生命の實相第三巻

 

◎ 光明篇 生命円相の真理

 

 

○ 安静ニヵ月を宣告されし肋膜炎患者三日目に入浴す

 

 

わたしが、バキューム・オイル会社に勤めていた頃、会社の女事務員が魚崎の岡田博士にかかって「肋膜炎で三ヵ月間の安静加療を要す」という診断を受けたのであります。

 

 

 

その診断を受けるまでは、その方は自宅から医院まで十数町の道を平気で歩いて行ったのでありますが、その診断を受けると、もう帰り道には歩けないほどの疲労を感じて乗り物に乗って辛うじて帰った。

 

 

 

三ヵ月も会社を休むと会社は解雇になる。その上それほどの治療期間を要するほど病気ならば、よほどの重症に相違なかろうという気になる、心が暗くなり前途が暗澹として悲しくなる。

 

 

 

それでその方はその医師の診断を受けて以来、わたしが見舞いに行くまでー日半ほどの間泣いて泣いて、ただでさえ肋膜炎だと診断されたその胸をキューと引き縮(ちぢ)める思いをしていられたのであります。

 

 

 

ところがわたしがその病人を見舞いに行って、心の法則を語り、人間の生きる力の神秘を語り、どうせずとも病気は治らざるをえない真理を語り、話だけで病気の治った実話などをしていますと、その方は、しだいに心が明るくなり、朗らかな笑いが心からでるようになった。

 

 

 

わたしは物質的薬は与えないが、心に薬を与える、だから医者が三ヵ月で治るといった病気ならーヵ月で治ると約束して帰ったわけでありました。

 

 

 

この患者は三日目に入浴して疲労せず、一週間後には医師が病患のあった肋膜は左側であるか、右側であるか、判断に苦しむほど治っていられたのであります。

 

 

 

わたしはあえてこの種の診断をくだして患者を意気沮喪(いきそそう)させる医者に問いたい。この患者は肋膜炎であったかもしれない、あなたの与える薬は肋膜炎を治すと認められる薬かもしれない。

 

 

 

しかしあなたが患者に与えた精神打撃は、その投薬の治す力の数十倍も病気を増悪する効力を有っているものなのである。

 

 

 

心で病人を殺しつつ、薬で病気を治すと称しつつ、多額の薬代(やくだい)や治療費を徴収してもうけているのが、心の法則を知らない庸医者(やぶいしゃ)の場合の常套手段なのですから、

 

 

 

米国コネチカット州の住民と同様に、だんぜん医療に反対して立ったときの方が、かえって病気が長びかず、死亡することが少なくなるのであります。

 

 

 

しかし心の法則を知る名医はすでにその間の真理を知っていて、心にも精神的光明の薬剤をのましてくれるので、こんな名医にかかるのはその限りではありません。

 

 

 

つづく

 

 

 

谷口雅春著「生命の實相第三巻」安静ニヵ月を宣告されし肋膜炎患者三日目に入浴す

 

 

 

 

 

☆ 下記は医学博士で産婦人科の徳久先生の本からです。

 

○ 自然がなおす

 

私は信じなかった、教授からの贈りもの

 

医科大学を卒業する前の、最後の講義の時には、多くの教授が、大学を卒業して、医者として患者に接する心構えについて、イロイロの面から話しをしてくれました。今でも、心の中に残っているのは、私がトテモ尊敬していた教授の話しです。

 

「諸君は、大学を卒業して医者となり、これから多くの病気をなおすであろう。しかし、病気をなおしても、決してイバってはいけない。なぜなら、病気というものは、医者がなおすのではないからです」

 

ここまで聞いた時に、私は「怒り」がこみあげてきました。

 

私は、医者が病気をなおす、と思ったからこそ、三回も浪人してもガンバって、医科大学ヘ入ったのです。そして、四年間も月謝を払って、医学を勉強して、イヨイヨ卒業して、これから医者として社会へ出よう、と希望に胸をふくらましている時に、

 

病気というものは、医者がなおすのではない、と医科大学の私の尊敬している教授がいうのです。本当に、医者が病気をなおすのでないのなら、医科大学ヘ入学する前に、どうして、そういってくれなかったのか、そしたら、こんなに苦労して医科大学ヘ入る必要はなかったのにと、まことに腹だたしい気持ちでした。

 

ところが、その教授は、

 

「西洋に、こんなコトワザがあるのです。“自然がなおして、医者が儲ける”」

 

これを聞いた時、ますます腹がたちました。自然がなおすのなら、医者はいらないではないか、と心の中で反発したのです。その教授は、コトバをついで、

「それは、チョット医者の悪口をいったコトワザだけれども、本当は、“神が癒して、医者が助ける”というのが、本当なのです」こういいました。

 

神を信じていなかった、当時の私にとっては、「神が癒す」ということは、全然わかりませんでした。私は、心の中で思わず、「そんなバ力なことが……」

 

とツブやいていました。私は、その教授をとても尊敬していたのですが、いっぺんに、その尊敬の念もフツとんでしまいました。

 

 

◉ 私は徳久先生から長い間「生命の實相」の講話を聞かして頂きました。産婦人科の先生ですから、下ネタを交えて笑わせながら病気はない事、実相があり、既に、どうしなくても人間は神の子であり、既に健康で、繁栄済みである事を教わりました。