無門關解釋

 

 

第十一則 州勘庵主(しうかんあんじゅ)

 

 

趙州(でうしう)一庵主(あんじゅ)の(ところ)に到(いた)って問(と)ふ、有(あ)りや有(あ)りや。主(しゆ)、拳頭(けんとう)を竪起(じゆき)す。

・・・以下省略・・・

 

 

無門曰(むもんいは)く

 

一般(いつぱん)に拳頭(けんとう)を竪起(じゆき)す、甚麼(なに)としてか一箇(こ)を肯(うけが)ひ、一箇を肯(うけが)はざる。

・・・以下省略・・・

 

 

頌(じゅ)に曰(いは)く

 

眼(まなこ)は流星(りうせい)、機(き)は掣電(せいでん)、殺人刀(さつにんたう)、活人劍(くわつにんけん)。 

 

 

 

 

 

解釋(かいしゃく)

 

 

昨日の終わり

 

 

そこで最後(さいご)に二庵主(あんじゅ)の心境(しんきやう)の優劣(いうれつ)に就(つい)いて私の判斷(はんだん)を述(の)べて置(お)きたいと思ふのである。

 

二庵主(あんじゅ)ともたゞ「拳頭(けんとう)を竪起(じゅき)した」と伝(い)ふのであるから、それ自身の形のみを見たのでは優劣は分からぬ。心(こころ)を見たときにのみ優劣が判(わか)るのである。

 

ところが二庵主(あんじゅ)の心を見ようにも心の状態ー拳(こぶし)をどう伝(い)ふ意味に於(おい)て突(つ)き出したかーは書いてはない。それでは二庵主(あんじゅ)の心の優劣はどうして判(わか)るのであるか。

 

 

ー諸君(しょくん)はこれをどうして知り得(う)るとするかーこれは私が諸君に對(たい)して提起(ていき)したる公案(こうあん)である。

 

こんな問題に迷ふやうでは、眼(まなこ)は流星(りうせい)、機(き)は掣電(せいでん)とは伝(い)へぬであらう。さては如何(いかん)?

 

 

 

 

 

つづき

 

 

私をして應(こた)へしめるならば二庵主(あんじゅ)が同じく拳(こぶし)を竪起(じゅき)したのは、二庵主(あんじゅ)の力(ちから)ではなく、趙州(でうしう)の心境(しんきやう)が招(よ)び起(おこ)したのであることは既(すで)に述(の)べた通りである。

 

 

 

さうすると、趙州(でうしう)が前(さき)の庵主(あんじゅ)は「水淺(みづあさ)うして(舟工)(ふね)を入(い)るるに足らず」と抑下(よくげ)し、後(のち)の庵主(あんじゅ)に對(たい)しては「能縦能奪(のうしょうのうだつ)、能殺能活(のうさつのうかつ)」と伝(い)って作禮(さらい)したのは、

 

 

 

趙州自身(でうしうじしん)の標準(へうじゆん)による優劣の批判ではなく、前庵主(ぜんあんじゅ)はさう伝(い)ふ無禮(ぶれい)な取扱(とりあつか)ひを受け、後庵主(こうあんじゅ)はさう伝ふ鄭重(ていちょう)な取扱ひを受けるだけの心があったのだとしなければならぬ。

 

 

 

趙州(でうしう)の心は庵主の動作に現(あらは)れてをり、庵主の心は趙州(でうしう)の動作にあらはれてゐるのである。

 

 

 

「有(あ)りや、有(あ)りや」と趙州(でうしう)が問(と)ひかけた時に、甲庵主(かふあんじゅ)も乙庵主(おつあんじゅ)も拳(こぶし)を竪起(じゆき)して「有(あ)ると伝(い)ふのは握(にぎ)ってゐることだ」と拳(こぶし)を握って示したところまでは、趙州(でうしう)の心(こころ)の反影(はんえい)である。

 

 

 

「握らなければ本來空(ほんらいくう)、どこにも引(ひ)っかゝるところがない」と、甲庵主(かふあんじゅ)が「心(こころ)」で答へたであらうことの反影(リフレクシヨン)が「水淺(みづあさ)うして(舟工)(ふね)を入(い)るるに足(た)らず」と伝ってサッサと引退(ひきさが)った趙州(でうしう)の應作(こたへ)に現(あらは)れてゐるのである。

 

 

 

「握(にぎ)らなければ本來空(ほんらいくう)、どこにも引っかゝるところがない」ならば、それは「水が淺(あさ)うして(舟工)(ふね)を入(い)るるに足(た)らぬ」ではないか。

 

 

 

港(みなと)に(舟工)(ふね)が入(い)るには水がなければならぬ。船が入港するのは水と伝(い)ふものに船底が引っかゝってゐるからこそ出來ることであって、「握らなければ本來空」などと伝ってゐると、その「空」なるものに引掛って港に入港することも出來ねば、港から船員が航海中に必要なる飲食物をも積込むことも出來ぬ。

 

 

 

空佛教(くうぶつけう)」に引掛ると人生の意義がなくなって了(しま)ふ。死ぬるも生くるも空(くう)、健康になっても空、大事業しても空、忠義をしても空、親孝行しても空、これでは何にも生き甲斐がなくなるではないか ー 『理想世界』誌の前身(ぜんしん)『行(ぎやう)』の創刊號の体驗談に出てゐるが、

 

 

 

結城(ゆふき)大尉が肺病にかゝって、もう死ぬかも知れぬと思って、人生の意義を知らうとし、當代隨ー(たうだいずゐいち)の佛教界の碵學(せきがく)だと思って加藤咄堂(せつだう)老師(らうし)に人生の意義をたづねてやったら加藤老師は一冊の自分の著書をその答として送って來た。

 

 

 

結城大尉はそれを讀(よ)んで見ると「生くるも空、死ぬるも空」なる空佛教の原理が書いてあるので、讀めば讀むほど人生の意義を失ひ、病状更(さら)に惡化するのであった ーこれは「水淺うして(舟工)(ふね)を入るるに足らなかった」のである。

 

 

 

加藤老師の悟の水が淺かったのでないならば、結城大尉の汲(く)んだ水が淺かったのである。併(しか)し淺い柄杓(ひしやく)しか持ち合せないところの汲み手にはそれでもたっぷり汲めるやうに生命の水を加減して與(あた)へる必要があるのである。

 

 

 

その後結城大尉は『生命の實相』を讀(よ)む機縁に觸(ふ)れて、それを讀むに従って生命の水が滾々(こんこん)と湧(わ)き出て來ることを感じて、さしもの大患(たいくわん)も癒(い)えて了(しま)ったのであった。何故『生命の實相』を讀むときは滾々(こんこん)と生命の水が湧き出て來るのであるか。

 

 

 

「有(あ)りや、有(あ)りや」と尋(たづ)ねるやうな相手には「こゝに有(あ)る」と伝って「生命」を直指(じきし)して示さねばならぬ。「本來空」などと伝ってゐては當時の結城大尉のやうに人生の意義を失ふ。『空の佛教』は『般若經』までである。

 

 

 

華厳(けごん)、法華(ほっけ)、涅槃(ねはん)になると「實の佛教」になってゐる『華厳經』は一塵(じん)の内にも無邊法界(むへんほつかい)の内にも遍滿(へんまん)する久遠不滅(く

をんふめつ)の大日如来(だいにちにょらい)を説き、『法華經』は「五百千萬億那由他劫以前(ひゃくせんまんおくなゆたこふいぜん)から實にあるところの生き通しの生命(いのち)」を説き、『涅槃經』は「月(つき)の性本來没性(しやうほんらいもつしやう)なし」と伝って「常樂我淨(じやうらくがじやう)」の不滅の我(われ)を説いた。

 

 

 

前庵主の拳頭堅起(けんとうじゆき)が意味するところが、水淺うして(舟工)を入るるに足りなかったのは、空佛教であり、人生の希望を失はしむるからである。

 

 

 

後庵主が能殺能活(のうさつのうくわつ)であるのは、その拳頭堅起(けんとうじゆき)によって、「此處(ここ)に汝の求むる久遠不滅の生命あり」と直指したところにあるのである。

 

 

 

空佛教から向上して、實在無限荘厳(じつざいむげんしやうごん)の蓮華臧世界(れんげざうせかい)を此(こ)の日本國であると肯定(こうてい)しない限り、日本國家に對する忠の意義を本當に知ることは出來ないのである。

 

 

 

 

谷口雅春著「無門關解釋」第十一則州勘庵主(完)

 

 

 

 

☆ お分かりになられたでしょうか?笑!

 

「日常生活の中の真理」という谷口雅春先生の御本があります。

 

その中に
 

・・・「御飯食べたらお茶碗洗え」と云うのもお茶碗だけの話しだと考えておりましたら、他のことはみんな駄目です。それを知ってもう一遍「無」にかえらないとあらゆるところに応用が利かないと云うことになります。どうしても自分が一切の“つかみ”を放して、一遍無色透明になった時に、初めてすべての教えが自由自在になって来る、と云うことになるのであります。・・・

 

と書いてあります。この辺りの事ではと思いますが分かるところとわからないところがありますね!難しいですね!笑!無の関門を通り抜けて実相に超入する!

 

 

 

 

★先祖供養すると病気やあらゆる人生問題が解決しますので、書いています。

 

◯ 霊界への移行と死後の霊魂の状態

 

一般普通人の霊魂の、肉体死後間もなくの状態は、現実世界の臨終の状態のつづきの状態を経験するのである。心境が急激に変わることはないからである。霊魂が肉体を脱皮して新たなる境涯に入る過程は、毛虫がサナギの状態から脱皮してはねの生えた蝶の状態に移行する過程にも似ている。

 

それは、霊界への出産、ともいうべき状態で出産の陣痛ともいうべき断末魔の苦しみを経験する。(もっとも悟境に入っている霊魂は無痛分娩とでも謂うべき安楽の状態で、意識を持続しながら霊界へ移行する)

 

断末魔の苦しみを味わう霊魂は、神の慈悲によって、ある程度以上の苦痛を免除して、ある期間人事不省の無意識状態に入る。(人により長短があり、間もなく意識を回復する者もあるが、長きは数十年にわたり人事不省のまま継続するのもある)

 

それは各自の過去の業因の相違によって業果が異なるのである。その人事不省の無意識状態が長きにせよ、短きにせよいずれにせよ、霊界に於いて意識を回復したときには(その人にとって無意識中のことは心の中に存在しないからである)

 

生前、臨終の際の状態が、記憶の世界に蘇生(よみがえって)来て癌で死んだ人は心に癌の苦痛が復活して来て、霊界でその癌の症状をその幽体に継続する状態を仮作(けさ)し苦しむようになるのである。

 

 

 

※ こういう霊魂に貴方は死んで霊界に行ったのですよ、肉体は無いから癌もありませんよ、これから聖経あげますので、これを聞いて高き霊界に進み給えと言って当ブログの聖経「甘露の法雨」を毎日あげてあげますとだんだん自分が死んだ事が分かり、肉体がないこと。癌も無いことが分かり、癌の苦しみの念波を送らなくなり、現実の近親者の癌が消えた体験がたくさんあります。(詳しくは当ブログ先祖供養を!)