生命の實相第三巻
◎ 光明篇 生命円相の真理
○ 人工難産
医学博士柏原長弘は昭和七年一月二十七日JOBKから「人工難産」と題して「医者や産婆が、産婦や家人の意をむかえんがために、しなくてもよい処置をするために難産を起こすことがある。
少し自然にまかせて待っていればやすやすと生まれるであろうお産を、注射薬や機械の使用で、かえって恐ろしい結果を招くこともある。
これらはまさに人工難産であるといってよい、現代文明の進歩はあらゆる方面に人工または人造が自然の力に代わりつつある。人絹、人造肥料、人造ダイヤ、人工太陽灯、人造人間等々まことに人知の進歩は驚くべきものがある。
医学においてももちろん、科学知識の極致をつくして人類の病苦を除くことにつとめているが、決して自然の力、微妙なる自然の力を無視してならない。
素人も医者もまだまだ自然の力に及ばぬ人工を濫用して、かえって不幸をまねくことのないように心掛くべきであろう」と警告していられるのであります。
「自然の力」とは取りもなおさず、「生命」それ自身の生きる力であります。
内部に存在して、もっともわれわれの病気の症状をよく知っており、どんな人工も及ばぬ自然力で適当の処置をとろうとしている生命自然の力があるのに、
外部から辛うじて、聴診器やレントゲンでのぞいて見て病気を推断する不確かな医者により、多くの場合において必ず治すときまっていない特効薬でない薬を処方され、
その薬の作用は生命の自然の自療力を干渉せしめますから、自然療能は(こう)乱され、生命力それ自身の最初の計画に従って療能をつづけることができず、
治癒の長びき、人工難産はもちろん、人工難病、人工慢性病、人工死亡等を起こすにいたるのであります。
つづく
谷口雅春著「生命の實相第三巻」 ○ 人工難産
☆ 人間無病の原理
宗教の自由が叫ばれ、それが認められるようになってから、ある種の術を施して病気を治す所謂(いわゆ)る「霊術的宗教」の中には、意識的なると無意識的なるとを問わず、
一種の催眠術的暗示によって信者を永久に自己の奴隷として屈従せしめてしまって其の宗教から脱退することに恐怖心を感ぜしめるに到らしめるものが多いのである。
しかし、かかる宗教は、その名称は「宗教」と云われているが、一種の「人格侵害」又は「人格の独立性蹂躙」を行うのであって、それが宗教として甘んじてその横行が許されているのは、
其の取締当局が「宗教とは、人間内在の神性、佛性を開顕して、大宇宙の生命と一體なるところの無限性及び自主性を自覚ぜしめるものなり」と云う根本定義に想到せず
「医者以外の方法で病気が治るのが宗教だ」とか「何でも信ずるものが宗教だ」とか漠然と考えているから、どんな事でも人を信ぜしめて人を集めさえすれば、そしてその信じた人たちが運営する結社をつくって登記さえすれば、直ちに宗教法人となると云うのであるから、
凡ゆる心霊療法やプラナ療法や催眠術は「宗教」と登記して、税金をまぬがれたり「信仰は自由なり」の標語の下に百鬼夜行の現状を呈するようになったのである。
しかし法人は登記によって成立するが、宗教と云うものは登記によって成立するものではなく、その内容によって成立するものだと云うことを知らなければならないのである。