◎ 最高の幸福とは!
◯ ゛現象このまま゛と゛実相そのまま゛
現象界の出来ごとは、すべて心の影でありまして、心の通りにうつるのです。
心で思った通り、決めた通り、信じた通りになるのです。
ですから本当に人間が幸福な、明るい生活を送るためには、絶対の神を発見し、信ずることが根本となるのであります。
生命の實相の教えは唯神実相論でありまして、神は光であり、神のつくり給うた世界は、光一元であり、善一元であり、光のほかは何も認めない教えであります。
この光を、神を、見失わなければ暗は断じてない。暗とは光を見失い、光をみない状態である、暗(不幸)は積極的にあるのではなく光りの非在に過ぎないと教えられています。
たとえば、昼間、雨戸をしめ切って「暗い、暗い」といっているのは外が暗いのではなく、外はもともと明るいのでありますが、自分が雨戸を閉め切って光を入れないようにしているからです。
自分が雨戸を開いた程度に従ってだんだん明るくなるのであり、ちょっと開けたらちょっと明るくなり、半分開けたら半分明るくなる。全開したら全部明るくなるのと同じであります。
神を認め信じた程度にしたがって、悪は退散するのであります。光を認め、雨戸をあけるのは自分自身であります。
本来ないはずの暗(病気や不幸)は、すべて本当のことを知らない無明(まよい)であり、無明は、真理(本当のこと)を知らない結果、仮りに現われている状態であります。
暗は真実存在ではないから、光がくれば自然に消えるように、無明は本来ないから、真理を自覚し、真理を体得すれば、本来ない暗が光を当てると同時に消えるように、無明も消えることになるのであります。
病気も不幸もありもしない無明によって現われているのですから、どうしなくても勝手に消えるのであります。
人間はとかく、真理だといえば真理に引っかかり、無明だときけば無明に引っかかりやすいのでありますが、真理とは前にも述べましたように、絶対の法則ということであり、真実(本当)のことという意味であります。
どうもしない、そのまま、ありのまま、本来のままという意味であります。このどうもしない、神につくられたままの、条件づきでない、如何なる引っかかりもない、片よりもない゛そのまま゛が幸福なのであります。
よく゛そのまま゛と゛このまま゛とをまちがえる方がありますが、゛そのまま゛は゛このまま゛ではありません。
そのまま゛は、相対的な条件を超えた、それ自身で完全円満欠くることなき神につくられたままの実相をいうのであり、゛このまま゛の方は現象になります。
実相のままであれば、病気も不幸もないのです。この゛そのまま゛が幸福の正体であります。実相は、神そのものであり、幸福そのものであります。これが幸福の正体であり、自分自身の正体なのであります。
実相の世界は、神のおつくりになったままの世界ですから、神のおつくりにならない不完全なものは一切無いのであります。
このことを自覚するのを、゛真理を覚る゛というのであります。
人間はそのままで幸福なのであります。この真理がくらまされている状態を、無明と仮にいうのであって、この無明も本来ないのでありますから、真理を覚り、光をかかげることによって本来無い暗が消えるように、無明は自(おのずか)ら消えるのであります。
無明が消えるとき、無明の影として現われた病気も不幸も消えるのです。
現象界の出来ごとはすべて心の通りにうつるのです。
心で思った通り、決めた通り、信じた通りになるのであります。
藤原敏之 著 「すべてを癒す道」
★ 藤原敏之先生の「すべてを癒す道」からホンモノの幸福とは!という事で掲載してきました。一応これは今日で終わります。今日のところは根本のところですので何も解釈しない方が無難だと思いますのでこれで!