② 日本は何故敗戦して後退したか
○ 有色民族独立の基礎工事なる
つづき
まことにこんな小さな國でありながら、アジアの諸民族の中で侵略を受けなかった民族は、日本しかないのであります。それが、アメリカを叩くより仕方がない国際情勢立ち到って、いよいよ大東亜戦争がはじまったのであります。
そして日本軍は南方にむかって一年間は連戦連勝で殺到して行ったのでした。そして今までアジアの南方諸国を侵略し、其處を植民地とし、属国としていた白色人種の軍隊を駆逐したのであります。
それでアジアの南方における有色民族は、今までは有色民族は白色民族に絶対にかなわんと思っていたのであるけれども、「日本は有色民族でもやりよるぞ」と思ったのであります。そして「われわれ有色民族も白色民族よりも下等につくられているのではないのだ。
みんな人類は平等だから白色人種に屈服している必要はない。我々有色民族も起ち上がろう」という民族精神が、それによって喚起されることになったのであります。
それですから、大東亜戦争の目的というものが、「大東亜民族の解放戦である」という旗印が戦争中にかかげられることになったのも、「天に口なし人をして言わしむ」であったのであります。実際第二次世界大戦に日本が参戦して大東亜戦争を分担したことは、実際にそれによって、大東亜の民族の解放という役目を果たしたわけであります。
すなわち霊界の本に、ヴェッテリニという高級霊がレイヌという霊媒を通して霊視せしめているところの預言「アジア民族及びアフリカ民族が独立する」ということが現象界に起こってくるためには、どうしても何處かの有色民族が白色民族を一度たたきつけて、有色民族の奮起する精神を喚起する契機をつくらなければならない。
つまり有色民族の劣等感を取り除いて民族独立の精神を培養しなければ、アジア民族の独立、アフリカ民族の独立というものは起こるはずがない。だから「有色民族も同じく、神の子、であっていつまでも白色人種には負けてはおらんぞ」という自主独立の精神を有色民族が得るために有色民族はどうしても一度はアジアの南方に殺到して白色民族を駆逐する必要があり、日本民族はあの際そういう役割を使命づけられておったのであります。
○ 日本は何故敗戦して後退したか
だけども、あの大東亜戦争に於いて、緒戦と同様その後もあの儘(まま)、勝って勝って勝ち通しておったらどうなるかといいますと、インドからイギリスを追い出し、インドシナからフランスを追い出し、フィリピンからアメリカを追い出しインドネシアからオランダを追い出してそのまま勝ち通しておったら勝った軍隊が引き返して来る譯にも行かない。
勝ち通していたら、やっぱり傲りたかふった気持ちになり、其処に総督なり、日本の司政官をおいて永久支配したくなる。勝っているのに、負けたかの如くに本国に帰還して南方の土着の民族に「お前たち勝手に自治せよ」という譯にもゆかないのであります。
そしたら今までアジアを侵略していた白色人種の侵略者の後継者になってしまいます。ところが日本民族はそのような侵略者の後継者になるような民族ではない。本来侵略民族ではなく、救世主的使命をもつ民族だから、ともかく、一辺、白色人種を追い出して南方民族精神勃興の種子を播いてしまったら、あとは、もう既に日本民族の役目終われりという譯で「敗戦」という形をとって還ってくるということになったのであります。
そして日本民族はアジア、アフリカの民族独立のために、十字架を背負ってキリストのように、他の民族を救って自分が敗戦したのであります。
キリストが磔刑(はりつけ)になった時にユダヤ人の誰彼が、十字架上のキリストを指さして「あれを見よ、あれを見よ。人を救い得て己を救い得ざるものよ」と言った。キリストはいろいろと奇跡を現して、人の病気を治したしたりしたのに、自分自身は救われないで磔刑になったではないかと嘲笑ったのでありますが、
それと同じように、日本民族は他の民族に独立の機縁を与えながら、自分は敗戦という惨めなる状態において、暫くキリストのように磔刑にかかておったのであるけれども、
キリストが三日後に復活して天に昇って「神の右に座した」と傳(つた)えられているように、日本も今や復活して、アジアの盟主となり、やがては全世界の平和の指導者になるという時期が近づきつつあるのであります。
谷口雅春著「古事記と現代の預言」より
☆ 大東亜戦争は既に預言されていた事であると云う事とそして日本民族はアジア、アフリカの民族独立のために、十字架を背負ってキリストのように、他の民族を救って自分が敗戦したのであります。
これは「古事記」を谷口雅春先生がお読みになり、「古事記と現代の預言」と云う本に書かれています。古事記は霊感で書かれたもので、霊感で読まないとわからないようです。