◎ 生命の實相第三巻
○ 第五章思念の力
日本国民は、今や第二次世界大戦をへて永久平和の一つの世界―地上天国建設のために重大使命をはたすベきー過程を通過したということができるのであります。
第二次世界大戦をとおして、多くの世界に分立していた世界が、二つの世界にまで縮まったのであります。
われわれは二つの世界がーつの世界に融合してしまう過程において、戦争なく無血平和ににそれがとげられることを希望せずにはいられないのであります。
わたしは先年「光明思念連盟」というのを提唱して、思念の力によって「平和」と「調和」の想念を送ったことがありました。
すなわち満州事変に際して昭和六年十二月より協力一致、一定の時間を期し、、北支の光明化に祈念の精神波動を送り、二月よりは上海を始め全支部の光明化祈願を念送したのでありましたが、一人の誠でも天地を貫く。
『生長の家』誌友有志者の光明化祈願念送は、たしかに効果を奏したのでありました。
その結果は本書の光明篇に記載されている久保田儀蔵氏や雁金幸寿氏に起こった奇跡ともなって現われ、さらに、昭和七年二月二十九日においては、
わが陸軍増援軍運送船のパイロツトたる誌友森本宏氏が、暗夜に揚子江の激流を逆風に逆らいつつ十マイルをさかのぽり、三月一日未明の暗黒中に、
七了口(りょうこう)にある上陸地点のブイを瞑目静座したまま霊眼にて見いだし、増援軍を予定の時に予定のとおり上陸せしめて、十九路軍がすみやかに撤退し、当時戦禍が拡大しないですんだのです。
当時「生長の家」は発祥まだ日浅く誌友はようやく五百でしたたが今はその信徒は百万に達せんとしています。
わたしはさらに世界全国の人たちを世界全体の光明平和促進のために、光明思念を念送するための同志として欲しいのであります。
キリストも「二人心を合せて祈ればなにごとも成就する」と聖書にいっています。ー人の誠でも天地を貫くが、一人より二人がよいのは、誠は数かさなるほど有力なる現実的力となることを示しているのであります。
今は百万人の誠の精神波動の協力を要する時であります。
太平洋戦争中にもわれわれの光明思念の同志がその艦に艦長または機関長であった間は全然無傷であったが、その同志が下船したあとで轟沈した軍艦は実に多いのであります。
次に精神波動は現実的力であるということを証明する参考として誌友田平義勝氏からの実際の手紙を次に掲げてみましょう。
「本月の誌友会にぜひもう一度、いな毎月おうかがいして御指導を受けるつもりでおりましたが、どうやらさしつかえるらしいので、遺憾ながら不参加いたします悪(あ)しからず。
次のお集まりにはまいりたいと祈っております。当日がまいりまして、行けるだけの余裕を見いだせばすぐ飛んでまいります。
ちょうど本月まいりましてお話(はなし)したいわたしの実際会った実験といえばちょっと不適当ですが、霊的波動と申しますか、一念の祈りが、どれだけ遠隔地からでもその祈りが波及されるものであるかということをお話(はな)しいたしたいと願っておりました。
これによって本部より各地に放送さるる神想観実修について先生のいわれることが事実であることを、幸いにお集まりに御話しくださいますれば満足にぞんじます。
大正十五年の初秋より、わたしの実父はフトしたことから病床につき種々方法を講じましたが、癒されず医師も老衰とのみ申し、滋養物もなんの効なくだんだんに弱り十一月の初めにとうとう他界いたしました。
このときです、先にお便りしたキリスト教のわたしがイエスの福音を述べんとすれど、
仏に完全に救われて大安心の境地におる父の心は、かえってわれわれ看護するものがさとりを聞かされるくらいなことで、とうとう牧師のすすめも裏切って、福音をのベ伝えることができず煩悶したことがあります。
(実はわたしの愚兄は日蓮研究もなし真宗も体得しておりますが、相当宗教的に恵まれております。幸いにほとんどニヵ月職をさって父の看病につとめてくれました)
かくして日ー日と衰え、もう死に直面していながら息をひきとることができない日がいく日か続きました。
潮の満干(みちひ)を見たり、種々親戚の者たちが考えたりしておりましたが、最後に伯父がひよっとしたらなにか神様に願をかけているのではないかといいだしまして、
それでは扇子のかなめをとり屋根棟を越さしたらばよい、その願はきっと解けるというので、それも実行いたしましたが、なおなんら効果がないのでした。
クリスチャンのわたしは、それみよそんな迷信がどうなるかとひとり心に思ってておりました。ところが今度はたったー人のわたしの姉が朝鮮の鎮南浦(ちんなんぽ)におります。
こんどは、伯父がかねて病気を通知しました病態を常に聞いたり知らせたりして通信しておりました姉がなにか全快のため願をかけているのでないかとその時愚兄が思い出し、
なるほど父の病気のいやされんために(姉は金光教の信者でした)神に祈っていると常に申してきているので、さては姉が願をかけているに相違ないと申し、さっそくわたしが左のような電文を打電しました。
午後十時ぐらいと思います。「チチクルシムガントケ」翌日になっても父は虫の息でただ苦しむのみ。なんら異常ががありません、翌日午後零時すぎふたたび局に行き打電しました。
「チチクルシムガンカケルナ」すると、午後二時三時がすぎ午後四時近くに姉から「デンミタガントケタ」という意味の電報がまいりました。
朝鮮から電報とのことに父は最後の言葉でなにをいってきたかとわたしらに問います。
偽りではあったが慰めるべきことばをいい終わる終わらないうちに、「起こせ、起こせ」と要求され、兄弟二人して起こすか起こさないかに、父は安らかになんの苦しみもなく息もただ吐く息のみにて眠るがごとく他界したのでした。
そのときを思い出しますとき、いつもこの霊異に不審を抱いていたのでした。後で姉にききますと、第ーの電報のときは、商家に嫁いでこれまで電報のよく誤ることを知り、
電信符号に心得のある姉は「チチクルシムガントケ」の卜の字は、たしかにヵの謝りであると思い、かつ電信符号も卜とカは誤りやすいのでありますから、
この「チチクルシム」の次に「ガントケ」とする意味も、ちょっと親子の情としてはいたしがたいものだと思い、電文の書き方も悪かったと思いますが、その電文により日頃の信仰にいっそうよりをかけ一所懸命に祈ったものであります。
ために病人は多少快方であるかのごとく見受けられましたが、死ぬべき病人が死にきれず、幸か不幸か一日を生きのびたわけであります。
今から考えましても長い月日の間に、ごくよい日もあればまた今にもとも思う日がありました、これらはすべて姉やわたしら兄弟の、よくなってもらいたいという祈りの強い日と弱い日とある精神波動の現象であることは事実であります。
先生、これが偶然の出来事だと思う人は多いだろうと思います。
しかしその当時はわたしもキリスト教万能、他宗は邪教(ぐうぞうすうはい)とのみ信じておりましたのですが、そのときからのわたしの信仰に疑雲がみなぎりはじめまして、以前のような信仰進めなくなったのであります。
なんとなく足らざる感に打たれたのでしよう。それからのわたしの信仰はかえって消極的であり恐怖的な心理状態でした。
しかし今度こそ判然と握ることができました。そしていっそうキリスト教に安心して進むことができ、神とその霊界を十分黙視されることができたことを「生長の家」を通じて神に感謝しております。
集まりには出席いたしましてこれらを十分お話し御参考にしていただきたいと思いましたが、遺憾ながら出られないようすなので大略を申しました。
なにとぞこの原理を十分お話しおきくださいますれば、本部からの神想観の放送はよりよく誌友に会得されることと信じます。(下略)」
つづく
谷口雅春著「生命の実相第三巻」 思念の力
☆ いよいよ「生命の実相第三巻」最後の章「思念の力」です。第三巻も後二〜三日で終わります。不思議ですね!今年も後六日です。生命の実相一巻から二巻、七巻、三巻と連載させて頂き今年の最後に「生命の実相」の連載も最後となります。今までお付き合い頂き有難う御座いました。この後は何を掲載するかは決めていませんが、これから考えようと思っています。