「生命の實相第三巻」

 

 

◎第三章 心の平和に到達する真理

 

 

○同情を求むる心ー不幸を招く心

 

 

 

つづく

 

 

 

「生長の家」に「ひとから同情せられようと思うな。実際同情せられねばならぬような状態になる」という「智慧の言葉」があります。

 

 

 

これは病気の治療にも当てはまるのでありまして、病気の原因にもいろいろありますが、

 

 

 

「どうもあの人は気の毒な人だ、姑さんから苦しめられて、あんな病気にかかったのだ」とひとから同情してもらいたかったり、

 

 

 

または自己同情したかったりする気分が、潜在意識(かくれているこころ)の底に潜んでいるために、

 

 

 

病気をわれとわが心で起こしている人もずいぶんこの世のなかにはたくさんあるのであります。

 

 

 

この同情されたかったり、自己同情したりする心は、どこから起こるかといいますと、

 

 

 

人間の実相(ほうんとうのすがた)は神の子であって、本来無形のものである。

 

 

 

無形であるから、何物にも縛られない自由自在なものである、金剛不壊の霊的実在であるということを自覚しないからであります。

 

 

 

このいかにしても害しようのない、金剛不壊の自分自身でありながら、その「本当の実相」というものを悟らず、

 

 

 

他(ひと)とか物とか事件とかが自分を害したと思う、害したと思うと、腹が立つ、腹が立つとそこによくない精神波動を起こす、

 

 

 

類は類を招(よ)び、自分のよくない精神波動は、宇宙に漂っているよくない精神波動を招び寄せて、

 

 

 

ついにその精神波動が形に化(か)して病気を具体的に起こすことになるのであります。

 

 

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

谷口雅春著「生命の實相第三巻」 心の平和に到達する真理

 

 

 

 

 

☆ いつも書いていますが、医学博士の徳久克巳先生は病人に何回も病気を治していいんですね!と聞くという事です。現在意識では本人は病気を治したいと思っているのに、潜在意識では病気が治ったら都合が悪い場合があるからです。

 

それから、蛍光灯の灯りは発電所の電気がついています。蛍光灯は道具です。テレビは放送局の電波が映っています。テレビは道具です。人間は実相世界の霊波が映っています。肉体は道具です。勿論道具が壊れていては映りませんので手入れは必要です。

 

雅春先生は映画の映写機で説明されています。フイルムは実相世界、スクリーンが現象世界、レンズは心、光が神・仏、レンズが歪むとスクリーンの影も歪みます。

 

現象世界の病気を治すにはスクリーンをいくら治しても治りません、心が実相を観ると実相世界は円満完全ですから、心の歪みが取れてスクリーンに健康が映るという事です。

 

医学博士の徳久克巳先生は心が病気や問題を作り、心を治せば病気や問題は治るが、いつまでもこれに頼ってはいけないこれは初歩の治し方です。心もなしと、ただ神のみ仏のみ実在するとならなければならないと説いておられます。