◎ 人生は神生なり

                    藤原敏之先生

                    すべてを癒やす道より

 

 

人生は神意に始まり神意に終る

 

 

 

人間がこの世に生を享(う)けるということは、じつに尊いことであり、神意(みこころ)以外の何ものでもなく、神意に始まって神意によってのみ、あり、神意によって終るものであることに気づき、自分勝手なことや、自分の都合ばかり考えているようなことではまことに申し訳ないことであります。

 

 

 

それではまるで、子供が親のいいつけで大切なお使いに出て、途中でおもしろいものに出会って用事を忘れて遊んでいて、肝腎のご用を果たさずに帰るようなものであります。

 

 

 

人生が神意に始まり、神意によってのみ存在し、神意によって終るということが明らかになれば、救われるも救われないもないのであります。

 

 

 

神以外のものもあるという間違った観念が人間に不安を感じさせ、救われておりながら救われていないような錯覚に陷らせるのであります。

 

 

 

赤ん坊がお母様に抱かれて寝ておりながら、抱かれていることを忘れて泣いているようなものです。

 

 

 

このような間違いをなおすために、昔からいろいろと歌で教えられているのに「雲晴れて初めて照ると思うなよ元より空に有明の月」というのがあります。たれこめていた雲が晴れたら西の空に有明の月が照っているのが見えてきたので、今月が出たと思うのは間違いであるという意味の歌です。

 

 

 

雲が晴れる以前から月は出ていたのであるというのであります。また「夢さめてはじめて抱くと思うなよ宵より護る母の手枕」という歌もあります。

 

 

 

いずれにしても私達は神の護り、神の働きなくして一瞬たりとも生存することは出来ない事実に目指す、この事実を確認することを信仰というのです。

 

 

 

足ることを知らない者には際限なく不足が続くのであります。こんな人間は一生救いを知らずに終る人です。

 

 

 

喜びも感謝もない、暗い不幸な人生を送っていく気の毒な人間であります。

 

 

 

宝の山に入りながら、宝を見つけることも出来ず、素手空手で山から出てくるようなものです。

 

 

 

このような人はまことに気の毒であり残念というほかありません。

 

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

☆ 藤原先生は本当に真理そのままズバリですね!谷口雅春先生は自分が書いたものですから、少しぼかして話したり書いたりしておられますが、藤原先生は直球ですからね!たまにはこういう直球も良いですね!スッキリして!笑!

 

その中でも、特に今日は、

 

足ることを知らない者には際限なく不足が続くのであります。こんな人間は一生救いを知らずに終る人です。

 

ここを読んだ時ギクリとしましたね!笑!