⑨ 生命体としての日本国家

 

 

 

○ 国が栄えるためには国民の努力を集中する目標が必要

 

 

 

一.国が栄えるためには、その国の国民が、共通の目的のために、国民の努力を集中できるような国家理想をもたなければならないのである。昔の日本国は「天皇」が国家理想の表現体であつた。天皇の大御心(おおみこころ)の中に「神意」を日本民族は見たのであつた。

 

 

 

天皇は神聖であり、武家政治の時代に於いてすらも、その政権は天皇から授かる神聖なるものと感じとっていたので、征夷大将軍になるのも、関白太政大臣(かんぱくだじょうだいじん)になるのも天皇によって任ぜられたのである。その頃は、内部に政権争いや戦争があっても、究極のところでは国民が一つの国家理想によって統一せられていたのである。
  
 

 

しかし現在の日本国民は、国民ぜんたいが心を一つにして努力を集中するような国家理想を見失ったのである。占領軍の強圧によって書かしめられた天皇の“人間宣言の詔勅“と占領憲法とによって、天皇は”神“でなくなり天皇を国家理想の表現体と見る人は暁天(ぎょうてん)の星のように少くなったのである。

 

 

 

そして日本国の国家目的が民主主義杜会の建設であったり、共産主義杜会の建設であったりして、支離滅裂の各人てんでんバラバラな目的をもって国民の精神が分裂してしまっているのである。

 

 

 

国民全体共通の国家理想実現のために協同して努力できない日本国の現状ほど、われわれ愛国者にとって悲しむべきことはないのである。私は「日本国民よ、もう一度、神武天皇建国の日本精神に立ち帰れ」と叫びたいのである。 
  
 

 

日本の天皇政治を民主政治と対立し互いに相反するものだと考えるのは間違いであるのである。天皇政治の中に於てのみ、本当の「派閥のない民主政治」が育ち得て、私利私欲の追求で互いに憎しみ合うような民主主義が姿を消す可能性があるのである。

 

 

 

天皇のみが私利のない私欲のない、世界万民の幸福を希(こいねが)い給う偏りのない「神聖権威」であるからである。この偏りのない「神聖権威」を上に奉戴して民主主義の政治が行われるときに、私利私欲による派閥闘争の汚れたる精神が浄められることになり、本当にルール。を守った民主政治が行われることになるのである。

 

 

 

神聖権威を上に奉戴しないで、利己主義精神の顕現である個人が、利益追求の組合組織を国家と考えて、そこで、利益の相似た者同志が徒党を結んで政党を結成して、国会及び院外に於いて闘争するようなのは、「下の下」の民主主義政治なのである。現今の日本の民主政治は、この「下の下」の民主政治に過ぎないのである。

 

 

 

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つづく

 

 

 

谷口雅春著「私の日本憲法論」       ⑨ 生命体としての日本国家

 

 

 

 

☆  新元号の事前公布は、国家破壊活動である・・・・竹田恒泰


―新元号については、新天皇の即位を前に四月一日に公布することになりましたが・・・・。
竹田「元号は、政令で定める」と元号法に定められていますので、皇位継承後、新天皇陛下が公布なさるのが基本です。わが国の歴史的・伝統的にも、新天皇が新元号をお立てになります。

 

ところが今回は、新元号を今上陛下のうちに公布するため、“新天皇がお立てになった元号”というものが揺らぐことになります。では、なぜ早めに公布するかと言えば、「国民生活ヘの負担を考慮して」というのです。
 

私は各地に講演に出かけた際、千人、二千人の聴聚に対して、「元号の発表が数月早まるこ
とで、負担炉軽減されると実感する人はいますかと尋ねてきました。しかしー人も手が挙が
りません。元日か新天皇の即位当日に発表されることで負担に感じる人など、いないのです。
 

メデイアは、当たり前のように「国民生活ヘの負担を軽減するために」と言います。たしかに、昭和から平成にはいきなり変わりましたから、多少の混乱はありました。しかし、それが“負担”かどうかと言えば、そうではないでしよう。

昭和から平成に変わった時を思い返すと、例えば「昭和」と書かれた所に二重線を引いて、「平成」というハンコが押されたりしましたね。そういうことを誰も嫌がっていなかったでしょう。“負担”と思うよりむしろ、元号が変わったことを皆が噛みしめている感じでした。

では、なぜ伝統・歴史をねじ曲げてまで、新元号の公布を前倒しにするかと言えば、それは「一世一元号」を揺さぶり、新天皇がお立てになった元号という根底を“無きもの”にしたいという、国家破壊活動のー環だろうと思います。

「国民生活への負担」を政府が考慮して、大嘗祭(だいじょうさい)の建物のー部をプレハブにするといいます。一つの建物をプレハブにすることで、国民生活がどれほど軽減されるのでしょうか。一、二億円削減されたとしてー人当たりー、二円です。それで、「私の負担が減ってすごくありがたい」と言う国民がいるでしょうか。だから、「国民生活ヘの負担」というのは、国家破壊活動をしている人たちが作りだした“幻想”でしかないのです。

もし、「国民生活ヘの負担」を重要な価値観とするならば、究極的には「皇室をなくせ」ということになります。だから、このことは国家破壊活動をしている人たちの宣伝工作であり、そのようなものに惑わされてはいけません。新元号の公布は、新天皇の即位の後に行われるべきでした。