⑬〝記憶〟と〝業〟の問題について

 

 

 

○ 心を常に光の方に振り向けよ


 

前述のように人類意識は、より多く苦痛の方を記憶していますから、人類意識そのままに任しておいたら、人間は悲観的に、暗黒な事だけを考える傾向が余計あります。だから私たちは常に心を翻(ひるがえ)して光の方へ光の方へと振り向くようにし、常に明るい希望をもって生活する様にしなければならないのであります。

 

 

 

まだ此の世界には、人類が未発達だった時代には、穴居生活なんかしておって猛獣などに襲われたにちがいありませんし、自然力とも闢わねばならなかったから、人類意識の「記憶」の中には苦しみが沢山あったに違いないのであります。それが皆「記憶」として意識の中に残っていて、「業」として蓄えられているのであります。

 

 

だから我々の潜在意識の奥底には、「人生は苦しみの世界だ」と云う様な観念が人類全體にわたって、あるのです。その潜在観念が時々浮んで来て、我々を悲観的な方向に引摺(ひきず)って行くという事になりがちであります。だから私たちは常に明るい方へ息を意識的努力によって振り向けるようにしなければなりません。

 

 

 

その振り向ける方法にはいろいろあますが、根本的には「人間・神の子、一切の不幸は存在しない」と云う自覚を与える神想観を行うことでありますが、その補助的方法としては、自己暗示を行うという様な方法もあります。エミール・クーエの様に、朝眼が覚めた直後まだ現在意識がはっきりと眼を覚まさない時に、暗示の言葉を唱えるのです。

 

 

 

眼がさめた直後は潜在意識が表面に最もよく動き出しているという時だとせられていますから、その時に潜在意識に印象を与えるのはー番良いのです。だからクーエは、朝起きると、まだ眠たいままの心で、寝床にいるままで、「私はこれから毎日、凡ゆる点にー層良くなる」という語を二十ぺん唱えよ、という事を教えたのであります。

 

 

何故、頭がまだハツキリしていない眼覚めた直後がよいかと云うと、現在意識があんまりはっきりと活動している時には、現在意識というものはー種の批判精神である、批判精神というのは、「何故?」といってすぐ批判する。そうして理屈に合わぬものは潜在意識に入れてやらぬという“意識の検問所”の様な働をするからであります。

 

 

 

だから「私はこれから毎日凡ゆる点にー層良くなる」と言葉で暗示的に唱えても、「何故、これから凡ゆる点にー層良くなるのか?そんな筈はないではないか」と批判して、自分の唱える言葉を拒絶してしまって意識の中へ入れてくれないということになるのです。

 

 

そこで現在意識がまだ朦朧(もうろう)としておって、この意識の検問所の検問官がぽかんかとしている時に、良き言葉の印象を潜在意識にポンと抛(ほう)り込めば、潜在意識の創化力で、その言葉の内容を實現してくれると云うことになるので、

 

 

 

朝起きてまだ眠いなあと思っている時分に「私はこれから毎日、凡ゆる点に一層良くなる」と云う様な明るい言葉を二十回位唱えて、その言葉を意識の検問所を通過させてその言葉の内容を本人の潜在意識の中に、人類意識の中に、宇宙意識の中にそれを植えつけるのであります。

 

 

 

すると、人類意識、宇宙意識を含む普遍的意識は天體をも拵えたところの創造者なのでありますから、その言葉で唱えた内容の凡ゆるものを、自然界の動きや人間相互関係の動きに従って、速やかに又は徐徐に實現してくれることになるのであります。
(「精神科学」昭和35年7月)

 

 

 

 

谷口雅春著著「人間無病の原理」   ⑬〝記憶〟と〝業〟の問題について(完)

 

 

 

 

☆ 目覚めの時ですね!忘れていました!笑「明日から再びやるぞ!」笑!私は毎朝出勤する時「ありがとうございます」を50回唱えています。「私は神の子無限力これから毎日あらゆるてんで一層よくなる嬉しい、楽しい、ありがたい」昔は「ワッハッハ!ワッハッハ!ワッハッハ」と大声で車の中で大笑いしたものです。嬉しくも楽しくもありません!今日どうするか、明日はどうするか、現実はそうでした。しかし残された道はただ一つ、谷口雅春先生の教えに命をかけて車を運転しながら大笑いし続けました。そしたら体から光が出て実相に超入しまして、その後今までより一層酷くなりましたが、業が消えていってると信じて大笑いし続けていましたら、繁栄の道に乗りました。その時世の中はバブルになりました!奇蹟は奇蹟でなくただ当たり前の事が当たり前になったという事です。でも奇蹟でした!バンザイ!笑!今思うとあの苦しみのお陰で今の私しがあるということです。