② 最高の幸福を得るには

                      藤原敏之先生
                      すべてを癒やす道より

つづき

 

 

ホンモノの幸福とは何か
                      

 

 

幸福を願い求める以上は、いったい゛幸福とは何か?゛ということから究めていくことが第一であります。゛幸福゛が何であるかもわからず、ただ漠然と探し求めていても、゛幸福゛になりようがないのです。

 

 

私は、よく例えていうのですが、東京に伯母さんがいるということだけきいて、それではその伯母さんに会ってみようと思い立って東京にいって、東京中をうろつきまわってみても、所詮伯母さんに会うことはできないでしょう。

 

 

 

伯母さんはどこに住んでいるかという゛在(あ)り所(か)゛を知らなければ、だいいち探しようもありません。居所も知らない、顔も知らない、わかっているのは゛東京にいるそうだ゛だけでは絶対に探し当てることは出来ないのです。

 

 

 

だいいち顔を知らなければ、かりに会っていたとしても゛どこのどなたかナー゛で終りです。せめて住所だけでもわかれば、探し当てられましょうし、また、顔を知っておれば、偶然に出会っても、「伯母さんじゃありませんか?」と名乗ることもできるのです。

 

 

幸福でも同じことです。幸福の正体を知らなければ、幸福のど真中にいても気がつかないで見逃してしまうことになるのであります。

 

 

多くの人が゛幸福゛゛幸福゛と切実に求めながら、いっこうに幸福にならないで、゛不幸だ゛、不幸だ゛と嘆いておられるのは、このようなところからもきているのであります。
 

 

 

そこで、その゛本ものの幸福とは一体何が?゛ということですが、多くの人の求めている幸福とは、幸福の影である条件を゛幸福゛とまちがえておられることが多いのであります。果して皆様が考えておられるような条件が幸福だとすれば、条件の整っている人はみんな幸福であるはずです。 

 

 

私は錬成会にご参加下さる方に、よくおたずねするのですが、「あなたは今何が一番欲しいですか?」ときくと、身体の弱い人や、ご病気の人はきまって、「ハイ、身体さえ丈夫になれば何もいりません」と答えられます。

 

 

それでは身体の健康な方は何も必要なしで満足しておられるのかと思って、「あなたはお身体が丈夫なようですから、何もいらないでしょうね」と申しますと、「冗談いうな。これがうんと欲しいわい」といって、手の指をまるくして差し出されます。どうも゛お金が欲しい゛ということらしい。

 

 

 

それでは身体も健康で、お金にも不自由していない方に、「あなたこそ、身体はお丈夫だし、財産もおありだから、もう何もいらないでしょう?」とたずねると、「いえいえ私も一ぺんくらい市会議員ぐらいはなりたいですわ」とか、また「せめて課長までぐらいはなりたいわな」といわれる。

 

 

 

または、「女房がもっとやさしい気のつく女になってくれたら…」とか「主人が思いやりのある、温かい主人であったら…」とか、「子供がもっと素直で、よく勉強してくれたら…」と必ずといっていいほど、「どうなったら―」「こうなれば―」と次から次と出てくるのであります。  

 

 

皆様、お金や財産が沢山あって、豊かな生活が幸福なのであれば、世の中のお金持はみんな幸福であるはずであります。ところが問題があり、不幸だと泣いてこられる人の中には、経済的には何の不自由ないというような中流以上の、どちらかというと財産家といわれるような人の方が多いのです。

 

 

 

ご主人が亡くなり、遺産の相続問題等で話し合いがつかず、裁判にまでもちこんで、親きょうだいが゛血で血を洗う゛といった醜い争いをしているような家庭はみんな財産があり余るほどあるからです。貧乏たれで、死んだら何も残らないというような家に財産のことでもめることなど絶対にありません。

 

 

また三角関係二号騒ぎで泣いて相談にこられるご家庭でも、みんな裕福な人ばかりです。貧乏で食うや食わずで妾つくっていたという話を、聞いたことがありません。 

 

 

健康でもその通りです。健康なために不幸になり、苦しんでいる人は沢山います。誰かと喧嘩して相手に怪我をさせ、暴行傷害罪で訴えられなければならないような人は、みんな人並みはずれて健康であり、元気あふれているような人です。

 

 

 

私のようなひ弱な体格では、けんかをすれば負けるに決まっているから絶対に手を出しません。相手の方が悪いと思っても、先にあやまっておくのでけんかにはなりません。やはり体力に自信がありすぎるため、つい相手が生意気な態度に出れば、がまん出来なくて「やるか、外に出ろ!!」ということになるのでしょう。病気で寝ていてはけんかは出来ません。

 

 

三角関係や妾の問題でも、ご主人が健康で元気があり余って、精力的で奥様一人では満足出来ないほどの人におきることです。病気で寝たりおきたりしていて、二号も愛人もきいたことがありません。

 

 

また、名誉や地位があれば幸福かといいますと、収賄罪などで検挙されたり、刑務所につながれたりする人なども、地位があったために乗ぜられ、とり返しのつかぬ羽目に陥るのであります。

 

 

こうして考え、眺めてみますと、一体何が幸福であるのか全然わからなくなります。ただひとつハッキリ言えることは、幸福とは条件ではなく、その人、その人の心にあるということがわかるのであります。

 

 

自動車でも、いくら優秀なエンジンや部品をとりそろえた高級者であっても、その車を運転する運転者しだいではスピードが出すぎたために大きな事故につながり不幸な目にあうことも大いにあります。それは自動車という乗り物に幸、不幸があるのではなく、乗るその人にあるのです。

 

 

 

 

つづく

 

 

 

 

☆ 初めて道場へ行って個人指導してもらった時、君は○○家(実家)は誰が継ぐのか?と聞かれて私しが継ぎます。では奥さんの実家は誰が継ぐのですか?と聞かれて私しが継ぎます!と答えたら、君ね、家を継ぐと云う事は名前を継ぐ事なんだよ!と言われました!私は何も分かっていませんでした!笑!こういうところからも色々な人生問題として出てきますね。

 

女性が結婚して名前が変わっていますその方が財産相続で実家の財産を嫁ぎ先に持って来られます。これは横領です。笑!実家の財産を横取りした事になります。そう云う方は因果の法則で横領(だまされる)と云う事です。自分がやった事がやり返されると云う事です。

憲法で保証されていますがその憲法が間違っていると言うことです。笑!

 

これは戦後の日本弱体化政策の憲法や戦後の教育で財産を継ぐ事しか教えてないからです。戦前は戸籍の主(家名を継ぐ者)が財産も継いだからです。長男が親の面倒や兄弟姉妹の面倒を見たと言うことです。それが財産は貰って親はたらい回しで、そう云う家系はつぶれるということです。

 

戦前から日本が何故強いのかをアメリカは研究して、天皇と家系にあるというので、天皇を廃止する予定ができず。象徴としました。家系を滅ぼすのに、財産相続のみにしました。それで財産を奪いあい、家系存続が消えかけています。今日の眞子さまの結婚も戦後の反日政策(左翼)の結果だと思っています。

 

 

 

 

゛幸福゛が何であるかもわからず、ただ漠然と探し求めていても、゛幸福゛になりようがないのです。

 

◉ ということです。

 

 

ところが問題があり、不幸だと泣いてこられる人の中には、経済的には何の不自由ないというような中流以上の、どちらかというと財産家といわれるような人の方が多いのです。

 

貧乏たれで、死んだら何も残らないというような家に財産のことでもめることなど絶対にありません。

 

貧乏で食うや食わずで妾つくっていたという話を、聞いたことがありません。 

 

病気で寝たりおきたりしていて、二号も愛人もきいたことがありません。

 

面白いですね!笑!

 

 

幸福の影である条件を゛幸福゛とまちがえておられることが多いのでありま

 

幸福とは条件ではなく、その人、その人の心にあるということがわかるのであります。

 

◉ ここですね!

 

それは自動車という乗り物に幸、不幸があるのではなく、乗るその人にあるのです。

 

 

◉ 自動車を肉体と変えてもいいですね。健康やお金、名誉、地位に幸不幸はないと云う事です。