「生命の實相第三巻」

 

 

◎第三章 心の平和に到達する真理

 

 

 

◉ 昨日のところです

 

しかもかれはヨハネ第一書(だいいちのふみ)でだんことして「未だ神を見しものあらず」と宣言しているのであります。

 

そこがヨハネの偉いところで、神というものは無形のものであって、それが形に顕われて見えたところが神そのものが見えたのではない、それは神の救いの霊波をただ客観化して感じただけである。それを知っていたヨハネは偉いのであります。

 

 

 

つづき

 

○自他は一体である

 

 

神というものは無形のものであり全体であるから、「自」といい「他」といって区別するのは迷いであります。

 

 

 

神が無形であり、その神より出でたる自分が無形の存在であるということが解ってきますと、「自他が区別すべからず一体」であるということが解ってくるのであります。

 

 

 

「自他が一体」であるということが心の底から感じられるーこれがすなわち「愛」であります。

 

 

 

親が子を愛するという、これは自分の身体から出て、現実に親は子供と一体であるという感じを得るのであります。

 

 

 

しかし、この肉体というものに捉えられている限りは、肉体がはなれていては一体でないというような感じがする、そこに愛というものが感じられないで、自利的利己的感情のみが感じられてくることになってしまうのであります。

 

 

 

ところが一たび、霊眼はもちろんこの肉眼で見える肉体でさえも本当の実在ではない、本当の自分ではない。

 

 

 

「本当の自分」というものは無形のものだということが解ってきますと、

 

 

 

無形のものなら、ここからは自分、そこからは他人という区分がつけられない、自他の分離の感じがあるべきはずがない、

 

 

 

そこで本当の自他一体(愛)ということがしみじみと感じられてきて、愛の行ないがひとりでにできるようになってくるのであります。

 

 

 

すると、神は自他一体すなわち「愛」でありますから、自分の内の神が生きてき、

 

 

 

神が生きてくると、神は生命であるから、自分の生命がいっそう生き生きしてきまして、

 

 

 

その顕現(あらわれ)としての肉体もいっそう生き生きとして健康になってくるのであります。

 

 

 

 

つづく

 

 

 

谷口雅春著「生命の實相第三巻」 心の平和に到達する真理

 

 

 

 

 

☆ 読んでわからないのは書いている人が分かってなくて書いているからでありますと雅春先生は書いておられます。自分が悟る前の文章は難しくわからないですね!と書いておられます。

 

凄いですね!今日のところも、昨日もジンジン来ましたが、今日のところも感激というか、言葉になりません!笑!

 

神というものを、縦横斜めあらゆる角度から説いておられます。よくマア神を縦横無尽に上手く言葉に書けるものですね!感心します!笑!

 

読みながら雅春先生はどこまでご存知なのだろうか?と思ってしまいます。笑!