◎ 無門關解釋

 

 

 

○ 第四十八則乾峰一路(けんぽういちろ)

 

 

乾峰和尚(けんぽうをしやう)、因(ちな)みに僧問(そうと)ふ、十方簿伽梵一路涅槃門(じつぱうばぎやぼんいちろねはんもん)、末審路頭甚麼(いぶかしろとうなん)の處(ところ)に在(あ)るや。・・・以下省略・・・

 

 

 

無門曰(むもんいは)く

 

一人(にん)は深深(しんしん)たる海底(かいてい)に向(むか)って行(ゆ)いて簸土揚塵(ひどやうぢん)す。・・・以下省略・・・

 

 

 

頌(じゆ)に曰(いは)く、

 

未(いま)だ歩(ほ)を譽(こ)せざる時先(ときま)づ已(すで)に到(いた)り、未(いま)だ舌(した)を動(うご)かざる時先(ときま)づ説(と)き了(をは)る。・・・以下省略・・・

 

 

 

 

 

解釋

 

 

昨日のところ

 

文章に表現しても「此處が此の儘淨土である」と書いたところを削除せられた時代もある。「此處」とか「此の儘(まゝ)」とか云ふのは、そんな空間的時間的の「此處」や「此の儘(まゝ)」ではないのである。

 

 

つづく

 

 

 

それが判らねば、本則にある「十方簿伽梵ー路涅槃門(じつぱうばぎやぼんいちろねはんもん)」の「一路(いちろ)」は判らない。

 

 

乾峰和尚(けんぽうをしやう)は、「麻(あさ)の實(み)三斤(ぎん)」で有名な洞山大師(とうざんだいし)に法(はふ)を嗣(つ)いだ人である。麻(あさ)の實(み)を「此(こ)れ」と云って示したのと、空中に拄杖で「此の一路」を示した氣合(きあひ)とは、同ー(どういつ)のもなである。

 

 

 

ところが雲門和尚(うんもんをしやう)は、乾峰和尚(けんぽうをしやう)の許(もと)にあって修行したことのある人であるから、乾峰和尚(けんぽうをしやう)の氣合を呑(の)み込んでゐる。

 

 

 

その雲門(うんもん)のところへ來て、「十方簿伽梵一路涅槃門(じつぱうばぎやぼんいちろねはんもん)、末審路頭甚麼(いぶかしろとうなん)の處(ところ)に在(あ)るやと問(と)うたら、乾峰和尚(けんぽう)は斯(か)う斯(か)う致しましたが、是(これ)は何の意味ですか」と問うたのであるから、

 

 

 

雲門はその時手(ときて)に持ってゐた扇子(せんす)を拈(と)ってズッと高く提起(ささ)げて「扇子(せんす)脖跳(ぼつてう)して三十三天(てん)に上(のぼ)って帝釋(たいしゃく)の鼻孔(びくう)を築著(ちくぢやく)す、東海(とうかい)の鯉魚打(りぎよう)打つこと一棒(ぼう)すれば雨盆(あめぼん)を傾(かたむ)くるに似(に)たり」と云った。

 

 

 

譯(やく)して見ると、扇子がパッと脖跳(はねあが)ると三十三天の頂上に昇って帝釋天(たいしやくてん)の鼻の孔(あな)に衝突(しようとつ)する。更に此の扇子を以て東海に棲(す)む鯉(こひ)の背中を一棒喰(ひとうちくら)はせると、雨が盆を覆(くつがへ)すやうに沛然(はいぜん)と降り出す。

 

 

 

さあ、此の扇子、これが涅槃(ねはん)に到る一路門(いちろ)ぢゃ、此の扇子の一路涅槃門(いちろねはんもん)が解るかと、雲門和尚(うんもんをしやう)はその僧に詰め寄ったと云ふのである。諸君もどうです。「此の扇子の一路涅槃門」がお解りになりますか。 

 

 

 

斯(か)う無門和尚(うんもんをしやう)は云って置いて乾峰和尚(けんぽうをしやう)と雲門和尚との説法の仕方を評したのである。乾峰和尚(けんぽうをしやう)の方(はう)は深々(しんしん)たる海底(かいてい)に向って行(ゆ)いて土(つち)を簸(ふる)ひて塵(ちり)を譽(あ)げるやうなものである。 

 

 

 

そして雲門和尚(うんもんをしやう)の方は高々(かうかう)たる山頂に立って白浪(はくろう)を猛然(まうぜん)と蹶立(けた)てるやうなものである。

 

 

 

乾峰(けんぽう)は把住(はぢゆう)(把定(はぢやう))が主(しゆ)となり、雲門は放行(はうぎやう)が主となってゐるが、この兩者(りやうしや)はどちらも無くてならぬものであって、各々一方の片手(隻手(せきしゆ))を出して兩々相俟(りやうりやうあひま)って一つの眞理の乘物(のりもの)を扶(たす)け竪(た)たしめてゐるのである。

 

 

 

この二人の眞理の馳(は)せ使者(つかひ)たちは兩方(りやうはう)から異る方向から馳(は)せって來て、互に相撞突(あひつきあた)るやうに見えるがさうではない。把住(はぢゆう)と放行(はうぎやう)とはどちらも同ー眞理(どういつしんり)を示す二面(めん)である。

 

 

 

此處(ここ)まで大いに乾峰(けんぽう)と雲門(うんもん)とを賞(ほ)めて來たのであるが、一轉(いってん)して「と云って、ある『面(めん)』から見たのでは眞理の相對觀(さうたいくわん)を得てゐるだけであって、眞理を直視(ぢき)したのではない。世上(せじやう)には全(まった)く眞理をそのまゝ直接把握(ちょくせつはあく)した人はないと云っても好いだらう。

 

 

 

正しき眼(まなこ)を開いて觀來(みきた)れば、この乾峰(けんぽう)、雲門(うんもん)の二大老(だいらう)も、どうだかまだ本當に涅槃(ねはん)に達する眞實一路(しんじついちろ)を識(し)らない點(てん)があるのではないか」と、悟った悟った等(など)と云ってゐると、何時の間にか相對の見(けん)に墮(だ)してゐることがある事を注意したのである

 

 

 

乾峰和尚(けんぽうをしやう)が、拄杖(しゆぢやう)を以(もつ)て空中(くうちゆう)に劃一劃何事(くわくいっくわくなにごと)かを描いたことは、無時間無空間の世界にあるところの實相を、兎(と)も角(かく)も空間面に描き出さうとしたのであって、

 

 

 

私が時々、時間を示す縦線(―)と、空間を示す横線(ー)とを描いて、これを交叉して十字を描き、その交叉點(かうさてん)の一點(てん)を示して、「由(よ)って以(もつ)て時間と空間との發現(はつげん)する本源の一點、無時間無空間の一點、一點と云っても點も何もない空無、而(しか)も全然空無に非(あら)ざる實相…」と云ふやうな説明を用(もち)ゐるのと同様に、縦線も横線もなく、従ってその交叉せる一點もない世界を示さんとして却(かへ)って縦線、横線を劃(くわく)して、何物(なにもの)かを把(つか)んで示したのである。

 

 

 

これが「深々(しんしん)たる海底(かいてい)に向って行(ゆ)いて土(つち)を簸(ふる)ひ塵(ちり)を揚(あ)ぐ」である。深々(しんしん)たる海底(かいてい)には、揚(あ)がるべき塵(ちり)も吹きとばさるべき土もないのに、海を説明せんとして、海ならざるものを把(つか)み來ったのであって、「把定(はぢやう)」又は把住(はぢゆう)である。

 

 

 

ところが雲門和尚(うんもんをしやう)は、帝釋天(たいしゃくてん)の住む三十三天の頂上も糞(くそ)もあるものかと、その鼻っ柱(ぱしら)を扇子(せんす)でなぐり着け、東海(とうかい)の地底に住んで雨を降らすとやら云ふ鯉(こひ)の主(ぬし)も絲瓜(へちま)もあるものかと、ピシャリとその鯉(こひ)の背(せ)を扇子で打ち壊(くだ)いたと云ふのである。

 

 

 

三十三天の高きも、東海の地底も、本來高い低いもないと叩(たゝ)けば一味平等(いちみびやうどう)で、沛然(はいぜん)と雨となって降れば同じ谷川の水なのである。斯(か)うして差別相(しゃべつさう)の把住(つかみ)を放(はな)してしまはせるのが放行(はうぎやう)である。と云って、一切を無差別平等(むしやべつびやうどう)に放(はう)ってしまへば一切が壊(くだ)ける。

 

 

 

「人類々々」と云って、「日本人」と云ふことを忘れてしまったのでは、國は滅び、日本人も滅びるのである。人は兎(と)もすれば抽象に流れることを高級めかしく考へたがるものであるが、「人類」と云ふやうな抽象概念の化物(ばけもの)は何處(どこ)にもないのである。吾々は日本人であり、東洋人であって、西洋人でもない「人類」と云ふ者があるなら此處(ここ)に出(い)で來(きた)れ。

 

 

 

そんなものはないであらう。其處(そこ)で差別觀(さべつくわん)を打破するために、三十三天(てん)も東海の池底(ちてい)も一緒に扇子で叩(たゝ)き伏せて一徳(とく)一心(しん)であり、自他一體(じたいつたい)であることを知ることを知ることは必要であるが、一徳一心であることのみに把(とら)へられて、日本人、東洋人、君民(くんみん)、親子、夫婦等等の別を忘れてはならないのである。

 

 

 

 

つづく

 

 

 

 

谷口雅春著「無門關解釋」第四十八則乾峰一路(二)

 

 

 

 

 

 

☆ 医学博士の徳久克巳先生はよく握ったり放したりですよと話されましたね。放す為には握らなければ放せませんと!手に100万円握っていて、机に500万円あったら500万円取る為には100万円を放さないと500万は自分のものになりません!と云う事です。

 

 

さあ、此の扇子、これが涅槃(ねはん)に到る一路門(いちろ)ぢゃ、此の扇子の一路涅槃門(いちろねはんもん)が解るかと、雲門和尚(うんもんをしやう)はその僧に詰め寄ったと云ふのである。諸君もどうです。「此の扇子の一路涅槃門」がお解りになりますか。 

 

 

斯(か)う無門和尚(うんもんをしやう)は云って置いて乾峰和尚(けんぽうをしやう)と雲門和尚との説法の仕方を評したのである

 

 

乾峰(けんぽう)は把住(はぢゆう)(把定(はぢやう))が主(しゆ)となり、雲門は放行(はうぎやう)が主となってゐるが、この兩者(りやうしや)はどちらも無くてならぬものであって、各々一方の片手(隻手(せきしゆ))を出して兩々相俟(りやうりやうあひま)って一つの眞理の乘物(のりもの)を扶(たす)け竪(た)たしめてゐるのである。

 

 

この二人の眞理の馳(は)せ使者(つかひ)たちは兩方(りやうはう)から異る方向から馳(は)せって來て、互に相撞突(あひつきあた)るやうに見えるがさうではない。把住(はぢゆう)と放行(はうぎやう)とはどちらも同ー眞理(どういつしんり)を示す二面(めん)である。

 

悟った悟った等(など)と云ってゐると、何時の間にか相對の見(けん)に墮(だ)してゐることがある事を注意したのである

 

◉ え!ドキとしますね。笑!

 

 

斯(か)うして差別相(しゃべつさう)の把住(つかみ)を放(はな)してしまはせるのが放行(はうぎやう)である。と云って、一切を無差別平等(むしやべつびやうどう)に放(はう)ってしまへば一切が壊(くだ)ける。

 

 

「人類々々」と云って、「日本人」と云ふことを忘れてしまったのでは、國は滅び、日本人も滅びるのである。人は兎(と)もすれば抽象に流れることを高級めかしく考へたがるものであるが、「人類」と云ふやうな抽象概念の化物(ばけもの)は何處(どこ)にもないのである。吾々は日本人であり、東洋人であって、西洋人でもない

 

 

◉「人類」と云ふ者があるなら此處(ここ)に出(い)で來(きた)れ。と云う事です!

 

 

一徳(とく)一心(しん)であり、自他一體(じたいつたい)であることを知ることを知ることは必要であるが、一徳一心であることのみに把(とら)へられて、日本人、東洋人、君民(くんみん)、親子、夫婦等等の別を忘れてはならないのである。

 

 

◉ 徳久克巳先生は戦後、学校の先生が人間の先祖は猿であるとよく言ったそうです。それで「先生の先祖は猿ですか?」と云え!といったら本当に言ったようです。そしたら先生が怒った、々という事です。自分の先祖といわれると嫌なのですね!笑!