「生命の實相第三時」
◎ 心の平和に到達する真理
○ 家族の心病むがゆえにわれ病む
この実例でも解りますように、他に難癖をつけて、その人から害されたと強いて思おうとする。
害されたという事実を肉体にあらわすことによって相手を打ち負かし、征服しょうとするー
こういう場合の征服欲は自己虐待欲に転じてくるものでありますから、その人の潜在意識は自己の肉体に残酷な傷害を与えるのであります。
家庭に精神的争いがあると、その家に病人が絶えないのもそのためであります。
非常に徳の高い方でも、他の家族たちの心がみがけず、争いが家庭に絶えないような場合に、
口に出して、ソレと露骨に他の家族たちをたしなめることを心なきことにして、そのたしなめる言葉を腹にもって黙っていられるような場合には、
別にその本人はわざと病気になって家族を誡めてやろうと思わなくとも、
抑圧されて無意識界に潜んでいる心がそのたしなめる言葉を肉体の上に病気として現わさしめて、家族たちを無言のうちにたしなめているようなこともあります。
『維摩経(ゆいまきょう)に「衆生病むがゆえにわれ病む」と維摩居士(ゆいまこじ)がいっていますが、「家族の心病むがゆえにわれ病む」というような病気もあります。
じっと一家の責任者が病気になって寝ているのは、家族全体に対する無言の叱責であることもある。
それに気がついて家族の各自が互いに反省して心の争いを解いてしまうと、主人なりその家の責任者の病気も治るのでありますが、
病気の原因である自分達相互の心の縺(もつ)れを解かないでいながら、主人が病気になったといっては医者を呼んで来て、薬を強制する、鍼(はり)を強制する、罨法(あんぽう)を強制する、
その他いろいろの物質的治療法で病気を征服しょうとする場合が多いのでありますが、
そんな物質的方法で治ってしまっては、「無言の叱責」をせっかく具体化(かたちにあらわし)したのがなんの役にも立たなくなるので、その病人の潜在意識は断じてその病気を治さないのであります。
このような場合、その病人の病気を救う道は、家族全体が心から互いに和解することであります。
だから家族に病人のある場合には、病気にかかっていない他の家族たちは医者を迎えに走るのも悪くはないが、
それと同時に、互いに心の争いがないかを反省してみて、互いの心の争いを解くようにすると、病気の回復がスラスラゆくようになるのであります。
谷口雅春著「生命の實相第三巻」心の平和に到達する真理(完)
☆ 医学博士の徳久克巳先生は
社会の多くの人びとは、このような人間の「心のシクミ」を、知りませんので、この事実を皆さまが、よく理解して、自分の周囲のー人一人に、おしえてあげてください。
「同情を求める心」「つぶやく心」をすてる、たったこれだけのことを、実行するだけでも、人生が、どんなに「幸せ」になるかわかりません。相手に、よく説明できるまで、操り返し読んでください。自分だけわかって、自分だけ「幸せ」になればよい、と思っているのは、エゴイストです。
と書いておられます。