生命の實相第三巻

 

 

 

○ 「生長の家」とはなんであるか

 

 

 

 

◉ 昨日のところです。

 

東北凶作地の方でこういう方があります。五、六年前から胃病にかかって常に胃痛に苦しめられて医者にかかっても薬を飲んでも治らぬ。これは持病であると思っていられた。

 

その方が『生長の家』を手にし聖典『生命の實相』をお読みになると同時にどんなことが起ったかといいますと……いや、私自身の説明よりも、その人自身の手紙を次に再録しよう。この方が真実味があって好いと思う。

 

 

 

つづき

 

 

 

「その後先生の御教えを信頼し、毎月御発行の『生長の家』を拝見いたし、また安藤てる叔母(おば)に願い『生命の實相』を分けていただき、毎日一所懸命拝読いたしております。

 

 

 

わからぬながらいくらか心安らかになったようにございます。持病五、六年前から苦しみました胃病、おかげ様で忘れたようによくなりました。今では胃痛もなくなり全快いたしました。これもみな先生のおかげと感謝いたしております。

 

 

 

病はなくなりましたが、いつか御話しいたしました借財に毎日苦しめられております。全財産をなげうっても清算つかず足が出る状態にございます。財産などには一つもみれんがありませんが、今後の生活が案じられます。

 

 

 

村でも一、二の地主でございますので今までは小作米で生活いたしておりましたため、主人始め誰一人職業につき別な収入をとる者がありません。収入の道とて一つもない私共一家(主人に子供十三歳女児)は明日から路頭に迷わねばならぬのかと思うと堪(た)えられません。

 

 

 

余りに無理なわからぬお願いではございますが、私共の生活の道を開きこの生活苦からのがれますよう御導き下さいませ。」(安藤かよ子氏よりの来信、原文のまま)

 

 

 

 

 

五、六年来の病気は本を読むだけで治ったけれども治らぬのは経済難生活難だといわれるのであります。

 

 

 

上海で経済難を嘗めていられた久保田氏は生長の家の神の神威(みいつ)に触れて無薬で胃潰瘍を治し、爾来霊感的に心にきざすことが悉くトントン拍子(びょうし)に行って、戦乱の中にいても、却(かえ)って戦乱前よりも経済的に恵まれ、今や洋々たる希望の光の中に新しい活路をひらくべく邁進していられるのであります。

 

 

 

「生命」は邁進のうちにこそ生き甲斐があるのであります。成敗は問うところにあらねども、物質界は「生命」が投じたる影なるが故に、「生命」が光のうちに邁進すれば必ずや好い結果を生ずるに相違ないのであります。

 

 

 

久保田儀蔵氏の三月十日付通信には、

 

 

 

「小生ら一家は相変わらず無人に近きほとんど空虚と化した住宅地に旭旗(きょっき)を門口に立てて居据(いすわ)っています…神様の御指示により行動するという観念のもとに一切の危害を度外視して平和裡に暮しております。

 

 

 

昨年春は一度でよいから何とかして御茶漬けで御飯を頂きたいと思った程の胃潰瘍が、今日では塩魚でもあるときは三杯半も食べて家族のものを驚かしております。

 

 

 

事件中は避難もせず敵弾も恐れず掠奪(りゃくだつ)も放火も受けず、しかも悲観の絶底(ぜってい)にあった病気が約一ヵ月で重湯より粥へ粥より米飯へ変って食事は全く普通になり、身体もめきめき肥え太って参った事を思って誠に生長の家の神様の御蔭を感謝感激せずにはおられません。

 

 

 

もちろん毎月幾円と支払った薬も一口も飲む事もなく…もっとも最近全く甘党と化し、過日餅菓子を十五個一度に食して人に驚かれ家族のものに叱られた次第ですが、そんな時には誠に勝手なもの更に痛みは生じませぬような次第で、友人も家内も小生の健康体になった事には全く驚き悦んでおります…

 

 

 

身体をなおして頂いたこの勢いで一つ事件後の活動に処しても物質にも恵まれ、必ず運命を開拓して行く、否必ず目的が貫徹されるという確信を持って意気軒昂事(いきけんこうこと)に処して参るつもりであります。」

 

 

 

真理の力で病気が治る、病気が治ったならば、同じ真理が経済難、生活難をも治して行くのであります。この真理が愛の神、智慧の神、救済の神として人格化して現われ給うたのが「生長の家の神さま」なのであります。

 

 

 

この真理を生きて行くところに神の守りが生きて来て、病気もなければ経済難もないのであります。さきの久保田氏はここに目覚めようとしていられる。

 

 

 

安藤かよ子さんは目覚める前に、しばし恐怖のために、本当に明るい前途を見る目を閉じていられただけの相違はあります。どちらも真理の悟りで肉体の病気が治ったのでありますからこの悟りを突き抜いて行くことによって経済難を突破するのも今一息のところなのであります。

 

 

 

私から安藤さんへただ真理を開眼するだけの何の奇もない一通の手紙を差上げましたところが既に光の前にいながら、光の眩しさを恐れて眼を閉じていられた安藤さんの心の眼がひらいたのであります。三月二十六日付の礼状には次のようなことが認めてあります。

 

 

 

つづく

 

 

 

谷口雅春著「生命の実相第三巻」「生長の家」とはなんであるか

 

 

 

 

☆ この真理を生きて行くところに神の守りが生きて来て、病気もなければ経済難もないのであります。さきの久保田氏はここに目覚めようとしておられる。

 

と書いてあります。

 

 

病気も経済難もあらゆる問題も本当に苦しいですね!笑!嫌ですね!「生命の実相」を毎日読みながらこんなんでいいのだろうか?

 

「ありがとうございます」を唱えながら又笑の練習しながらこんなんで解決するのだろうか?知らない人が見たら何と思うだろうか?最初は皆んなそう思うとおもいますね。

 

しかし、病気が治り、小さい事が一つひとつ解決していくことでいつのまにか自信ができて来るのでしょう?

 

いや神さまがこっちだよ、こうしなさい、これはダメだチョット救わないとこいつ危ないと思って真理も何もわかっていないのに手助けしてくれたと私は思っています。笑!

 

そうやってだんだん真理の深みにはまっていくのではないでしょうか?いやもっとはまりたいですね!笑!