⑧ 生命体としての日本国家

 

 

 

○ 大東亜戦争と天皇の御意志 
  
 

 

いままで天皇政治については、民主主義者や共産主義者側からいろいろ批判されて来たけれども、日本の天皇は、どんな徒党にも、どんな政党にも、どんな派閥にも、どんな階級にも属していられないで、国民ぜんたいの幸福を念願していろいろの政策に対して御裁可を与えられるのであるから、天皇政治ほど派閥に偏らず、公平無私な政治が行われる政治はないのである。

 

 

 

大東亜戦争の発端に於いても多数決で「アメリカを叩くほかに支那事変を早期解決にもって行くことができないので、アメリカに宣戦する」と議決せられたときにも、昭和天皇のみがその戦争に反対して、わざわざ明治天皇の御歌を筆写したものをポケットに携行しておられて、それをひらいて、
  
 

四方(よも)の海みな同胞(はらから)とおもふ世になど波風のたち騒ぐらん 
  
 

と朗々と読み上げられて、戦争反対の意志を表明されたけれども、すでにその頃、民主主義の多数決制度が日本に行われていて、天皇政治ではなく、天皇機関説が実際に行われ、天皇は多数決せられた条件に、ただ御璽(ぎょじ)を押す一つの制度上の機関になつていたのである。

 

 

 

大東亜戦争を「軍閥が天皇を利用して」始めたというふうに解釈する左翼の人もあるけれども、本当は軍閥が民主主義の多数決制度を利用して軍の圧力で、軍の考えを多数決させるように強圧して始められたものなのである。

 

 

 

そして戦争を開始してからは、戦時非常事態というわけで、今度こそ本当に天皇を利用して、国民の総力を出させるために議会の審議も翼賛(よくさん)政治で、「皇運を扶翼(ふよく)し」の一本に持っていつたのであつた。

 

 

 

戦争が始った以上、戦いに勝つためには国民の精神を最高尊貴(そんき)の目標に集中せしめて全精カを結集する必要があるので、最も尊貴なものを目標に掲げたのであつて、このことは「天皇があるので戦争が始った」ということとは異るのである。
  
 

 

大東亜戦争開始の当時は天皇は機関であって自由意志が行われなかった。天皇は「四方の海同胞」の普遍愛の精神に立っていられて、明治天皇の御歌をお読みになつたが、天皇の平和意志は無視せられたのである。

 

 

 

天皇はどんな派閥にも、党派にも、階級にも属されない。だから昭和二十年八月九日、皇居の地下壕で「ポツダム宣言」受諾か否かの御前会議が行われた時にも、「無駄な戦争をつづけることは日本国民のためのみならず、世界人類にとつても不幸なことである。

 

 

 

・・・自分の体はどうなってもよいから戦争をやめる」と仰せられるのは「無私」であり「無我」であり、どんな利己心をも超えていられるのであり、「国民のためのみならず世界入類の不幸である」と仰せられたのは、その御慈愛が単に日本国民のみならず普遍的に全人類に及んだ愛で、偏った執着の愛でないことを示しているのである。

 

 

 

このように公平無私不偏不党、普遍的な精神で行われる政治が天皇政治であるのである。民主主義の政党政治で、党利党略、自党の利益のためにはどんな権謀術数でも憚(はばか)らずに用いる政治の如きは、天皇政治の足もとにも及ばないものであるのだ。

 

 

 

 

つづく

 

 

 

 

谷口雅春著「私の日本憲法論」          ⑧ 生命体としての日本国家

 

 

 

 

 

 

☆ 「元号」は日本が独立国家である証(あかし)・・・竹田恒泰

 

 

―伝統の破壊は、小さなことであっても国家を揺るがすことにつながるのですね。


竹田

つまり、皇室制度というのはー歩も引いてはいけないのです。政治は、およそ対案があって良いところで妥協するのが“常套”です。しかし、妥協してはいけないのが皇室制度なのです。

皇室のことを考えるとき、“合理主義”は絶対に排除しなければなりません。「こうしたら予算が安く済む」「こうしたら手間がかからない」などと合理主義を取り入れたら、文化・伝統は根こそぎ破壊されてしまいます。

合理主義で言うなら、「元号をなくせ」ともなるのです。しかし、元号をなくしたらとても不便ですよ。元号は、日本人共通の歴史記号であり、歴史の軸なのです。 

日本人が元号を使い始めて千四百年ほどになりますが、例えば「安政の大獄」「寛政の改革」と言えば、江戸の幕末だと分かります。元号がなければ、「応仁の乱」は「西暦一四六七~七七年の
乱」となってしまうでしょう。「明治維新」や「大正ロマン」といった言葉も生まれていません。「平成はどんな時代だった?」という括(くく)りもできません。平成は「一九九○~二〇一〇年代」と言うしかなく、何と浅はかで、つまらないものになることでしょう。一見、元号は非合理のようですが、実に合理的なのです。

よく、「元号は中国の文化でしよう」と言う人がいますが、まったく異なっています。確かにきっかけは、漢の武帝が立てたものを、後に日本がつくりました。元々、日本は中国大陸に朝貢(ちょうこう)したことがあり、「倭(わ)の五王」と呼ばれた時代もありました。しかし、第二十一代雄略天皇が「朝貢はもうやめよう」とお決めになったのです。確かに、朝貢すれば良いことは多い。お土産をーつ持って行けば、十も二十も高価な物を貰えまます。

先端の技術、金属器、暦、法律まで貰える。国防でさえ、自分たちが国を守らずとも守ってくれる。

ところが雄略天皇は、「そんなことでは国がだめになってしまう。日本は独自に国をつくる」と、朝貢をやめてしまわれたのです。中国に阿(おもね)り、“子分”であることに浸っていた国は、ことごとく滅びました。日本だけが、現代においても存立していることを考えるとき、雄略天皇のお考えはとても素晴らしいものだったと解ります。

その雄略天皇のご意志を受け継いだのが、聖徳太子です。中国大陸の文化がいよいよ高まり、日本は追いつこうとするけれども追いつけない。かと言って、朝貢して冊封(さくほう)を受けるわけにはいかない。そこで、「朝貢すれども冊封を受けず」と宣言されたのです。

 

貢ぎ物は持って行くけれど、お土産は要らない。「倭国王」の称号も要らない。では何が欲しいかといえば、「留学させてほしい、学ばせてほしい」というのです。それを行ったのが、聖徳太子でした。隋(ずい)が滅び、唐になっても、遣隋使から遣唐使ヘと踏襲(とうしゅう)して日本人は学びました。それにより奈良の都を完成させ、律令国家を誕生させる力を生み出しました。

こうして、日本は独立国としての道を歩みだしたのです。七世紀に「大化」という最初の元号を立て、その後に「大宝」という元号に改められてからは、一度の空白もなく元号は今につながっています。アジアには、中国だけでなく、日本という文明国があることを世界に示すことになりました。日本において元号を立てることは、独立国の証なのです。朝鮮半島でも元号をつくったことはありますが、すぐに中国がやめさせました。元号は、中国から完全に独立した国を示すものであり、その象徴なのです。

結局、世界中で「元号」を使っている国は、日本だけになりました。そう考えると、「元号」はもう既に日本のものです。

鉄道は元々、百五十年前にイギリスから習いました。しかし、鉄道技術は今や日本の方がはるかに上で、イギリスに新幹線を輪出しているほどです。新幹線はイギリスのものかと言えば、やはり日本のものでしょう。同様に、「元号」はすでに日本文化なのです。

日本独立の証でもある「元号」を使うことに、私たちはもっと喜びをもってほしいと思います。

 

 

 

★ 竹田恒泰

日本オリンピック委員会(JOC)前会長の竹田恆和[7][8]の子。明治天皇の女系の玄孫にあたる。男系では南北朝時代北朝第3代崇光天皇の19世の子孫(皇胤)にあたる[9]

慶應義塾高等学校英語会に所属)を経て、慶應義塾大学法学部法律学科環境学[10]を専攻して卒業する。