◎ 無門關解釋

 

 

○ 第十七則 國師三喚(こくしさんくわん)

 

 

 

國師三(こくしみ)たび侍者(じしゃ)を喚(よ)ぶ。侍者三(じしゃみ)たび應(おう)ず。國師伝(こくしいは)く、將(まさ)に謂(おも)へり、吾(わ)れ汝(なんぢ)に辜負(こふ)すと。元來却(ぐわんらいかへ)って是(こ)れ汝吾(なんじわ)れに辜負(こふ)す。 

 

 

 

無門曰(むもんいは)く

 

 

國師(こくし)の三喚(くわん)は舌頭地(ぜつとうち)に墮(ふ)つ。侍者(じしゃ)の三應(おう)は光(ひかり)を和(やはら)げて吐出(としゆつ)す。國師年老(こくしとしお)いて心弧(こヽろこ)にして、牛頭(ごづ)を按(あん)じて草(くさ)を喫(きつ)せしむ。

 

侍者未(じしゃいま)だ肯(あへ)て承當(しようたう)せず、美食飽人(びしょくはうじん)の飡(さん)に中(あた) らず、且(しばら)く道(い)へ那裏(いづれ)か是(こ)れ他(た)の辜負(こふ)の處(ところ)ぞ、國淨(くにきよ)うして才子貴(さいしたふと)く、家富(いへと)んで小兒騎(せうにおご)る。

 

 

 

頌(じゆ)に曰(いは)く、

 

 

鐵枷無孔(てつかむく)、人(ひと)の擔(にな)はんことを要(えう)す、累(わざは)ひ兒孫(じそん)に及(およ)んで等閑(なほざり)ならず。門(もん)をささへ竝(なら)びに戸(と)をささふることを得(え)んと欲(ほつ)せば、更(さら)に須(すべか)らく赤脚(しやくきやく)にして刀山(たうざん)に上(のぼ)るべし。

 

 

 

 

解釋(かいしやく)

 

 

國師(こくし)と伝(い)ふのは南陽(なんやう)の慧忠國師(ゑちゆうこくし)である。法(はふ)を六祖慧能禅師(そゑのうぜんじ)に繼承(けいしょう)した人で、六祖門下中青原(そもんかちゆうせいげん)、南嶽兩禅師(なんがくぜんじ)につぐ神足(しんそく)、大證國師(だいしょうこくし)である。

 

 

 

大證國師(だいしょうこくし)が侍者(じしゃ)を喚(よ)んだ。何(なん)のために喚(よ)んだのか文章の中には書かれてゐないが、國師(こくし)が侍者(じしゃ)を試(こヽろ)みるために侍者(じしゃ)の名(な)を喚(よ)んだのならば、國師(こくし)の方(はう)に喚(よ)び聲(ごゑ)に迫力(はくりょく)がない。

 

 

 

實際(じっさい)に用事(ようじ)がないのだから、侍者の應答(おうたふ)も聲(こゑ)だけの返事であって、身(み)の行動となって現(あらは)れない。聲(こゑ)だけの返事であって身體(からだ)が動かないから、二(ふた)たび喚ばなければならない。二たび喚んでも、やはり試みに喚んで見るだけであるならばやはり侍者の身を動かすだけの迫力がないから、矢張(やは)り侍者の身は動かない。

 

 

 

そこで三(み)たび侍者の名を喚ばなければならぬ。三たび喚んでも七(なヽ)たび喚んでも試みに喚ぶのではやはり侍者の身を動かす迫力はない。童路傍(わらべろばう)に坐(ざ)して笛吹(ふえふ)けど衆人踊(しゆうじんをど)らずである。たうとう三たび喚んでも侍者は返事ばかりで身體(からだ)を動かさないから、國師(こくし)は「わしがお前(まへ)に辜(つみ)を負(お)うてゐるかと思ったら、お前の方がわしに辜(つみ)を負うてゐたのだ」と嘆(たん)じたのである。

 

 

 

即(すなは)ち「立(た)ち對(むか)ふ人の心(こヽろ)は鏡(かゞみ)であるから、相手が返事をするだけで身體(からだ)を動かさないのは、わしが惡いのだと思ってゐたが、實(じつ)はお前の方が惡かったのだ」と國師(こくし)は嘆(たん)じたのである。

 

 

 

併(しか)し「實はお前の方が惡かったのだ」と伝ふのは大證國師(だいしょうこくし)としてはあまり賞(ほ)めた言葉ではない。

 

 

 

生長の家の二代目の婦人部長をつとめられた宮信子(みやのぶこ)さんのことを話したい。彼女は、御自分が生長の家へお入(はい)りになっても、今はもうお亡くなりになった良人(をっと)がその當時(たうじ)生長の家に中々(なかなか)おはいりにならなかった。「『生命の實相』に書いてあるやうなことは皆知ってゐる。お前は『生命の實相』を拜(をが)むよりは良人(をっと)を拜(をが)んでをれば好いのだ」と被仰(おつしゃ)る。

 

 

 

信子さんが良人に『生命の實相』を讀(よ)んで欲しいと思ってゐるのが、「信子、三(み)たび良人を喚(よ)ぶ」に當(あた)る。が、信子さん自身希望する通り良人は動いて下さらないのである。

 

 

 

そこで信子さん、『生命の實相』は自分の日常の身の行(ぎやう)によって身體(からだ)によって良人に讀(よ)ますべきものだと決心なさったのである。

 

 

 

今までは良人をまだ修養の餘地(よち)ある不完全者であるとして見て、それを修養させるために『生命の實相』を讀(よ)ませなければならないと考へてゐたのである。すなはち良人の假相(けさう)を見てそれを磨(みが)き出さねばならないと考へてゐたのである。

 

 

 

ところが今度は良人の假相(けさう)を見ず、良人の「生命の實相」のみを見てそれを拜(をが)むことを身に體(たい)し、身體(からだ)に行(ぎやう)ずるやうにされたのである。その時不思議に良人の『生命の實相』に對(たい)する態度が變(かは)って來た。

 

 

 

今までは、「『生命の實相』などに書いてあることはみんな自分は知ってゐる。それよりもこれを讀(よ)め」などと伝って『言志録(げんしろく)』を買って來て信子さんに逆に勧(すゝ)めたりしてゐられたのが、やがて良人は自分の友人が來たときの雑談の際などに「君、この本は大變好(たいへんよ)い本だから讀(よ)んで見給(みたま)へ」などと伝(い)って『生命の實相』を勧(すゝ)めるやうになって來た。

 

 

 

或(あ)る冬の日「煉炭(れんたん)を箱火鉢(はこひばち)に入(い)れよ」と良人が被仰(おちしゃ)った。「ハイ」であるー信子さんは良人の命令を無上命令(むじやうめいれい)としてそのまゝ受取られたのである。

 

 

 

併(しか)し普通の箱火鉢(はこひばち)は煉炭(れんたん)を燃やすやうになってゐないので中々火(なかなかひ)が着かない。良人は再び命令された。「火鉢(ひばち)の灰(はひ)を取除けよ。さうしたら火が移るから。」「ハイ!」ふたゝび信子さんは素直(すなほ)に火鉢の灰を取除いて、箱火鉢(はこひばち)の銅鈑(いたがね)の上に直接に煉炭(れんたん)を置いて、それに火を移された。

 

 

 

「そんな所に見てゐないでこちらへ來い」と主人は伝はれた。「ハイ」と信子さんは行ってまた吩咐(いひつ)けられた仕事をしてゐられた。すると暫(しばら)くすると異様(いやう)の物の焼ける匂(にほ)ひが燻(くすぶ)りと共(とも)に入って來たのである。

 

 

 

隔(へだ)ての襖(ふすま)を開いて見ると驚くべし、煉炭(れんたん)を入れた箱火鉢(はこひばち)の底が煉炭の火力の強さで焼け通(とほ)って火鉢の下まで火が通って、旺(さか)んに煙を吐(は)いてゐるのである。その瞬間信子さんは良人を呼ばれた。「お父さん」「ハイ」「一寸來(ちょっとき)て下さい。」「ハイ」良人は實(じつ)に素直にその部屋へ入って來られた。

 

 

 

「すみませんが、此(こ)の火鉢そちらの端(はし)を擔(かつ)いで下さい。」「ハイ」常(つね)なら決して妻から物(もの)を吩咐(いひつ)けられて「ハイ」と返事をするやうな良人ではなかった。

 

 

 

併(しか)し此(こ)の時、此(こ)の主人は實(じつ)に從順(じゆうじゆん)な良人(をっと)であって、信子さんの吩咐(いひつけ)に三(み)たび「ハイ」と應(こた)へられたのである。單(たん)に言葉で返事をせられただけではなく、返事と同時に身體(からだ)が動いてゐるのである。

 

 

つづく

 

 

 

谷口雅春著「無門關解釋」    第十七則 國師三喚(一)

 

 

 

 

今日私しは気づいたのである。それは

 

今までは良人をまだ修養の餘地(よち)ある不完全者であるとして見て、それを修養させるために『生命の實相』を讀(よ)ませなければならないと考へてゐたのである。すなはち良人の假相(けさう)を見てそれを磨(みが)き出さねばならないと考へてゐたのである。

 

 

と書いてあるように、女房を上記のように見ていた事に気づいたのである。笑!

 

初は女房は素直に従っていたのだが、途中から私しがああしなければダメだとか言い出してから反発するようになり、まわりを見ても「女房にはやらせない事にした」とお同じなのでほっていましてやりたいと言ってきてもやらせてやるものか?ぐらい思っていまして、それが

 

女房の假相(けさう)を見てそれを磨(みが)き出さねばならないと考へてゐたのである。

 

此処だったんだと今ごろ気づいたと言う事です。笑!自分一人でやるより女房にもやらせた方が早く効果が現れると思って強制するのですね!そうすると家庭に宗教争いが出て不調和となり色々な人生問題が出て来るという事です。最初にやり始めた人がやれば良いと云う事です。これを知ってから我が家は平穏になりましたが、女房を良くしようと思っていたのですね。笑!初めて気づきました。