★ 今日は藤原先生の本から掲載します。この先生は真理を求めて徹底してあらゆる宗教をやり、ついに生命の実相にたどり着き人間は肉体ではなかったんだ!と悟られおしが話し、目が見えあらゆる奇跡的体験をたくさん出されて方ですので参考に!
◎ 自我の否定・神の肯定
◯ 感謝以外の努力は救いにつながらぬ
徹頭徹尾自力の否定であり、感謝以外にはないのであります。祈りも感謝、愛行も感謝、神想観も聖経読誦も悉(ことごとく)感謝であります。
自己中心の祈りや行は、生命の実相ではありません。目的や都合から出発した行は、どんなに完璧に出来ても、不安を取りのぞく力とはなりません。
やりながら不安を伴うのであります。それは心の底では自分を頼み、結果を期待していることになり、肝腎の神様がぬきになっているからです。
神様が抜きになっていて救われるはずがありません。神に全托したものには、あるのは唯感謝のみであります。感謝以外の努力は救いにつながる努力とはなりません。
「七つの燈台の点燈者の神示」の中にも、一にも感謝、二にも感謝、感謝、感謝ただ感謝だけとあります。
あまり感謝ということばが多いので数えてみましたら、何とあの短い御文章の中に、十四回も感謝というおことばがあり、最後の方に、「その感謝の念の中にこそ、汝はわが姿を見、わが救いを受けるであろう」とお示し頂いています。
これをみても、生命の実相がどんな教えであり、どんな方法で救われるかが明らかであります。この「七つの燈台の点燈者の神示」は何十とある神示の中の、根本の神示であり、み教えを代表する神示であります。
そのご神示で「感謝」がすべてであり、それのみが救いの根本であるとお示し頂いておりますから、私たちはその教えに素直に従い、信じて行ずる以外に方法はありません。
それ以外のことを考えたのでは、生命の実相でなくなります。そのように救いの根本は信であり、感謝であることがわかるのでありますが、私どもの所に相談にこられる人の中には、
「何を信じたらよろしいのですか?」と「感謝しなければいけないことはよくわかるのですが、さて感謝しなければ…と思ってみると、感謝するようなことが見つからないのですが…」といわれる方があります。
このような方は決まって、現象を対象にしておられる方々であります。
信ずる対象はあくまで神様であり、現象ではなく実相であります。また感謝でも、現象や条件を対象にするのではなく、実相に感謝するのであります。
生命の実相は現象なしに徹する教えでありますから。ない現象を相手にしているようなことでは、本ものの信仰ではありません。実相直視、実相独在の教えであります。
「現象界に形となってあらわれることは、病気でも運命でもすべて我が心の影である」と谷口雅春先生はお教え下さいます。
私はこのみ教えを頂き、真理を体得させて頂くことによって、生来病弱で医者と薬とをはなれては生きられない身体であったのが、「人間神の子病気なし」のみ教えによって、
クラッと一変して、三十一年間病気で一服のくすりの厄介にもならず、一度も医者の御世話にもならず、1日も病気で休むことのない自分にさせて頂いたのであります。
これはみ教えの真理が絶対にまちがいのないことを証明するものであり、何よりの証拠であります。私しも入信以来、三十一年になり、講師としても二十九年経ちましたがその間真理をおとりつぎさせて頂いて、
救われた方の数は数え切れないほどであります。また巡講中にきかせて頂いた体験談も数限りなくあります。魂の底から感動し、涙を流しながらきかせてもらったお話も沢山あります。
藤原敏之 著 「すべてを癒す道」