◯ 蓮華藏世界に就いて
つづき
さて佛教の極意を授(さず)けたとは、何を授けたのか、他の人には判らないのです。
ところが阿難尊者(あなんそんじゃ)という弟子は釈尊(しゃくそん)の十大弟子のうちでも「多聞第一(たもんだいいち)」といって、
釈迦(しゃか)の説法の席には何時でも出席していて話を多く聞くことは第ーで、しかも物憶(ものおぼ)えがよくって、釈尊の法話をみんな憶(おぼ)えておったというのです。
何月何日何處其處(どこそこ)の集まりでは、何々菩薩、何々菩薩……等々が何千人集まっておって、その時にはお釈迦さんが斯(こ)う言って説教をされたら、舎利佛(しゃりほつ)が斯(こ)う言って質問した。
するとお釈迦さんはこうお答えになったと、ずーっとみな憶えておって、お釈迦さんが死なれてから、まるで録音機の録音を再生するように、ずーっと話すのを筆記したのがお經になったといわれているほどの多聞強記(たもんきょうき)であったのです。
それなのに、釋尊は阿難に「お前に佛教の極意を譲ったぞ」とは言われなかったのであります。
宗教の極意というものは、そんな喋べる言葉の中にあるのではなくって、言葉と言葉との間にあるのです。
以心伝心であって、たとい言葉を媒介としても、言葉の表面の意味でなしに、自然にその中に響いて來るものが傳わる―それを受取るのです。
その受取り方によって悟りに幾重も段階が出来てくるのであります。
蓮華藏世界(れんげぞうせかい)の象徴として「蓮華の花」をお示しになったのはどういう意味だろうっということです。
こうして佛教の極意を譲られた迦葉尊者(かしょうそんじゃ)は、禅宗の第一祖になったのです。そしたら多聞第一の阿難尊者が、どうも残念でかなわん。
わしの方が多く出席して度たび御法話を聞いて知っているのだ。
それなのに、わしにどうして佛教の極意を譲ってくれなかったか、という譯で或る日のこと迦葉(かしょう)の所に行って、「お前は佛教の極意を譲って貰って衣(ころも)と鉢(はち)とを釈尊から貰ったが、何も佛教の極意は衣や鉢にあるのじゃなかろうが。
本當の佛教の極意とはー體何を傳えて貰ったか。私に話してくれないか」と言ったのでした。
暫くの間、迦葉尊者は何にも答えないで默っていたが、突然、厳(おごそ)かな聲(こえ)で、「阿難」といったのです。
そしたら、兄弟子から突然厳かな聲で呼ばれたので、阿難はびっくりして、威儀を正して「ハイ」と言った。
そしたら「佛教の極意お前に譲ったぞ」と迦葉が言ったというのです。それで阿難は禅宗の第二祖即ち二番目の教祖さんになったわけであります。
一體この時、阿難は迦葉から何を傳えられたのでしょうか。暫く考えてから次をお読み下さい。
つづく
谷口 雅春 著 「第二青年の書」
★わしの方が多く出席して度たび御法話を聞いて知っているのだ。それなのに、わしにどうして佛教の極意を譲ってくれなかったか、という譯で或る日のこと迦葉(かしょう)の所に行って、「お前は佛教の極意を譲って貰って衣(ころも)と鉢(はち)とを釈尊から貰ったが、何も佛教の極意は衣や鉢にあるのじゃなかろうが。本當の佛教の極意とはー體何を傳えて貰ったか。私に話してくれないか」と言ったのでした。
お釈迦さんが蓮華の花を捻って大衆に見せて、迦葉(かしょう)のみが破顔微笑した。お釈迦さんが迦葉(かしょう)に仏教の極意を授けたぞと言われた!それを聞いた阿難が迦葉(かしょう)に問いただしたのが上の質問です。
これは先ず中心帰一を言っています。日本の国の中心は天皇です。家の中心は父・夫です。これが日本国家の姿です。針と糸です。針が父・夫、妻が糸です。逆では縫えません、離婚等されている方はだいたい逆をされていたのではと思います。
テレビドラマでよく日本国家を変えなければならないといっていますが、どう変えるかは聞いた事がありません!笑!変える方向は先ず天皇が中心ですから、元首は今総理大臣になっていますので、天皇陛下に元首を戻さなければなりません!
それから、仏教の極意を教えてくれと阿難は言っています。迦葉が阿難と言った時「ハイ」と答えた、お前に授けたぞ!「ハイ」これです。父から、夫から言われたら「ハイ」です。
これは又宗教の「法燈継承」でもあります!谷口雅春先生は真理は親子でも伝わらないと書いておられます。それと人間に「ハイ」ではないですよ!とも言っておられます。ある支部長さんが共産党に行ったら支部の皆さん全員共産党に行ったようです。実相に「ハイ」ですよと書いてあります。
無門関解釈第二十三則 「不思善悪」に「法燈継承」の事が書いてあります。簡単に書きますと一度も教祖の説教を聞いた事もない米つき蔵の雇い男が教祖から「法燈継承」を受けるのです!要は悟りです。阿難と同じで何十年教祖の話を聴こうと教団にいようと真理が分からないと告げないという事です。
米つき蔵の男を夜そうと教祖の部屋に呼び出し、衣鉢を与え、これから旅に立てと言って教祖みずから船を漕ぎ対岸迄渡し、三年法を説くなと言って逃します。何故か、長い事修行してきた教団の人にしてみたら昨日今日入って来て教祖の話しを一度も聞いた事も無い男に衣鉢が渡ると嫉妬で殺されるかもしれないので、師みずから逃したという事です。師はそこまで行き届かなければならないという事です。
又「法燈継承」とはそのくらい厳しいものです。徳久先生は晩年この第二十三則をいつも話しておられました!本物の金とニセモノの金の見分け方、という事で、普通は本物とニセモノを見せて教えるように思いますが何時も本物の金を見せて修行させるようです。それと話されたのが、医学生の時教授が教室に気狂いを連れて来て生徒の前で教授と気狂いが論争するのですが、聞いているとどっちが教授でどっちが気狂いか分からなくなると徳久先生は何時も話しておられました。
◆ 旧皇族・明治天皇の玄孫(やしゃご) 竹田常泰(たけだつねやす)氏
「祈る天皇と支える国民が一体となった世界唯一の国・日本」より
つづき
◯ 「元号」は日本が独立国家である証(あかし)
中国に阿(おもね)り、“子分”であることに浸っていた国は、ことごとく滅びました。日本だけが、現代においても存立していることを考えるとき、雄略天皇のお考えはとても素晴らしいものだったと解ります。
その雄略天皇のご意志を受け継いだのが、聖徳太子です。中国大陸の文化がいよいよ高まり、日本は追いつこうとするけれども追いつけない。かと言って、朝貢(ちょうこう)して冊封(さくほう)を受けるわけにはいかない。
そこで、「朝貢すれども冊封を受けず」と宣言されたのです。貢(みつ)ぎ物は持って行くけれど、お土産は要らない。「倭国王(わこくお)」の称号も要らない。
では何が欲しいかといえば、「留学させてほしい、学ばせてほしい」というのです。それを行ったのが、聖徳太子でした。隋(ずい)が滅び、唐になっても、遣隋使から遣唐使ヘと踏襲(とうしゅう)して日本人は学びました。それにより奈良の都を完成させ、律令国家を誕生させる力を生み出しました。
こうして、日本は独立国としての道を歩みだしたのです。七世紀に「大化」という最初の元号を立て、その後に「大宝」という元号に改められてからは、一度の空白もなく元号は今につながっています。
アジアには、中国だけでなく、日本という文明国があることを世界に示すことになりました。日本において元号を立てることは、独立国の証なのです。
朝鮮半島でも元号をつくったことはありますが、すぐに中国がやめさせました。元号は、中国から完全に独立した国を示すものであり、その象徴なのです。
結局、世界中で「元号」を使っている国は、日本だけになりました。そう考えると、「元号」はもう既に日本のものです。
鉄道は元々、百五十年前にイギリスから習いました。しかし、鉄道技術は今や日本の方がはるかに上で、イギリスに新幹線を輪出しているほどです。新幹線はイギリスのものかと言えば、やはり日本のものでしょう。
同様に、「元号」はすでに日本文化なのです。日本独立の証でもある「元号」を使うことに、私たちはもっと喜びをもってほしいと思います。
つづく