◎ すべてを癒やす道

 

 

 

 

② 男が家庭に求めるものは……

 

 

 

 

つづき

 

 

 

 

私も会社を停年退職する前は、よく地方の支社に出張しましたが、一応行事や会議が終ると、きまって支社長や次長が「部長、ちょっとお疲れ休めに一献(こん)差し上げたいから、おつき合いを」というわけで接待と称してバーやキャバレーに連れてゆかれたものであります。

 

 

 

私は元来お酒は一滴も呑まないし、仕事などでお客の接待などの時は、呑んだふりをして杯洗(はいぜん)に流したり、特別製で銚子(ちょうし)にお茶やサイダーを入れておいてもらって、それを呑んでお相手をしたものであります。

 

 

 

そんなわけで夜は宿で夕食をすませたらゆっくり休みたいと思っているのに、先方は部長の接待という名目でお酒を呑んで遊べるのでどんなに断っても承知せず、つれ出されたものであります。

 

 

 

また私は家に最愛の妻がいて愛情と真心でよろこんでつかえてもらえる幸せ者だから、そんなところに全然興味がない。

 

 

 

それどころか宿についても必ず家に電話をかけて妻の声をきかないと眠れないぐらい妻を愛していましたから、他の女性のサービスなどい

っこうに必要がなかったのであります。

 

 

 

家に電話するのもべつに家内が恐ろしかったからではありません。電話をかけると妻がよろこぶからであります。私は妻を愛していたからどうして妻をよろこばせるかということ、それだけでありました。

 

 

 

愛情が形に現われたら自然と相手をよろこばせたいという感情になるものであります。夫婦は一体であり一ツ生命でありますから互いに捧げ合い尽し合い助け合うことになるのであります。

 

 

 

左と右の手は互いに別の存在のように見えますが、もともと一つにつながり、一体でありますから、互いに求め合うということはなく助け合うことしかありません。

 

 

 

相手に困ったことはないか、もしも困ったことでもあればすぐに助けに行きます。寒い時など手が冷えてかじかんでくると何も言わなくても互いに撫で合いさすり合いします。

 

 

 

また左の手の甲に蚊がとまると「ちょっとたのむ」と言わなくとも右の手が、サッといって蚊をたたき追うでしょう。かゆかったらかいてやります。

 

 

 

このように形はべつでありながら、心は一つにつながっているからであります。

 

 

 

谷口雅春先生は「愛は自他一体の自覚である」とお教え下さいますが、愛があれば自分のことを忘れて相手のためにつくしたい、何とかして喜ばせたいという心がはたらくのであります。

 

 

 

話はキャバレーのことに戻りますが、そんな訳でどなたが主賓かわからないままおつきあいしてキャバレーに行く、きれいどころがずらり並んで待ち構えております。

 

 

 

一歩店に入ると、とびついて来る。ギュッと手を握って「マアよく来てくれたわね」というわけで身体を密着するようにして暗いボックスへと案内して、ありたけの表情と態度を示して喜んでみせるのであります。

 

 

 

さすが商売だけあって心得たものであります。男性の弱点をちゃんとつかんでいて、求めているものを惜しみなく与えて満足させるのです。

 

 

 

初対面なのに、「あんただれ」ではそっけないから親しみをますため洋服の打ちポケットのあたりを気づかれないようにソッと見る。そしてネームを見て私が藤原だとわかるとしばらくして、「あんたフーさんと違いますか」と問いかけられ、ハッとすることがある。

 

 

 

あれ、この人知ってるのかなと、とまどいすることさえあるくらいであります。人間の心の底で求めているものは、他人(ひと)から喜ばれるということであります。これが一番弱いところでもあります。

 

 

 

ですから喜んでくれる者にはますます喜ばせたくなるのであります。うれしくなると何も惜しくなくなる。平常はケチな男でも気持がよくなり、お金を与えて喜ぶものにはお金が惜しくなくなり、思い切ってチップをはずむのであります。

 

 

 

後になって「しまった、いいとこ出して張り切りすぎた」と小遣いに不自由しなければならぬ羽目になるのであります。このように世間には色々な商売があって人の不足しているものを提供すれば、必ず繁昌するのが、商売のコツであり、繁栄の原理・原則であります。

 

 

 

家庭で愛情に飢え、喜びが不足していると必ずその不足するものを、補うために他に特別配給を求めに出かけるのであります。これが夫の浮気の原因となることを、世の女性はよく心得る必要があります。

 

 

 

夫を他の女性にとられたからといって夫を恨んだり、相手の女性を恨んだりすることは間違いであります。その前に反省し、どちらが被害者か見究めることが肝腎であります。

 

 

 

このように家庭で愛情に飢え、笑いと喜びが不足しておりますと、その不足を補うために補給基地を求めて、一歩家を出たら慰安所がそこら中に待ち構えております。

 

 

 

このわなにかかったが最後、抜け出すことはむつかしくなります。男というものはある程度までは自制出来ますが、越えてはならぬ一線を越えてしまえば、今度は度胸が定まり、逆に強くなります。

 

 

 

「矢でも鉄砲でも持って来い」というわけで、いったん三角関係になったり、奥さんが捨てられてからでは、遅いのであります。泣いてもわめいても取り返しがなくなります。一刻も早く内観し反省して危険信号の出ない先に、改めなければなりません。

 

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

☆相撲は一人ではとれないという事ですね!夫婦に原因があるという事ですね!

 

二十歳後半独身の頃仕事も覚えお金もあり、有名なキャバレーに同僚と飲みに行っていました。回数が増えると向こうも接待が良くなり、(鴨が来た?笑!)ナンバーワンの子を指名するようになり、しかし相手もプロ、放さないように席を立ち、すぐ戻って来てすぐ立って行く?

 

同僚達と店を出てもう二度と行くのはやめようとなるが、次の日の夕方になると、お互い目を合わせて行く?となり、何時もの店に行き、店を出るともう二度と行くものかと仲間同士で話し、次の日夕方又行く、

 

仲間同士で男って馬鹿だね!笑!でもこういう経験を独身の頃につんでいたので、結婚してからは、馬鹿々しくて行かないし、接待で行っても溺れる事はなかったですね!

 

芸能界の有名人で独身男性結構いるでしょう!女(美人)の裏の顔見過ぎて結婚できないのではと思ってしまいますね!笑!