信こそすべて  ―私の体験からー

                       藤原敏之先生

                       すべてを癒やす道より

 

 

宗教が気休めであってはならない 

 

 

 

信とは絶対であり、自分の都合が全然皆無になることです。これを無我全托と申します。また帰命ともいいます。帰命とは、字の通り゛命を帰す゛ことであります。

 

 

 

自分の生命がなくなり神の生命のみがあると自覚したとき、全部神からの賜わりものとなるから、善いも悪いもない絶対善の世界を発見します。

 

 

 

ですから一切都合がなくなる。都合がなくなれば困ることもない。不足もない。不足がないのを満足といい、満足のみの世界を極楽とか天国というのです。このような世界に住む人を自由人といいます。

 

 

 

宗教の目的は、あらゆる人間を苦しみや悩みから完全に解放して、完全自由を与えることにあるのです。

 

 

 

悪い条件を善い条件に変えて都合のよい生活をさせるためにあるのではありません。

 

 

 

目先だけの、見せかけの、やがて失うような一時的な幸福を与えることではなく、永遠に変わることのない幸福(満足感)を与え、悩みや苦しみの根元を断つことにあるのです。

 

 

 

ここにおいて人生の根本目的と宗教の究極の目的とするところが一致するのであります。

 

 

 

そうでなければ別段宗教なんかなくても普通に生活するくらいは誰でも出来ますから、宗教に耳を貸そうとする人が少ないのです。

 

 

 

一般に宗教に関心のある人が少ないのは、大衆がわるいのではなく、どうでもよいような、いわゆる気休め的な教えを説いている宗教家の方に責任があると私は思います。

 

 

 

宗教が真にすべての人間の願望を成就するものとわかり、そのことを実証したならば、おのずから集まってくるはずです。

 

 

 

それはちょうど砂糖や密があれば、呼ばなくても蟻が群り集まるごとく、花が咲いていれば、それがどんな山の奥にひっそりと咲いていても必ず蝶々や蜂がとんでいくように、

 

 

宗教が真に人間を幸福に導く力を発揮するとき、必ず発展するのであります。

 

 

 

 

つづく

 

 

 

 

☆ ここに書いてある通りですね!吾々宗教家に責任があると云う事です。私は宗教家とは思っていません、ただもっともっと悟って多くの人に実相を伝え幸せになって頂きたい為にやっています。

 

今朝一つわからせていただきました、それは現象を良くしようと思っていたと云う事です。現象は映画のスクリーンと谷口雅春先生は説いてあります。フイルムが実相世界(本当の世界)光が神・仏です。心がレンズです。

 

既にフイルムには完全円満(健康、繁栄、調和)なる世界があり吾々もそこに既にいます。それがレンズ(心)の歪みによりスクリーン(現象世界)に病気、貧困、不調和が現れています。現れているスクリーンを良くしようとしていたのです。

 

変えるのは心です。それも物質ナシ、肉体ナシ、心もナシでした。現象の一切の否定と実相世界の肯定でした。

 

何十年もやっていましてこの程度です!すいません謝ります。もっともっと悟り藤原先生ぐらいになると、黙っていても東京から観光バス連ねて長野の藤原先生の講話を聞きに行ったようです。早くそうなりたいですね!笑!

 

私しも15年程教えから遠ざかていた時があります。当時、あらゆる占いをやった事があります。結局、四柱推命が一番当たるかなと思いました。しかしある大家の方が四柱推命は時代のその年を占うもので個人の運勢を見るものではないみたいな事が書いてありました。

 

そのうち明日はどうかとか、刻々変わる現象の変化にいちいち調べるのが面倒くさくなり、又血液判断などたった.A,B,O,AB型の四種類、人間は四種類しかいないのか?笑!となり、私しには「生命の実相」の教えが一番とわかった次第です。

 

何かおこっても現象ナシ!と否定して実相は完全と肯定すれば良いわけです。笑!小さい事ですが出かけてしまって、鍵閉めたか?電気、ガスはと心配なった時は神さま、ご先祖さま、御守護神さま頼みます!これで終わりです。笑!

 

谷口雅春先生が人相にその人の性格や過去の想いが出ると書いてあります。