無門關解釋

 

 

 

第四十六則竿頭進歩(かんとうしんぽ)

 

 

石霜和尚曰(せきさうをしやういは)く、百尺竿頭如何(ひやくしやくかんとういかん)が歩(ほ)を進(すゝ)めん。・・・以下省略・・・

 

 

 

 

無門曰(むもんいは)く、

 

歩(ほ)を進(すゝ)め得(え)て身(み)を翻(ひるがへ)し得(え)ば、更(さら)に何(なん)の處(ところ)を嫌(きら)うてか尊(そん)を稱(しょう)せざらん。・・・以下省略・・・

 

 

 

頌(じゆ)に曰(いは)く、

 

頂門(ちやうもん)の眼(め)を瞎却(かつきやく)して、錯(あやま)って定盤星(ぢやうばんせい)を認(みと)む。・・・以下省略・・・

 

 

 

 

解釋(かいしやく)

 

 

 

昨日の終わり

 

石霜和尚(せきさうをしやう)が「百尺竿頭に坐する底(てい)の人、然(しか)も得入(とくにふ)すと雖(いへど)も未(いま)だ眞と爲さず」と云ったのも當然(たうぜん)である。

 

併(しか)し、大抵(たいてい)の人は此(こ)の「百尺竿頭」で止まってしまって、常識以上には出ようとしない。常識以上に出た人が現れると、社会通念に反するとか、常識に反するとか、科學的でないとか云って排撃しようとするのである。

 

ところが、科學の學説と云ふものが、常に「日に新(あらた)」であって、昨日の理論が非科學的な幼稚なものであるとして、常に新しき理論によって置き換へられつゝあることを

 

一般人は知らず、科學者であるアインシュタインや石原純などの方がよく知って、「科學の理論は變化(へんくわ)する」と、その著書に公々然(こうこうぜん)と書いてゐるのである。科學者は常に「百尺竿頭一歩を進めた者」でなければならないのである。

 

 

 

 

つづき

 

 

ところで春日さんは醫者(いしゃ)であるし、科學者である。在來(ざいらい)の醫學理論では手の下しやうのない症状にまで押しつめられて、「百尺竿頭(ひやくしやくかんとう)」更(さら)に一歩を進めるより仕方がない状態に置かれたのである。

 

 

 

春日さんは、附近で生長の家誌友相愛會をしてゐられる某宗(ぼうしゆう)の僧侶である安田良忍(やすだりやうにん)さんの來訪(らいはう)を求めてその法話を聽(き)かれたのである。法話と云っても生長の家の話である。生長の家の話と云っても生長の家は一宗一派でないから宇宙的眞理の話であり、結局佛教の眞理の話である。

 

 

 

安田さんは三十分ばかり、其特有(そのとくいう)の如何(いか)にも有難さうな語調(ごてう)で、「病氣は無いのですよ。たゞ有難いのですよ。佛ばかりあるのですよ。痛むごとに有難うございますと感謝なさいませよ」と云はれただけで歸(かへ)られた。

 

 

 

「色即是空(しきそくぜくう)、南無阿彌陀佛(なむあみだぶつ)」の眞理を、さう云ふ生長の家式なやさしい言葉で語られたに過ぎないのである。併(しか)しこゝに在來(ざいらい)の「百尺竿頭(ひやくしやくかんとう)に坐(ざ)して」満足し切ってゐる既成佛教(きせいぶつけう)の上に、更に「進一歩」があるのである。

 

 

 

「色即是空(しきそくぜくう)、南無阿彌陀佛(なむあみだぶつ)」などと御經(おきやう)めかしく病人の枕頭(ちんとう)でやられたのでは、病人は「もう死ぬので引導(いんだう)を渡すのかな」と思って意氣銷沈(いきせうちん)して、治るべき病氣も治らなくなるのでありませう。

 

 

 

茲(こゝ)に「百尺竿頭(ひやくしやくかんとう)」に安住する佛教が「進一歩(しんいつぽ)」しなければならないところがあるのである。安田さんは僧侶(そうりょ)でありながら、その佛教を「百尺竿頭進一歩(ひやくしやくかんとうしんいつぼう)」せられたのであります。

 

 

 

安田さんの歸(かへ)ったあとで醫師の春日さんは、又はげしくシキリが起って十分間おき位に赤痢(せきり)のやうな血便(けつべん)が引續(ひきつゞ)き出るのだった。便所へ往復してゐる暇(ひま)もないので、便器の上に跨(またが)つて、衰弱(すゐじやく)した身體(からだ)を、物で肘(ひじ)の臺(だい)をして支(さゝ)へながら、夜徹(よどほ)し血便(けつべん)を下痢(げり)しつゞけてゐたのだった。

 

 

 

そしてその下痢ごとに、「ありがたうございます。これで治る、病氣は本來ないのだ」と念じつゞけた。朝六時頃になると流石(さすが)に血便も出るだけ出終わったと見えて、腹痛は緩和し下痢しなくなったので、疲れ切った身體(からだ)を寝床にもぐり込ませると「ありがたうございます」と誦(とな)へながら、もう前後もなく眠に落ちたのであった。

 

 

 

眼がさめると一時間位は眠ったものらしい。陽光が窓から射入(さしい)つてゐる。全世界が蘇生(よみがへ)つたやうに新しく見える。春日さんは新生(しんせい)したのである。僅(わず)か一時間の睡眠に、「もう治った」と感じられる位に身體(からだ)の疲勞がない。

 

 

 

春日さんは起き上がった。「もう病氣はないのだ」春日さんは當(あた)り前に食事をし、當(あた)り前に診察室へ出て患者を診療したのであった。この感謝と精神的光耀(せいしんてきくわうえう)との一晩を境として、慢性の糖尿病も、肺壞疽(はいゑそ)も、骨膜炎も、その赤痢様(せきりやう)の下痢も癒えてしまったのであった。

 

 

 

「病氣の肉體(にくたい)」を「物質」として取扱ふ科學(醫學)でも、ある程度までその病氣の肉體を處理して誤らないことは、熱を逃げる「物質」として取扱った舊(きう)物理學でも、逃げないやうに包むことによって逃がさずにゐられたと同じやうである。

 

 

 

しかし、肺壞疽(はいゑそ)を患(わづら)ってゐる「病氣の肉體」をもう「物質」として取扱って處置(しょち)するには、慢性の糖尿病があり、赤痢的下痢がある場合に、手を下しやうが無くなったとき、こゝに「肉體」を「物質」として取扱はないところの「百尺竿頭進一歩(ひやくしやくかんとうしんいつぽ)」の醫學が出現したのである。

 

 

 

科學も、國家も、人間も、つねに百尺竿頭(ひやくしやくかんとう)にとゞまるものではない。眞の科學は常に「百尺竿頭進一歩(ひやくしやくかんとうしんいつぽ)」の科學であり、眞の國家は常に「百尺竿頭進一歩(ひやくしやくかんとうしんいつぽ)」の國家である。世界は動きつゝあるのである。

 

 

 

共産主義國家さへも、百尺竿頭進一(ひやくしやくかんとうしんいつぽ)しつゝあり、ソ中の理論闘争も、その惱(なや)みのあらはれである。百尺竿頭上(ひやくしやくかんとうじやう)に高慢(かうまん)な惰眠(だみん)を貪(むさぼ)る國は、今榮えてゐてもやがて衰微(すゐび)するのは當然(たうぜん)のことである。

 

 

 

今や日本の國家も竿頭進一歩(かんとうしんいつぽ)せんとして陣痛(ぢんつう)の艱(なや)みのうちにある。誰が如何(いか)にして日本國家を挈(ひつさ)げて百尺竿頭ー歩(ひやくしやくかんとういつぽ)を進め得(う)るものならんや。

 

 

 

大人物(だいじんぶつ)を翹望(げうばう)すること久(ひさ)しだ矣(い)。かゝる大人物(だいじんぶつ)が出現すれば誰だって

 

「尊いおん方だと、禮拜(らいはい)しない譯(わけ)はない、しかし如何にして百尺竿頭ー歩(ひやくしやくかんとういつぽ)を進めるか、嗄(さ)」

 

と無門(むもん)も亦嗄嘆(またさたん)してゐるのである。

 

 

 

無門和尚(むもんをしやう)の頌(じゆ)は、百尺竿頭ー歩(ひやくしやくかんとういつぽ)を進め得(え)ず、固定觀念にとらはれたものが、百尺竿頭ー歩(ひやくしやくかんとういつぽ)を進めたつもりで、人を導かうとしても、それは盲人(まうじん)に手引きが衆盲(しゆうまう)を泥溝(どぶ)に導き落すやうなものだと云ったのである。

 

 

 

頂門(ちやうもん)の眼(め)と云ふのは、兩眼以外(りやうがんいぐわい)にある「叡智(えいち)の眼(まなこ)」のことである。それを假(かり)に頂門(みけん)にあるとしたのである。その「叡智(えいち)の眼(まなこ)」を瞎却(ぶつつぶ)してしまふと、自由自在の智慧(ちゑ)が失はれて、その人の見(けん)が固定してしまふのである。

 

 

 

定盤星(ぢやうばんせい)とは、秤(はかり)に定(き)めてある一定の無駄目盛(むだめもり)(秤量(ひやうりやう)の基點(きてん)となる、零匁(れいもんめ)の位置の星點(ほしてん))である。秤(はかり)と云ふものは、相手に順(したが)って自由自在に分銅(ふんどう)の位置を變(か)へなければならない。

 

 

 

ところが定盤星(ぢやうばんせい)にのみ心の眼をとられてゐる者は、どんな重い物が來ても輕い物が來ても、いつも秤(はかり)の分銅(ふんどう)を一定の目盛のところに置いてゐる。

 

 

 

これでは千變萬化(せんべんばんくわ)の智慧は湧(わ)いて來ない。そんな傳統(でんとう)にとらはれてゐることばかり云ってゐては、一盲衆盲(まうしゆうまう)を導いて皆(み)な奈落(ならく)の底へ陥(おとしい)れることになる。

 

 

 

 

(完)

 

 

 

 

谷口雅春著「無門關解釋」第四十六則竿頭進歩(完)

 

 

 

 

 

一般人は知らず、科學者であるアインシュタインや石原純などの方がよく知って、「科學の理論は變化(へんくわ)する」と、その著書に公々然(こうこうぜん)と書いてゐるのである。科學者は常に「百尺竿頭一歩を進めた者」でなければならないのである。

 

◉ 科学も医学も常に変化すると云う事です。科學者、医者は常に「百尺竿頭一歩を進めた者」でなければならないのである。と云う事です。

 

春日さんは、附近で生長の家誌友相愛會をしてゐられる某宗(ぼうしゆう)の僧侶である安田良忍(やすだりやうにん)さんの來訪(らいはう)を求めてその法話を聽(き)かれたのである。法話と云っても生長の家の話である。生長の家の話と云っても生長の家は一宗一派でないから宇宙的眞理の話であり、結局佛教の眞理の話である。

 

◉ 「病氣は無いのですよ。たゞ有難いのですよ。佛ばかりあるのですよ。痛むごとに有難うございますと感謝なさいませよ」と云はれただけで歸(かへ)られた。

 

夜徹(よどほ)し血便(けつべん)を下痢(げり)しつゞけてゐたのだった。そしてその下痢ごとに、「ありがたうございます。これで治る、病氣は本來ないのだ」と念じつゞけた。朝六時頃になると流石(さすが)に血便も出るだけ出終わったと見えて、腹痛は緩和し下痢しなくなったので、疲れ切った身體(からだ)を寝床にもぐり込ませると「ありがたうございます」と誦(とな)へながら、もう前後もなく眠に落ちたのである。

 

 

此処です。だいたい奇跡が起こるのは!笑!春日さんは医者であり、しかし今までの医学では今の春日さんの体を治す事はできないとわかっておられたので、僧侶で生長の家の講師を呼ばれて話しを聞かれた。

 

そしたら上記の病気は無いのですよ。痛む事に感謝しなさい・・・・と言って帰られた。

 

◉ 問題起きたら弁護士や医者に頼むしかし弁護士や医者ではもう無理だと、助かる方法は生長の家しかないと分かっておられたから助かったと云う事です。逃げ道がなかったのが良かったのですね!

 

◉ この弁護士はダメだ、他の弁護士に頼もう?この病院は駄目だあの大学病院に行ったら!と思っている人にはどんどん他の弁護士や病院に行かせたが良いですね♪!笑!

だから追いつめられて助かる道が無い人が生長の家の教えにふれられると奇跡が起こります。笑!

 

 

そしてその下痢ごとに、「ありがたうございます。これで治る、病氣は本來ないのだ」と念じつゞけた。朝六時頃になると流石(さすが)に血便も出るだけ出終わったと見えて、腹痛は緩和し下痢しなくなったので、疲れ切った身體(からだ)を寝床にもぐり込ませると「ありがたうございます」と誦(とな)へながら、もう前後もなく眠に落ちたのであった。

 

 

ここですね!良く(健康)なる前には今までの悪いものがなくならないと健康にならないと云う事です。新しい家を建てる時は古い家を取り壊さないと新居は出来ません。古い家を壊すと凄い埃やうるさい機械の音が出ます。これが良くなる前のケミカライゼーション

です。それで春日先生は、下痢が出る度にありがとうございますと言われたのです。良くなる前には悪いことが出て来ても、出て消えたこれで治るとことばで唱えることが必要です。春日先生はそれをやられたと云う事です。

 

 

僅(わず)か一時間の睡眠に、「もう治った」と感じられる位に身體(からだ)の疲勞がない。春日さんは起き上がった。「もう病氣はないのだ」春日さんは當(あた)り前に食事をし、當(あた)り前に診察室へ出て患者を診療したのであった

 

◉ これが生長の家の治り方です!笑!

 

 

今や日本の國家も竿頭進一歩(かんとうしんいつぽ)せんとして陣痛(ぢんつう)の艱(なや)みのうちにある。誰が如何(いか)にして日本國家を挈(ひつさ)げて百尺竿頭ー歩(ひやくしやくかんとういつぽ)を進め得(う)るものならんや。

 

◉ 科学や医学だけではない、日本の国家もと云う事です。

 

無門和尚(むもんをしやう)の頌(じゆ)は、百尺竿頭ー歩(ひやくしやくかんとういつぽ)を進め得(え)ず、固定觀念にとらはれたものが、百尺竿頭ー歩(ひやくしやくかんとういつぽ)を進めたつもりで、人を導かうとしても、それは盲人(まうじん)に手引きが衆盲(しゆうまう)を泥溝(どぶ)に導き落すやうなものだと云ったのである。

 

◉ これから衆議院選挙です。吾々の日本の国を動かす人を選ぶのです。人物で選びますが、卑しくも共産党や昔の社会党はやめていただきたい、立憲民主党もどうも左のようですね!

 

ソ連が崩壊した時、共産党は駄目ではないかとテレビが言ったら、あの共産党は偽物だ、本当の共産党でなければダメだと日本共産党は言っていましたが、私しに言わせれば現象人間は因縁業があると云う事です。理論の共産党が良くても現象人間がやると結局、ロシアのプーチン、中国の共産党になるしかないと云う事です。勿論自民党が良いと言うわけではないが今のところ現実に沿った何とか導きをしてくれていると思っています。

 

◉ 百尺竿頭ー歩(ひやくしやくかんとういつぽ)を進めたつもりで、人を導かうとしても、それは盲人(まうじん)に手引きが衆盲(しゆうまう)を泥溝(どぶ)に導き落すやうなものだと云ったのである。という事です。最後に雅春先生が

 

 

大人物(だいじんぶつ)を翹望(げうばう)すること久(ひさ)しだ矣(い)。かゝる大人物(だいじんぶつ)が出現すれば誰だって「尊いおん方だと、禮拜(らいはい)しない譯(わけ)はない、しかし如何にして百尺竿頭ー歩(ひやくしやくかんとういつぽ)を進めるか、嗄(さ)」

 

 

◉ と云う事事です。

 

最後に私しの大した知識もない勝手な考えですが、大人物というのは日本が大変な時出るのではと思っています。戦国の終わりに織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、で日本をおさめ役300年平和がつづきました。江戸末期、勝海舟、西郷隆盛、等出て来て一応纏まってきたら、西郷は去り、勝海舟、も政治から去り、坂本龍馬等は皆死んで残ったのは普通の人で今の世を作ったように本読んで思いましたが?笑!大人物は治ったらこの世を去るのでは?