★昨日の最後のところです!
「霊」とここにあるのは「霊魂」のことであります。
霊魂という場合は普遍的霊ということではなく、なんらかの体を備えた個別霊のことであります。仏教は「無我」の教えでありますから、「霊魂」というものを第一義諦(ぎてい)としては認めないのであります。生命の實相でも、先刻説明しましたように、第一義諦(ぎてい)としては迷う「我(われ)」も極楽へ行く「我」もないというのでありますけれども、現世、霊界等のスクリーンに投影された念像(ねんぞう)が、ちょうど活動写真の銀幕上(スクリーン)に踊っている人物のように、個別の姿をあらわして見えるのが、現世の銀幕(スクリーン)においては肉体であり、霊界の銀幕においては霊体であります。
この霊体を現(あら)わしている仮我(かが)を、霊魂というのであります。霊魂という実体が実在しのではない、その正体は念の波によって、そこに実在するかのごとくあらわれている活動写真のごとき映像であります。
「甘露の法雨講義」
第一 章 神 と 仏 と 霊
つづき
霊
神想観を実修しまたは、その他のいろいろの精神統一法を実習せられた方には、往々、霊魂の姿を見た、それはこんな姿をしていたなどと言われる方がありますけれども、
これは、本当にそんな姿をしているものを見たのではなく、ただ念波をテレビジョン式に形に翻訳して見るのであります。
前節に五感、六感という言葉があありましたが、五感というのは眼耳鼻舌身(げんにびぜつしん)という五官にて感じられる視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚等五つの感覚をいうのであります。
六感というのは、これら五種類の感覚のほかに第六感といって、五官によらずに、五官にかからぬ種類の精妙な波を感受する霊的感覚であります。
第六感もまた霊視、霊聴、霊鼻、霊舌、霊触とでもいいますか五種類あって、普通肉体の五官にはかからぬ霊界の波を感受するのであります。
霊視といって霊魂の姿を見たり、霊聴といって霊魂の声をきいたりするのが第六感としては最も普通でありまして、霊鼻、霊舌、霊触などというのは極めて稀でありますが、絶無ではありません。
かつて皆さんの神想観を指導中、この『甘露の法雨』の続きの『天使の言葉』というのをわたしが朗読していましたら、
柳沢夫人の御子息が、霊香の匂いをきいたー最初は香水の匂いであるかと思ったが、よくきいてみると、香水のような甘ったるいような匂いではなく、
神々(こうごう)しいような香を焚く匂いであった、同時にその御子息さんの色盲が治ってしまったことがありました。
これは神想観を指導するために出御(しゅつぎょ)ましました神様が、その衣装に霊界の香を焚しめていられた、それを霊鼻によって感じたのであります。
霊舌というのは霊的食物とでも言いましょうか、断食修行などでもしている時に霊界波動で作られた食物を神からいただくことがある。
肉眼で見てら別に見えないが、それを食べると非常に美味しいというようなことが時としてあります。
これは肉体の舌で味わうのではなく、霊舌で味わうのであります。
霊触というのは、霊界の波を触覚に感ずるのでありまして、幽霊が来て、手を握った、脚に触った、などというのはこれであります。
こういうように、第六感というのは肉体の五官に対応し眼耳鼻舌身におのおの霊的感覚を有するので、われわれは、第六感が開発されますれば、五感のほかに、五種類の第六感、合計十感を有するようになるのであります。
つづく
谷口雅春 著 「甘露の法雨講義」
★ここに書いてある。霊香とかほとんど体験した事ありますね!唯私はお化けだけは怖くていまだに見たことありませんし、見たくもありません!卒倒するのではと思います!笑!
何時も書いていますように現象界は浮世と言いますように映画のスクリーンにあたります。スクリーンに癌だろうが、難病だろうが、倒産だろうがあっても神、仏が創った實相世界(完全世界)は映写機のフイルムにありますので、レンズ(心)の歪みを治せばスクリーンの癌も難病も倒産も實相世界にはありませんので、治るという事です。(詳しい事は当ブログの甘露の法雨講義)を参照して頂ければと思います。因みに霊界も現象世界という事です。
★それから昨日水泳の金メダル候補池江璃花子選手が白血病とテレビ等で言っていますが、我々もそうですが、本人はもっとショックだろうと思います。しかし問題、困難、は魂を磨く為と書いてありますし、その人の魂にとって乗り越えられない問題を神は与えないと書いてありますので、池江璃花子選手には体の運動は出来上がったので、金メダルだけではなく、人格、精神共に金メダリストになる為の試練ではないかと思っています。
※ ネットに白血病の患者へのアドバイスがありましたので参考に
白血病再発の不安に打ち克つには
私は急性骨髄性白血病と診断され、治療は一通り終わり、近々退院となります。入院中に生命の實相の「人間・神の子、病なし」の教えに触れましたが、ふとしたときに再発が心配になり、とても不安です。また、様々な疾患がある中で、どうして白血病になってしまったのか、その原因があるなら教えて下さい。
(A子、25歳)
回答
白血病と診断された時は驚かれたことでしょう。白血病は血液のがんであり、二十五歳の若さですから、ショックを受けて当然です。しかし、どうして白血病になったのかは、医学的には不明です。
あなたは入院中に「人間・神の子」の教えに触れました。宗教的には、この病気によって、魂を磨き、神の愛を実現する使命に気づく機会を与えられたとも言えます。七十三歳の医師である私が座右の銘としている詩(聖経『續々甘露の法雨』)の一節を紹介します。
「病人は殊更ことさらに病気を心よりつべし。/而しかして、唯ただ愛せよ、唯感謝せよ。/国を愛せよ、/人を愛せよ、/家族を愛せよ。/すべての物と事と人とに感謝せよ。/さらに特に汝なんじの父母に感謝せよ。/常に悦よろこびて何か必ず人のためになる事を為なせ」
二十五歳のあなたが病気を心から放つのは難しいかもしれませんが、病気のことは担当医に任せてはどうでしょうか。白血病の治療は飛躍的に進歩しました。
私は大阪大学病院で研究生活を送っていた昭和四十六年に、白血病患者を初めて担当しました。その時は治療法がなく、輸血で延命を図はかるのがやっとで、悔しい思いをしました。
しかし、現在は違います。骨髄移植をした患者の七割で完全治癒が期待できるようです。あなたは退院できました。このことに感謝して下さい。生かされている今を心から喜びましょう。
担当医の指導を感謝して受け止め、前向きの心で療養生活を送り、あなたを産み育ててくれたご両親に感謝の気持ちを伝えて下さい。ご両親はほっとされ、安心と明るさを取り戻すことでしょう。家庭の雰囲気が一変するはずです。
両親に感謝できると、自然に、悦んでできる仕事に出合うことができます。悦びの結果として、医学的にも担当医が驚くほど回復していきます。「泣き面つらに蜂、笑う門かどに福来る」という格言を思い出して下さい。
愛の実践、感謝の心が神様の癒いやす力(神癒しんゆ)を呼び込むに違いありません。
(国立病院機構・高松医療センター名誉院長)!