42     甘露の法雨講義

 

 

○ 人間の実相および仮想

 

 

 

☆ 昨日の最後の項です。

 

 

自分という存在はこの肉体ではなく、霊なる久遠(くおん)生きとおしの存在であると、真に自分の実相を自覚したときが、「我」が置き代えられた時です。それがいわゆる悟りを得たときです。

 

そうしてわれわれがすべてのものを、すべての人間を悟りの目をもって見る時に、われわれは人間の実相を見る、罪を犯そうにも犯しようのない、病にかかろうにもかかりようのない、完全円満な神性であることが解る。するとまたその完全な実相そのままの状態が現実にも現われて来るのであります。

 

 

 

 

つづき

 

 

 

『創世記』第一章には実相の人間の創造が書いてありますが、『創世記』第二章にはエホバ神が塵(ちり)をもって人の形を作りそれに生命の息を吹ききこまれてアダムを告った。それがわれわれ人間の先祖であるということが書いてあります。

 

 

 

この第二章に書かれた所は無明(まよい)による肉体人間の創造であって、人間というものを塵をもって象徴された物質によってつくり固められ、それから生命の息を吹き込んだ結果生じた、物質と霊的生命との二元的存在として描かれているのであります。

 

 

 

かく人間を物心二元の寄せ集めの存在であると見ます時には、やがてはエデンの楽園から追放せらるべき塵より生まれて塵に帰する儚(はかな)い存在であるということになるのであります。

 

 

 

仏教でも仮相(かそう)としての人間は現象無常という方から見て儚い存在だとしている。人間を金剛不壊(こんごうふえ)の実相の方から見ないで実相を蔽(おお)い包んで、仮相の方からのみ見て、儚い朽(く)ち果(は)つべきものという方面からのみ見る。

 

 

 

これが実相を包む最初の罪で、アダムの原罪であります。聖経にはそれがこう書いてあります。

 

 

 

 

 

罪と病と死とが

 

実在すると云う悪夢(あくむ)を

 

人間に見せしむる根本妄想(こんぽんもぞう)は、

 

古(ふる)くは、

 

人間は塵にて造られたりと云ふ神学なり。

 

近くは、

 

人間は物質にて造られたりと云ふ近代科学なり。

 

これらは人間を罪と病と死との妄想に導く最初の夢なり。

 

この最初の夢を摧破(さいは)するときは

 

罪と病と死との

 

根本原因は摧破せられて

 

その本来の無に帰するなり。

 

汝ら「生長の家」を読んで真理を知り病の癒ゆるは

 

この最初の夢の摧破せらるるが故なり。

 

最初の夢無ければ

 

次の夢なし。

 

悉(ことごと)く夢なければ本来人間清浄(しょうじょう)なるが故に

 

罪ををかさんと欲するも

 

罪ををかすこと能(あた)はず、

 

悉く夢なければ自性無病なるが故に

 

病に羅(かか)らんと欲するも

 

病に羅ること能はず、

 

悉く夢なければ本来永生(ほんらいかぎりなきいのち)なるが故に死滅すること能はず。

 

 

 

 

 

自己の実相が神であり、仏であり、自己のうちに神の無限の生かす力があり、仏の無限の救う力あると悟らずに、どこかよそに自分を生かすものがあると思って薬を頼ったり、親の財産に頼ったり、何か他のものに頼り、他の何かを持って来て補わないと完全に生きられない、自分は足りないものだと思う。

 

 

 

これがアダムが神の前に出る時に、裸のままでは不完全だ、何か足りない、辱(は)ずかしいと思ってわざわざ無果花(いちじく)の葉で体を蔽(おお)って出たという寓話(ぐうわ)の意味であります。

 

 

 

アダムは外から自分の醜(みにく)さを補うつもりであったのですけれども、かえってアダムはそうすることによって神の完全な実相を蔽(おお)ってしまったのであります。

 

 

 

その実相を包み隱(かく)すものが迷いであって、実相の隠されたところに罪、病気というような本来無い不完全状態が現われて来るのであります。

 

 

 

それでその反対にわれわれが人間の実相は物質にて作られたものではない、霊なるものと知ったら、罪も病も死も本来無いことが悟れるのであります。

 

 

 

人間は塵にて造られたというまちがった神学のために、(これは誤ったクリスチャンの解釈であります)罪と病と死とが出て来た。これは古い話です。

 

 

 

また近代においても、人間は物質にて造られたのだということをわれわれは教えられている。古くは『創世記』によるアダムの原罪また近くは近代科学の、万物は物質によって構成されているという学説、これが人間を罪と病と死との妄想に導く根本原因であります。

 

 

 

まずこの根本原因、これを摧破(さいは)してしまったら、それに従って罪も病も死も摧破され自然に消え失せてしまうのであります。

 

 

 

自分の実相を醜(みんく)いものと考えてそれを補うために無花果(いちじく)の葉をもって体を蔽(おお)ったアダムの原罪を「それは迷いであるとうちくだいてしまった時に、実相をつつむ仮の、偽物(にせもの)の本来無い姿が消えてしまう。

 

 

 

本来の実相が現われた時、本来無いものは消え去ってしまうのが当然であります。だから、まずわれわれは最初の夢を、最初の迷いを摧破しなければならないのであります。

 

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

☆ アダムとイブの有名な話しですね!医学博士の徳久先生はこれを面白、可笑しく話してくれました。神様が禁断の果実(知恵の果)を食べたら駄目だと言ったのに蛇が来て食べても死なないよと言うんですね。

 

それでイブが先ず食べるんですね!そしたら何でもないからアダムに大丈夫よと言って食べさせます。すべて女が先に手を出す!笑!そして男に進める、男もおとこ、女の言いなりに食べる!大笑い!

 

そしたら神様が来たので見つかったらいけないと男はリンゴ(果実)をそのまま飲み込んだそしたら喉に支えて喉仏が男に出来たと笑わせながら話されました。笑!