◎ 人生の秘訣を語る

 

 

つづく

 

 

◯ 現象は“本来無し”

 

 

 

この實例に鑑(かんが)みて、考えますと、「人間・神の子、本来罪なく、業なく、病いなく、一切の悪はないのである」という實相の真理の中にとび込んでしまったときに、

 

 

 

キリストが“汝は真理を知らざるべからず、真理は汝を自由ならしめん”と言ったように、

 

 

 

完全に、“業”とか“因果の法則”とかに縛られておった縛りが解けて、自由になれるというわけなのであります。

 

 

 

その縛りが解(ほど)けた状態が所謂(いわゆる)“解脱(げだつ)”である。“解脱”即ち一切の束縛(そくばく)を解(と)き脱(だつ)する。

 

 

 

それですから、『涅槃経(ねはんぎょう)に「解脱を以って佛となす」と書いてあるように、

 

 

 

一切の業や過去の罪から自由に解放された人間が、所謂佛陀であり、覚者であり、悟りを開いて解(ほど)けてしまった者であるから、ホトケなのであります。

 

 

 

こうしてー切の束縛からホドケてしまったとき人間は本来“神の子”なる自由を快復する。

 

 

 

そしてすべての功徳があらわれることになるのであす。この真理を悟ることによってー切諸悪の根元が根本的に消えていくことになるのであります。

 

 

 

この過去の原因たる業を少しずつ果しながら修行によって、業を減らして行くという「自力の方法」もあるのですけれども、

 

 

 

現象界の自力の努力によって原因を減らして行く方法は五の原因があったのを三つだけ減らしたといっても、まだどこかに二つ借金が残っているというのでは、また別の形で報いが現(で)て来たりするのですから、

 

 

 

それでは、まだ完全に救われたと言えないんです。それでは、まだ完全に罪から解放されているとは言えないんです。

 

 

 

「罪」というものは過去に「積み」てある  ―   積み重ねてあるところの“業の集積”である。

 

 

 

これが「罪」です。

 

 

 

そういう「業の積み重ね」というものは、「現象は本来無」であるという生命の實相の哲学によってスカーツと截断(さいだん)して切ってしまうとき、

 

 

 

あしき現象はなくなり、罪は消え、一切の悪しき業因は消えてしまって、

 

 

 

第一原因であるー番最初の、本の、不滅の原因である「人間は神の子である」という人間存在の根本原因に対する善き結果のみが、ここにこう現れてきて、

 

 

 

諸君の生活に、神の子たる實相にふさわしい永遠に祝福されたるすがたが實現してくるということになるのであります。

 

 

 

 

 

谷口雅春 著 「無限供給の扉を開く」

 

 

 

 

 

★ ここに書いてありますように、「人間は神の子」罪なし、無限力という事です。キリストも釈迦もあるゆる本物の宗教の教祖もこれを説いています。

 

しかしいつも書くように弟子達が実相が分からず、結局、因縁因果、罪を犯したらその報いを受けなければならない、その為には、こうしなければ駄目だとか、ああしなければダメだとか、献金しろ、だの何とかの会に入れとか色々いうようですが

 

谷口雅春先生がお説きになったのは、何もしないでも「人間は神の子」で完全円満なんですよ!だから罪なし、病なし、迷いなし、ですよという事です。目が覚めればいいのです。と書いてあります。

 

それだけでは中々わからないので、「生命の實相」という本を書かれました。この本を読まれた方達から奇跡的体験が出てきて、雅春先生の講演には人が入れない程に集まり、文部省から宗教にしろと言われて宗教になったようです。

 

雅春先生は人々が幸せになってもらう為に本を書いたのに、宗教にさせられたと書いてあります。

 

又生命の實相の本の中の、詩「甘露の法雨」を京都の博士が折れ本にしてくばったら、それを読むと又々奇跡的体験が出てこれは詩なんかではない、お経だという事になり、個人のものではないという事で雅春先生に版権を返されてそれが今では聖経「甘露の法雨」というお経になっています。

 

仏壇の前で毎朝読んでいますが、緊急入院とか、突発事故が起きた時など「甘露の法雨」を読むと命が助かったとか、倒産寸前だったのが救われたとかたくさんの奇跡が出ています。入信する必要もなく、献金する必要もなく、ただ本を買って読めばいいだけの教えです。ネットで買えばいいだけです!

 

これから「甘露の法雨」とその解釈を少し掲載しようと思っています。何か困った時あったらこのブログの甘露の法雨をコピーしてお読みになるといいですよ!