◎ すべてを癒やす道

 

 

 

つづき

 

 

 

○ 男が家庭に求めるものは…

 

 

 

 

私は「それごらん、その通り他人には言えない秘密を二人が心に秘めて、言ってはならんと思いつづけていると、その思いが唖という姿にあらわれているのですよ」と申したのであります。

 

 

 

「その唖の原因となった間違いをとけば、唖なぞはもともと無いのだから、すぐに、ものを言うようになりますよ。

 

 

 

なるほど事情をきけば腹が立つのも無理はない、恨むのも当然と思いますが、ものごとは一方的におこるものではない、事件が発生するには必ず相手があってのことですよ。

 

 

 

よく一人角力はとれないと言います。ご主人が酒場に入りびたって酒を呑んだことが善いとは言わない。悪いことにきまっている。

 

 

 

また酒場の女と駆け落ちしたことも絶対によくない。しかし、お酒でも呑まずにおられないように仕向けていたものがあることに気がつきませんか。

 

 

 

誰が女房や子供をすてて生れ故郷をはなれて暮らしたい者がありますか。そうでもしなければ生きてゆけないほど行き詰まらせていたものがあったのですよ。

 

 

 

あなたはご主人が大工で腕がよくて、金儲けは人よりもすぐれていたと言いましたが、そのご主人が1日はたらいてクタクタに疲れて帰って来た時に、

 

 

 

よろこんで出迎え、『お帰り。疲れたろうね。ご苦労さん、あなたが働いて下さるおかげで私たちはこうして楽に生活できて有難い』と喜んでお礼の一言でも言ったことがあるかね。

 

 

 

『なに、男が働いて女房や子供を養うのは当り前や。もっと頑張って稼ぎをふやせ』と夫の尻をたたくことはあっても喜んだり感謝したことはないでしょう。

 

 

 

『さあ疲れたろうね。一本つけたから、呑んでゆっくり眠って身体の疲れをいやしましょう』と気持のよいお酒の一本も呑ませたことがあるかね。おそらくないでしょう。

 

 

 

それではご主人は立つ瀬がないですよ。夫が外で働くのは趣味や道楽ではないのです。妻や子供が幸せであるように、なんとかして喜ばせてやりたいと、ただそのことばかりを楽しみに頑張っているのですよ。

 

 

 

妻を愛しておればなおさらのこと、妻のよろこぶ顔を見るだけで1日の疲れもフッ飛んでしまうものだ。どんな苦労も苦にならないのだ。

 

 

 

その期待にこたえるどころか裏切って不平たらたら、ふくれ面をしておられたのではどうにもやり切れなくなりますよ」と申しました。 

 

 

 

男はこんな時、つい魔がさすというか「ええい、一杯やって行こうか」ということになり、酒場に一歩はいれば、喜んでみせたり、笑顔で迎えてくれる女性が待ちかまえている。

 

 

 

世の中の冷飯組(ひやめしぐ)みや淋しさでやり切れない男たちを迎えて虜(とりこ)にする商売の人がいたるところに網をはって待っている。

 

 

 

家では一所懸命働いて疲れて帰って来ても゛帰って来るのは当たり前゛となんの感激も喜びも表現しない無表情な妻にひきかえ、バーやキャバレーではきれいにお化粧をし、着飾った女性が最高の笑顔で待っている。

 

 

 

客が一歩はいれば飛びついてきて、最高のよろこびを表現する。あとは至れりつくせりのサービスを惜しみなく与えてくれる。これでポーッとならない男はどうかしている。

 

 

 

ましてや家庭の中が暗く冷たい毎日をおくっていて、妻からの愛情のひとかけらもないような男性にとっては、まるで水気のない砂漠で水にありついたようなものであり、陸にはね上げられた魚が水を得たようなものです。

 

 

 

まるで石が坂道をころがり落ちるように、歯止めをかける理性も節度も失ってしまうのです。

 

 

 

 

 

つづく

 

 

 

 

藤原敏之著 「すべてを癒す道」より

 

 

 

 

 

☆ あらゆる人間の不幸は、当り前で喜べない為めに起こるものであることを知れ。

 

 

生長の家」は奇跡を見せるところではない。「生長の家」は奇跡を無くするところである。人間が健康になるのが何が奇跡であるか。

 

人間は本来健康なのであるから、健康になるのは自然であって奇跡ではない。「生長の家」はすべての者に真理を悟らしめ、異常現象を無くし、当り前の人間に人類を帰らしめ、当り前のままで其の儘(まま)で喜べる人間にならしめる処である。

 

あらゆる人間の不幸は、当り前で喜べない為めに起こるものであることを知れ。当り前で喜べるようになったとき、その人の一切の不幸は拭(ぬぐ)いとられる。

 

病気ももなければ、貧乏もない。また搾取された富もなければ、搾取した富もない。蹂躙(ふみにじ)られた弱者もなければ蹂躙(ふみにじ)った強者もない。唯(ただ)、一切が渾然として一切の者が富んでいる。此れが實相である。

 

 

 

 

※ コロナのない前、普通の生活が有難いですね!

 

おしゃべりしながらお食事して、お酒飲んで、歌、歌って、でも感謝した事なかったですね!当たり前!

 

洪水自然災害、異常気象無いのがいいですね!でも感謝した事ないですね!

 

戦後何十年?戦争のない事に感謝?