◎   の実相第七巻

 

 

 

○ 共通的生命の歓喜のために働け!

 

 

 

 

つづき

 

 

 

されば諸君よ、利己的感情に惑わさるる者は、幸福に背を向けて幸福を追う者だ。肉体によって快楽を追う者は、快楽に背を向けて幸福を追い求むる者だ。

 

 

 

物質をなんとかして健康を得ようとする者は、健康に背を向けて健康を追いかけて走るものだ。その反対をせよ、その反対が来るのである。諸君よ、共通的生命に生きよ。隣人と共通の歓びを生きる仕事をなせよ。

 

 

 

そこから来る歓びは無限だ。そこから来る健康は無限だ。共通の生命は肉体の垣を超えて無限だからだ。

 

 

 

この「共通の歓び」となるべき仕事をわれらがなし遂げた時、それがどんなに小さな仕事であってもわれらは魂の奥底に共通的生命(普遍的生命、至上(しじょう)の神、全人類の生命)から来る「よくしてくれた!」という感謝と賞讃との声を聞くのみである。

 

 

 

常に共通的生命からこの感謝と賞讃との声を聞くものは幸いなるかな。無限の魂の平和―無限の共通的生命と調和する平和―はその人のものだからである。

 

 

 

人の意識が発達してこの共通的生命の賞讃と感謝との声を聞き慣れるようになるとき、しだいにわれらは「肉の惑わし」の狭い快楽に心を引きつけられなくなる。

 

 

 

最初は他人のためになすことを義務と感じ、しいて自分の利己的感情を抑えて、やむをえずしている善事がおのずから、内から催して来る歓びのためになしうるようになるのである。

 

 

 

ここまでわれらの意識が高まってくれば、もうそれはしいて利己的感情を抑えて善事をするのではないから、それに義務という窮屈な名前をつけることは相応わしくなくなる。内から催してくる欲望のすべてが共通的生命の流れに一致してくる。

 

 

 

ここに致ったときわれらの行ないは自然にまかせていて善にかなう。すベての行ないが共通的生命と呼吸をーつにして催してくるようになる。ここにいたってわれらの行ないは真に惟神(かんながら)となる。

 

 

 

神ながらとは共通的生命(大生命ー神)を愛し、共通的生命におのずから奉仕できることである。

 

 

 

最初われらは一つの事物を愛した、一つの物を愛し、一つの事業を愛し、彼を愛し、彼女を愛した。

 

 

 

しかし、われらの意識がこの境地まで高まってくるとき、われらの愛の対象は、一つの物または人に限られず共通的生命を愛し、共通的生命に奉仕することが唯一の歓びなってくるのである。

 

 

 

共通的生命の歓喜、共通的生命の賞讃―それらが鏡のように自分の心に映ってくる。われらの味わう魂の平和と高揚は限りなく深く広く厳かなものとなってくる。

 

 

 

時たま、われらが共通的生命のためではなく、「私的生命」のためにのみ仕えたときには、この厳(おごそ)かな魂の歓びは消える。ひとたびこの厳かな歓びを味わったことのある者は、これを失ったときに、どんなにか愛惜(あいせき)の情にかられることだろう

 

 

 

一 魂は歎(なげ)く、歎(なげ)いてまた共通的生命に仕える生き方に立ち帰るのである。そしてわれらは再び厳かな共通的生命とともに歩み、生き、行進をつづける。われらは失った厳かな魂の喜びをついにとり戻す。

 

 

 

その歓びは始めは緩(おだ)やかな静かな歩調で、しだいに甘さと深さとを増してくる。われらはその歓びの深さに打たれる。宇宙の共通的生命は、ただわれらにこの深い歓びを味わわすためのみに、われらを義務の道に押し流してくれるかのようにみえる。

 

 

 

いな、もう義務の道ではない。ただ「道」である。「生命の道」である。そこには義務という窮屈な観念はもうない。われらは生命を愛し、ただ生命に随(したが)って生きるのだ。

 

 

 

ここにおいて、世界の光景が一変する!自分の心が一変したからである。最初われらは肉に属する歓びを捨てて、霊に属する歓びを努力して選んだのであった。

 

 

 

しかし本当に物と肉とに属する喜びを捨てたとき、全世界が自分のために讃歌を歌ってくれているかのように見えてくる。

 

 

 

捨てたはずのすべての物の歓びが、かえって色あざやかに染められて自分のために帰って来る―家も、土も、空気も、父も、母も、兄弟も、他人も、みんなが自分を喜んでくれ、

どうじにみんなが喜ばすために存在しているかのように見える。

 

 

 

つづく

 

 

 

谷口雅春著「生命の実相第七巻」 共通的生命の歓喜のために働け!

 

 

 

 

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