そしてそれは祈りによってー體化するというようなふうに。
施療とはどんなものか―
次のそれぞれの質問にお答え下さい。
⑬病気によって施療方法が違ってくるか―例えば精神病、不具、ヴイールス病、関節炎、癌など。
⑭施療に限界はあるか。
⑮何故、施療を受けるすべての人が癒されるというわけにゆかないのか。
⑯施療はその患者に対してー度だけなされるものか、それとも繰返してなされねばならぬものか。
⑰施療者が施療を止めても、癒しはそのままつづくものか。
⑱施療に失敗して癒されぬ場合、その理由を明確にすることができるか。
19 施療者は、まず患者の病いを観じ、それからその病いが癒された様を観ずるのか。それとも、最初から完全健康なる様を観ずるのか。
⑳患部ヘの按手は必要か。必要ならばどんな役割をするのか。
21、患者が自分の病状を告げられたときの心の動揺をどう考えるか。
22、施療者に知らせずに、患者が施療者の近くにいるだけで効果はあるか。
23、施療者と遠く離れていて、自分の施療が行われていることを知らない患者でも、癒すことができるか。
24、無意識の人、幼児、動物を施療によって癒すことができるか。
25、施療を真面目に受けとらないで嘲笑する類の人を癒すことができるか。
26、施療に際して、最も協力的かっ理想的な患者の態度とはどんなものか。
27、何か追加補足したいと考えられる事柄がありましたら、どうぞお述ベ下さい。
これらの質問に対して、菊本氏はこれは本の性質上、治病問題のみに関する質間であるから、ガーデナー氏のこの著書にその回答がのせられると、生長の家は単に治病宗教に過ぎないという印象をー般に与えるおそれがあるが、その点は注意を要するところであるが、この書物がアメリカを中心に英語民族の各方面にひろまるならば、それだけ生長の家の真理を普及させるために効果があると思うので、適当に此の辺のところを回答してあげて下さいというのである。
だいたいガーデナー氏から私に与えられたる上記の設問は、霊的治療の能カ者が治療のために用いる方法及び治療能力開発の方法に関するものばかりで、病気そのものの本體について、及び病気の霊的原因及び精神的原因についての解明を求めていられないのである。この点に於いては設問者は治病に関する素人である。ことを露呈しているのである。
昭和四十七年の三月、私が北米を巡錫(じゅんしゃく)することになったとき、霊的治療の研究家として有名なハロルド・シヤーマン氏(Esp研究協会財団の総裁)が、世界の有名な霊的治療家を集めてその研究発表の講座を、周囲が山に囲まれた風光明媚(ふうこうめいび)のホテルの講堂で開くので、一席の講話をして貰いたい。
旅費及びホテルの費用はすべてシヤーマン氏が受持ち、その上若干の謝禮を差上げるという招待を受けたのであるが、その後、何を話すべきか講話の内容につき、手紙で交渉した結果は、大體、生長の家が用いる霊的治療家としての方法(メソッド)について話して貰いたいというのであった。
それは話してもよいと思って折衝(せっしょう)を進めているうちに、「そのセミナーに出席する人のうちにはカトリツクの司教もいるので、宗教的信仰への批判はしないで頂きたい」というシヤマン氏からの注文であったので、
「治療のメソツドだけ話すのだったら、治病の根本に触れることができない。病気の根本原因は“神の子”たる完全なる實相を迷いによって包み隱すことより生ずるのであるから、そしてその“實相”を包み隱すところの“罪”を消す問題に触れないで、霊的治療の根本を語ることはできない。
カトリツク教では、人間を“神の子”と説くよりも“罪の子”として説く方に力点がおかれていて、そして信者の病気や不幸災難が“罪の意識”からくる自己処罰から来るのだから、“罪の意識”を破壊する論理を講話の中で展開せざるを得なくなるので、それはカトリツクの“罪の子”の教理に触れずに話す訳には行かないので、それを話さない位なら、シヤーマン氏主催の心霊治療研究セミナーに出講することは無意義であるから出席しないことにする」
と回答したのであった。シヤーマン氏は既に私の肖像写真入りの宣伝リーフレツトを印刷してあるのを私に送って来られたが、ついに私は出席勧誘に応じなかった経緯(いきさつ)があるのである。
つづく
谷口雅春著「人間無病の原理」
☆ これは昨日ブログに載せようと頑張りましたが仕事が朝早く夜は遅く一週間の疲れがどっと出て流石の神の子人間でもダウンしてしまいました。こんな事は今まで先ずありません!毎日載せています!が10年近くやっていて数回あったかなです。これからも頑張ります。笑!