◎ 人生は神生なり

                    藤原敏之先生

                    すべてを癒やす道より

 

昨日の終わり

 

人間は人間の意志や計画によって造れるものではなく、人間以外の何ものかの力によって生まれ出るものであることがわかるのであります。生長の家では子供が授かり、子供が生まれるのは、まったく神業であり神意によるものであると教えられるのであります。すべて神意によって始まった人生であることがよくおわかり頂けると思うのであります。

 

 

 

つづき

 

 

○ 一瞬たりとも自分の力では生きられない

 

 

 

それでは今生きているのは一体何者の力によるのかと考えてみますと、これまたわかったようで案外わかっていない方が多い。病気の方に私はよくいうことですが、「あなたが生きておられるのではありませんよ」と申しますと、たいてい「いいえ私が生きておりますよ」といわれます。

 

 

 

「本当にあなたが生きておられますか」と念をおしますと「ええ、そうですよ」といわれます。「それでは息はどなたがしておられるのですか?」とたずねますと「息も私がしておりますよ」という返事。「ヘェーあなたがしておられますか。大したものですね。

 

 

 

それではちょっと五分間ほど止めてごらんなさい」と申しますと「アホなこと、そんなことできるものですか!」といわれる。「あれっ、今あなたは息は自分でしているといわれたじゃありませんか。自分でしておられるのでしたら、五分間止めては始め、十分間休んでは始められるはずでしょう」といいますと、「そんなことしたら、今夜はお通夜ですよ」といわれる。

 

 

 

それでは息はあなたがしていることにはなりませんね」と申しますと「それなら息は一体誰がしているのですか」と逆にきかれます。「そこですよ。大変な思いちがいしておられるのです。

 

 

 

息もご自分でしていないとわかれば、その他何をしておられますか。心臓はあなたが管理して間違わないように動かしておられるのですか。胃は腸は肝臓は?」とたずねますと、全部自分の力で動かしているものは何一つないことがわかります。

 

 

 

食べたものでも、のみこむまでは自分でしたように思う人もありますが、それから先はどうですか。胃の中の調子や、消化の具合など、見ることも知ることも出来ないでしょう。消化液の分泌の具合いはうまくいってるかとか、消化の状態はどうかなど、一切無関心でしょう。

 

 

 

胃の中の具合いを始終監視して「もうだいぶん溶けたようだから、ポツポツ栓(せん)をぬいて腸の方へくだせ」と号令をかけている人もないでしょう。まったくまかせ切りでちゃんと食べ物に応じて消化液を分泌して、ドロドロに醗酵させ溶かしてしまうのです。

 

 

 

やがて腸の方では必要な栄養分と不必要なものを全部分類して必要なものは吸収し、不要なものは次に送り、そこでさらに消化しては分類して選りわけては吸収して最後に不要なものだけ排泄する働きをしているのです。

 

 

 

腸壁から吸収された栄養はやがて赤い血に変えられて行きます。そのまた赤い血が肉や骨や黒い髪の毛にも変わるのです。このことを普通生理作用とか新陳代謝とかいわれています。このおどろくべき事実を見失って、まるで自分で生きているかのように錯覚しているのです。

 

 

 

生長の家では夢のような、あるやらないやらわからないような神様を観念的にとらえて、苦しまぎれにしがみつき、気休めにするような教えでも信仰でもありません。大きくいえば宇宙全体の神秘的な動きやまたは天体の運行など、不可思議霊妙なる働き(法則)は、どうしてそうなっているのかわかることは一つもないのです。

 

 

 

生命の神秘でも、その働きを否定するわけにはいかず、それが何ものの働きであるかも解らず単に生理の働きであるとして簡単に片付けているのです。宗教はこの神秘そのもの、霊妙な働きの根元を極め、五官によっては知ることも感ずることも出来ない本体(実在)を霊的生命で把握し、体得していこうとするのであります。

 

 

 

この普通ではちょっと覚(し)ることの出来ない何ものかを霊覚によって発見され、大衆にもわかるように説明し、教えて下さる方を一般宗教では教祖とよんでおります。生長の家では谷口雅春先生でありますが、

 

 

 

先生は「教祖は自分ではなく、神界すなわち実相世界にあって、この真理をたえず放送しつづけておられる実相の神である。私はその放送を受信して、代わって伝えているだけである。だから説いているのは自分ではなくて実相世界にある神霊である」と仰せになり、「私は放送するスピーカーのようなもので、ただのラッパにすぎない」と謙虚におっしゃって下さいます。

 

 

 

私ども信徒は神縁深くして、この尊いみ教えにご縁を頂くことの出来たことを本当に喜ばなければなりません。単に喜ぶだけではなく、神様から選ばれたものとしての自覚を深め、使徒としての自覚をもち、自信をもってお取り次をしなければならないように使命づけられているのであります。

 

 

 

 

つづく

 

 

 

 

☆ 説き方上手いですね!藤原先生は理屈やだったので、納得出来るまでやられたようです。あらゆる宗教をやり、生長の家の教えで納得されてたくさんの奇跡を出されました。