「生命の實相」に学ぶ 第四十巻ー⑤

                 第四十巻家庭教育篇

 

 

◎病気はない

 

 

さて、第四十巻になりました。問題を出さしていただく私にとって、とても勉強になりました。問題を出すために、私自身が、熟読せねばならないからです。心から、皆さまに御礼を申し上げます。

 

 

 

 

○生長の家では、「病を治す」ともいい、「病気はない」ともいいます。それを、どのように説明しますか?

 

 

 

「生命の実相」第40巻 152ページ(携帯版159ページ)に

 

 

『生長の家は病気に対しましても―病気を治すという言葉を仮りに使う人がありますけれども、病気を「治す」ではないのであって「病気はない」なのです。

 

 

 

それは哲学上の本体論の上から「病気は本来実在しない」と申し上げるのです。

 

 

 

病気を治す」とか「治りたい」とかいう言葉には病気というものを認めて恐れている恐怖心が入っているのです。

 

 

 

だから精神治療の方から申しますと、「病気を治したい」その「たい」を脱却しなければ、恐怖心を伴うから治りにくいのです。

 

 

 

だから、天理教でも「惜しい」「欲しい」「欲と高慢」―これが迷いだと教えています。

 

 

 

「病気はない、死なぬ」というのが生長の家の説くところであって、死なぬ、決して死なぬ―この永生の自覚に入るとき、恐怖心が滅して治るべきものならば速やかに治るにいたるのであります』

 

 

 

(完)

 

 

 

 

 

 

 

ここに、生長の家の根本的な真理が、説かれています。「病気はない」という根本的な生長の家の説く真理こそ、奇跡の根源であります。

 

これでー応、全四十巻終わりましたが、別に新しい形で「生命の實相」の真理の探究を、続けさしていただく覚悟でございます。

 

『生命の實相』は、読めば読むほど、新しい真理を、私たちに教えてくれる、永遠に人類を救う、神が谷口先生をとおして書きしるされた「聖なる書」であります。

 

 

 

 

徳久克巳著「生命の実相」に学ぶ    第四十巻 ー ⑤

(著者紹介 医学博士 産婦人科医 生長の家理事長)

 

 

 

 

 

 

☆ 本当に長い間お付き合いありがとうございました!今日で「生命の実相」に学ぶは終了です。

 

生長の家は「すでになりたり」です。神さまに頼む時も治して下さい?合格させて下さいと言う頼み方はしません、すでに治りましたありがとうございます。既に合格しましたありがとうございますとお願いします。下記の今日の最後も何処どこまでも深ーい真理です!

 

 

 

◉「生命の實相」 第40巻 152ページ

・・・省略・・・

入学試験を受けるというような場合に例を引いて申しますと「入学したい」というのが、これ普通の世界で言う言葉です。生長の家ではもう「入学している」とこう言うのです。この「すでに入学している」という言葉には恐怖がないのであります。ところが「入学したい」という言葉になりますと、同じ「入学」の言葉でも「辷(すべ)るかもしれぬ」という予想を伴っているので、恐怖心をそそる言葉になるのであります。

 

誰でももし「死なぬ」の自覚に到達すれば、永遠に不死の生命、生き通しの生命、不死身を自覚したわけですから、縦横無尽の活動を発揮することができるのです。昔から本当に活動した人とは、この「死なぬ」の自覚に到達した人が多いのです。

 

・・・本文(上記)・・・『生長の家は病気に対しましても―病気を治すという言葉を仮りに使う人・・・

 

・・・恐怖心が滅して治るべきものならば速やかに治るにいたるのであります』
 

 

昔から日本精神に色々の解説がありますが、私はこの「死なぬ」精神、久遠精神、いつまでも滅びない精神、久遠から今に栄えているところの精神、これが本当の日本精神であると思っております。

 

 

久遠皇位、万世不易、天壌無窮(てんじょうむきゅう)―いずれもこの久遠精神の直観把握としての叙述であり、理想であります。しかもそれはー遍死んでそうして、その死んだ境地を通って来たところの「死なぬ」久遠精神でなければならないのであります。

 

 

木花咲耶姫命(このはなさくやひめ)が八尋殿(やひろどの)にて四方より火を点けて火中にあって焼けずに皇子を生み給(たま)うたところの、一度「死」をくぐり抜けて来たところの「生」であります。すなわちー遍遺言状を書いて死んでしまってから、それから再び生き通している生命であります。

 

 

生長の家式に言い換えると、一度「肉体なし」の自覚に立ってからの不死の自覚であります。肉体の存在を本当に撥無(はつむ)し、否定することができないで、肉体はあるあると
思っている人にとっては、やはり「死ね」というしかしかたがない。生きようなどと思うな、死んでよいという気になりなさい!」こういう喝によって本当にその人に活力が出て病気が治るということにもなります。

 

 

決死の中にも色々ある、生還の中にももいろいろある。決死が悪いのでもなければ、生還が悪いのでもない、その奥その奥ヘと入って行かねば本当のことは解るものではないのであります。

・・・以下省略・・・