生命の實相第三巻

 

◎ 光明篇 生命円相の真理

 

 

 

○ 早期破水者の自然安産

 

 

 

 

先日も、もしその人が「生長の家」の誌友でなければ危うく人工難産を起こすところでありましたが、「生長の家」所説の真理を知っていられたがために、自然安産せられた例があります。

 

 

 

その方はわたしが二、三回無痛分娩の暗示をしてあげた方でありましたが、不幸にして早期破水をせられて、出産の時に胎児がすべり出るための潤いがなくなったのであります。

 

 

 

そして早期破水をしていられながら、無痛分娩の暗示がきいているので、破水後約一昼夜にわたってなんらの痛みも起こさないで、破水したために、かえってお腹がラクになったと本人はいわれるほどでありますが、

 

 

 

医者は破水後長く産気を催さないのでは陣痛を促進する注射をしなければ胎児が弱るといったそうであります。

 

 

 

しかし、わたしは注射などという不自然なことをして出産を早める必要はない、破水していても、自然のハタラキで必要なだけの羊水は残っている、自然は医者よりも取るべき処置をいっそうよく知っているといって注射に反対しておいたのであります。

 

 

 

ところがこの方は逆産(ぎゃくざん)をせられたのであります。産口(さんこう)の潤いとなる羊水が乏しい、それに逆児(さかご)であるから、非常な難産であると予想されていたのでありますが、真に産気づくとわずか三分間にして安産されたのであります。

 

 

 

その逆児というと頭から生まれ出ないで逆さに出るのでありますが、足から出て、片足などが出ると危い。ところが、自然の働きは微妙なもので、臀部(でんぶ)から産児(さんじ)が二つに折れになって産まれたのであります。

 

 

 

これは海老児(えびご)といって伊勢蝦(いせえび)のように二つ折れであるから、胎児の太さがふつうの二倍になる。

 

 

 

それに羊水の潤いがないのであるからふつうの逆児(さかご)よりも難産だとせられているのですけれども、本人はそんなに苦しまないでわずか三分間に生まれ出た。

 

 

 

ただその時少し産口(さんこう)が開きすぎて、少しばかり産口に傷ができたにすぎなかった。医者がその傷を縫う時には分娩時に痛さをこらえていたほどの勇敢(ゆうかん)な婦人でも、

 

 

 

泣いて苦しむほど痛い急所だそうでありますが、医者が針を通してウンとシヤクルようにして糸をしめても本人は少しも痛そうな顔をしない。

 

 

 

「これは辛抱強い婦人もあるものだ」と医者は驚いたのでありますが、産婦は「辛抱も何もしていない、ちよっとも痛くないのです」とケロリとしていられた。

 

 

 

無痛暗示で痛覚がとってあっからであります。仮にこの時、医者のすすめに従って陣痛促進の注射をして不自然に早期に陣痛を起こしてありましたならば、

 

 

 

それは不自然であるから自然ほどには息みが足りないで、産気づいても分娩に暇どったでもありましょうし、分娩に暇どれば逆産(さかご)だからという恐怖も焦りも伴ってきて、ついに機械で引っ張り出さねばならぬようにもなったのでありましよう。

 

 

 

ことに重大なのは胎児の分娩時の体位でありまして、それを自然の時期に放任したからこそ、逆産(さかご)では最も適当な位置臀部から出たのでありまして、

 

 

 

「自然」の時期が来ぬうちに注射で人工陣痛を起こして産期(さんき)を早めていたならば、その時の胎児の位置は必ずしも同じ位置にいないので、

 

 

 

胎児は時々手足を伸ばして体位をかえますから、産期によってはあるいは片足などが先に飛び出して来て、真に人工難産を起こしていたかもしれなかったのであります。

 

 

 

慎むベきは不自然な注射で産期を早めることであって、どこまでも自然は医者より名医なりということを知らねばなりません。

 

 

 

フランス・アカデミーの生理学および病理学部長として長期間命名をはせていたマゼンデイ博士の経験こそは実に興味あるものであります。

 

 

 

博士はパリ病院の入院患者を三分(ぶん)して、その甲クラスの患者には、現代医学の発見せるふつうの医薬を服用せしめ、乙のクラスの患者には、ふつうの温和な民間薬を処方し、

 

 

 

丙のクラスの患者には全然薬剤を処方せず、薬と見せかけた澱粉その他の無害無効の普通食品を処方したのであったが、その結果はどうであったろう。

 

 

 

薬物を全然使用しなかった丙クラスの入院患者は最も治癒の経過がすみやかで、温和な民間薬を服用した乙クラス患者はこれに次ぎ、現代医学の公認せる医薬を用いた甲のクラスの患者ほど、その治癒が長びいたのであった。

 

 

 

医薬は自然の治癒機能を速めるか、妨げるかは、この実例によって推断すべきであります。

 

 

 

 

つづく

 

 

 

 

谷口雅春著「生命の實相第三巻」 早期破水者の自然安産

 

 

 

 

 

☆ まず決心を!

 

「諸君よ、自己を弱いと思うな。諸君を弱くするものは諸君自身の弱いという観念だけであるのです。外のものはあなたを弱めることはできない。」

 

医者をしていた時に、「自分はもう治らない」と思っている患者は、医学的にどこも悪くないのに、もっと検査をしてくれと、医者のいうことを聞き入れない患者があることを知りました。

 

「諸君を弱くするものは、諸君自身の弱いという観念だけであるのです」ということがよくわかりました。「人間は、自分ができると思ったことだけができる」ですから自分には「できない」と思ったことは、できないのです。

 

つまり「できるか」「できないか」は結局、自分が「できると思っているか」「自分はできないと思っているか」によって決まるのです。「私は成功する」という観念をもつか「私は成功しない」という観念をもつかによつて、成功するか、しないかが決まることになるのも同じことであります。

 

自分の外の条件によって決定されるのではなく、自分の観念によって決まるのです。「金や物や人があって、仕事ができるのではなく、自分が多くの人のために役に立つ仕事をするのだ、と決心すれば、金や物や人は集まってくるのである」

 

「本当に決心すれば、必ずできる」外界の条件にとらわれず、先ず「決心する」ことが大切です。「決心する」とは、「心を決める」ことなのです