◎ 生命の実相第七巻

 

 

 

○ 天地の開ける音を聞け

 

 

 

 

諸君は『創世記』の冒頭には「神はじめに天地を創造(つく)りたまえり」とあるのを見られたであろう。われわれの住むこの世界は「造る」ということによって始まっているのである。

 

 

 

われわれの「生命」の本質は「造る」ということ、言い換えれば働くということのほかにはないのである。仕事をすること、創造すること、制作すること―これは生命のハタラキであり神の御業(みわざ)である。

 

 

 

キリストも言っているように、「神は今にいたるも働き給う」のである。では諸君よ、われらも働こうではないか。われらの生きる道はただ働くことのほかにはないのである。

 

 

 

働きを嫌悪することは生ききることを嫌悪することでしかないのだ。まことにも、働くことは「生命」がみずから生きる道を歩むということである。

 

 

 

常にわたしが「生長の家」で説いているように「生命」の本質は「神」であるのである。そして神はまた「愛」であるから、「愛」は「生命を生かす道」一すなわち「働き」によってのみ完成するのである。

 

 

 

働いているときはじめて「愛」が生きてくる。働きはじめるとき、新天地がその人のために開けてくる。金光教祖は「今、天地の開ける音を聞いて目を覚ませ」と言われたが、働かないものには天地の開ける音を聞くことはできないのである。

 

 

 

なぜならこの天地は神が働き給うことによってのみ開かれたのであるから、われらもまた働くことによってのみ、新天地の開ける音を聞くことができるのである。新天新地が開けるとは、小さなる「我」が脱落して、自由な伸び伸びした愛の世界に出られるということである。

 

 

 

働くということをしないでいて、高座に坐って小理屈を捏(こ)ねたり他の批評ばかりをしていては、われわれはどんなに高い所にいるつもりでも、その実「我の小世界」に跼蹐(きょくせき)していて、決して広い「愛の世界」へ出ることはできないのである。

 

 

 

われわれが小理屈の高座からおりて人々のために働き出すとき、はじめて広々として新天新地が開ける有様(ありさま)をこの眼で見、その開ける音をこの耳で聞くことができるのである。

 

 

 

昔から「道」の先覚者と言われるほどの人々はみんなこの新天新地の開ける様を見、その音を聞いた人々である。

 

 

 

諸君は、あるいは「君は働け、働け、と言われるが、現代人の悩みは仕事がないということではないか。われらは働きたくて職を求めているのだけれど働こうにも、働くベき仕事がないではないか」と言われるかもしれない。

 

 

 

けれどもそれはウソである。

 

 

 

もし諸君が働くベき仕事がないと思われるならば、諸君は何か体裁のよい仕事、名前が上がったり名誉になる仕事、身を落とさないでできる仕事、そんなに働かなくともよい仕事、ラクをしていて収入のよい仕事、誰かに雇われた上でないとできない仕事を求めていられるからである。

 

 

 

つづく

 

 

 

 

谷口雅春著「生命の実相第七巻」天地の開ける音を聞け!

 

 

 

 

 

☆ 今日から天地の開ける音を聞け!です。「生命の実相第七巻」もいよいよ最終まで後二つという事になりました。

 

第一巻、第二巻、第七巻を先ず読むように言われますので一応当ブログに三巻が揃うという事になります。病気の方や色々の問題がある方はこの三巻を読まれるとだいたいどうしたら病気が治るのか?、問題が解決するのかがお分かりになると思います。

 

この三巻でたくさんの体験が出ています。後はもっと詳しく知りたいという方は当ブログにほとんど掲載していますのでそちらを読んでいただければと思います。

 

第七巻の後は第三巻を掲載してその後をもっと読みたい方は自分で本を買って読んで下さい!笑!その後は無門関解釈等面白いので考えています。

 

 

※ 跼蹐(きょくせき) ー 跼天蹐地の略 

天に背ををかがめ、地にぬきあしすること。身のおきどころのない思いをしてひどくおそれること。