◎ 本当の自由の精神は特異性を許さねばならぬ
ブリーストリ氏は日比谷の講演後、日本人の生活に親しんでからの或る日、日本人の生活を批評して日本人が西欧化して行くことを嘆いてゐて、
「日本民族の生活は日本民族特有のあり方であってほしい。
西欧を模倣した生活様式に日本人がなってしまったところが其処には西洋と類型のものがひとつ殖えたことになるだけで、世界に何ら特殊な価値を加えることにならない」と批評したことが新聞に載ってゐるのを、
私は北陸旅行中に見て、この「自由な精神」の強調者が、さすがに「本当の自由な精神」を知っていると感じて意を強うしたのであります。
本当に自由な精神はすべての人間に類型になるやうに強制するものではない、特殊を特殊として許す寛容性がなければならぬからであります。
日本の国家形態も、日本の民族理想による特殊形態があってしかるべきで、フランス的な革命も、アメリカ式な民主主義も、その儘には持って来るべきではありません。
あなた科学的に日本の歴史を証拠物件的に、一々の天皇の行蹟を批判して、天授の帝王としては背ひ難いある難點を見いだされるにしても、
それは或る桜の花がたまゝ風で吹き散って桜と見えない形に現れる事があっても、また翌年には「桜の花」の正しい形に返るところの「桜の花」の理念の永続を見るが如く、
全体の歴史を通して日本民族が天皇を中心とした形において政治形態を整えることを常恒とした変(かわる)事なきこの内部理念の力を無視する事は出来ないでしょう。
織田信長が天下をとっても、秀吉が天下をとっても、徳川幕府が天下とってもさへも天皇を廃することは出来なかった。
常に「錦の御旗」を背景としてのみ国民の信頼を其の政治者は贏(か)ち得て来てゐたのであります。
足利尊氏も後醍醐天皇に弓を引いたけれども、最後には、南北朝いづれにせよ天皇を樹てゝ「錦の御旗」を背景としてのみ武権政治が保たれたのであります。
西郷隆盛も錦の御旗には敵対する事は出来なかったし、更にマッカーサー元帥と雖(いえども)、天皇を背景にして日本民族を統治することが出来たのであって、彼も天皇から人権宣言の詔書(しょうしょ)を渙発(かんぱつ)して貰ったり、
自分の指令を天皇の勅令て云う形で出すことによって日本民族を統治する事が出来たのでありまして、
それは全く日本の武家政治時代と同じやうに、天皇を背景に頂いて政治を行うと云うー天皇中心の日本民族の在り方、国の在り方を覆してしまふことが出来なかったのであります。
そこに、全く、いくら交配して桜の木は桜の花を咲かせると同じやうに、天揉無窮に「日本民族の在り方」としての理念が存続することが認められるのであります。
谷口雅春 著より
★ 今日は皇居参賀に行って来ました。雲一つもなく、風もなく、寒くなく最高の日和でした!寒いだろうと洋服の背中、ズボンにカイロを貼りポケットにも入れていきましたがあまり必要がありませんでした!まだニュースで人数は確認していませんが!私しの知る限り最高でした!