◎ 生命の実相第七巻

 

 

○ 艱難を光明化せよ

 

 

 

つづき

 

 

 

ふつうの人々の心はあまりにも仮想の不幸を考えすぎていたのである。あまりにも仮想の苦痛を考えすぎているのである。

 

 

 

不幸が起こりもしないのに、不幸が起こるであろうことを仮想し、ありもせぬ敵を予想しこれに対して警戒を怠らず、いたずらに神経過敏となって、人と人との相互の接触に、心からなる信頼と愛情とを現すこと能わず、

 

 

 

ふつうならば自分の味方となつて協力してくれるはずの人々さえも、あまりに警戒の心をもってこちらより相対するがために、

 

 

 

その心が相手の心に反映し、かえって相手が自分より離反して、あるいは路傍の人となり、あるいは逆まに自分を傷つける敵手となってしまうのである。

 

 

 

事物の明るい側をひたすら眺め、他(ひと)に対するもその人の美点を高調(こうちょう)し、あらゆる災禍(わざわい)のうちにあってもなお希望を捨てず、勇気を失わず、ひたすら前途に光明を眺めて、邁進(まいしん)、また邁進するものは、

 

 

 

ついに、いかなる暗黒なる境遇をも斫(き)りひらいて、光明輝く境遇に変えてしまうことができるのである。

 

 

 

明るい、朗らかな、生き生きとした生きる力に満ちあふれている人々こそ、神の子たる「人間の本性」に近い人であるのである。

 

 

 

かかる人は健康と幸運(こうふく)とを招(よ)び寄せる磁石である。彼は自分自身が健康と幸運とに恵まれるばかりでなく、彼の接触する人々に健康と幸運とを感染さすことができるのである。

 

 

 

病が心的存在であって、心の恐怖的波動によって感染するがごとく、健康も幸運も心的存在であって、心の光明的波動によって感染するのである。

 

 

 

一家のうちの主人または主婦の人生観がー変して、明るく生々(いきいき)しい生命の実相(ほんとうのすがた)に目覚めたがために、今まで家族中病気の絶えなかった家庭が、一年中医療も売薬もその必要を見なくなった実例はたくさんあるのである。

 

 

 

また明るき屈せざる努力で斫(き)り開かれることは言うまでもないのである。

 

 

 

われわれの想念は、たとえばラジオの波のごとく、眼には見えずともー種の波動であって、それはわれらが心に思い浮かべるたびごとに、この宇宙間に放送され、その影響は常に存して、それにふさわしい現実を作りあげるために活動しているのである。

 

 

 

ある瞬間に思い浮かべた想念は、ただわが心を一瞬かすめただけで消え去るという存在ではないのである。それは、全宇宙に存在するすべての生物の「心」に波及する。

 

 

 

そしてそれを感受するにふさわしい生物の「心」を見つけて根を下ろし、ついに現実的の結果となって生長するのである。

 

 

 

もしわれらが常に心に、暗い、陰気な怨想(えんそう)、憎想(ぞうそう)、病想、貧想等を思い浮かべるならば、わが全人格はその類似の暗き想念を感受する受信機となり、自己の精神にも肉体にも不幸な現実的結果を導き出さずにはいないのである。

 

 

 

されば暗い陰気な想念を思い浮かべる者は、この宇宙に不幸を放送(ふきこ)む放送者であるとともに、宇宙間に彷徨(さまよ)っている不幸の波動を感受してそれを現実化するところの受信機となるのである。

 

 

 

つづく

 

 

 

谷口雅春著「生命の実相第七巻」 艱難を光明化せよ!

 

 

 

 

 

☆ 今日は新総理が誕生して、天皇陛下から任命されました。憲法では象徴となっていますが、日本の元首は天皇陛下ですから戦後の占領政策で憲法を変えても日本の実相は変えられないという事でしょう!

 

 

因みに谷口雅春先生の御文章がありますので

 

○ 形あるものは心の具象化

 

すべて形あるものは心の影である。換言すれば内部生命の動きはそれが具象化して形にあらわれるということであります。

 

それによって、何故日本皇室の御紋章が十六菊であるかと言いますと、「菊」というものは「聴く」ということを象徴的にあらわしたのであります。

 

ヨハネ傳にありますように、全てのものは言によって作られているのでありますから、天の八方、地の八方合計十六方向の言葉をよく「聴き」たまう象徴が、十六菊の御紋章であります。

 

御存知の通り、日本天皇が民を治め給うのは、治めるとはいわないのであります。「治める」というのは、「収める」と語源が同じで、自分の方へ収入してしまう。自分のものとして自分の方へ取り込んでしまうのでありますが、

 

そのような、収め方、は日本天皇の治め方ではないのであります。日本天皇の治められるのを「しろしめす」というのは、「知る」という語の敬語であります。即ち十六方の民のコトバを聴いて、それを知りたまうことが「しろしめす」ということであります。

 

蓮華藏世界である実相のハチスの中心から現象界が開き出でて、いろいろの民族や国民が現れて来ている。その民族や国民の聲を聞き給うて、十六方向にある所の世界すべての民の言葉をーその心の思いをー悉(ことごと)く聞いて、それを知ろしめして、その民の聲をそのままに政治を行われるというのが、

 

天皇が国を治しめし給う所の治め方であります。だから日本天皇の政治のあり方を「しろしめす」というのであります。