◎ 最高の幸福を得るには

 

 

 

◯ ホンモノの幸福とは何か

 

 

 

幸福を願い求める以上は、いったい゛幸福とは何か?゛ということから究めていくことが第一であります。

 

 

 

゛幸福゛が何であるかもわからず、ただ漠然と探し求めていても、゛幸福゛になりようがないのです。

 

 

……  中略 ……

 

 

幸福でも同じことです。幸福の正体を知らなければ、幸福のど真中にいても気がつかないで見逃してしまうことになるのであります。

 

 

 

多くの人が゛幸福゛゛幸福゛と切実に求めながら、いっこうに幸福にならないで、゛不幸だ゛、不幸だ゛と嘆いておられるのは、このようなところからもきているのであります。

 

 

 

そこで、その゛本ものの幸福とは一体何が?゛ということですが、多くの人の求めている幸福とは、幸福の影である条件を゛幸福゛とまちがえておられることが多いのであります。

 

 

 

果して皆様が考えておられるような条件が幸福だとすれば、条件の整っている人はみんな幸福であるはずです。 

 

 

…… 中略 ……

 

 

皆様、お金や財産が沢山あって、豊かな生活が幸福なのであれば、世の中のお金持はみんな幸福であるはずであります。

 

 

 

ところが問題があり、不幸だと泣いてこられる人の中には、経済的には何の不自由ないというような中流以上の、どちらかというと財産家といわれるような人の方が多いのです。

 

 

 

ご主人が亡くなり、遺産の相続問題等で話し合いがつかず、裁判にまでもちこんで、親きょうだいが゛血で血を洗う゛といった醜い争いをしているような家庭はみんな財産があり余るほどあるからです。

 

 

 

貧乏たれで、死んだら何も残らないというような家に財産のことでもめることなど絶対にありません。

 

 

 

また三角関係二号騒ぎで泣いて相談にこられるご家庭でも、みんな裕福な人ばかりです。貧乏で食うや食わずで妾つくっていたという話を、聞いたことがありません。 

 

 

 

健康でもその通りです。健康なために不幸になり、苦しんでいる人は沢山います。誰かと喧嘩して相手に怪我をさせ、暴行傷害罪で訴えられなければならないような人は、みんな人並みはずれて健康であり、元気あふれているような人です。

 

 

 

私のようなひ弱な体格では、けんかをすれば負けるに決まっているから絶対に手を出しません。相手の方が悪いと思っても、先にあやまっておくのでけんかにはなりません。

 

 

 

やはり体力に自信がありすぎるため、つい相手が生意気な態度に出れば、がまん出来なくて「やるか、外に出ろ!!」ということになるのでしょう。病気で寝ていてはけんかは出来ません。

 

 

 

三角関係や妾の問題でも、ご主人が健康で元気があり余って、精力的で奥様一人では満足出来ないほどの人におきることです。

 

 

 

病気で寝たりおきたりしていて、二号も愛人もきいたことがありません。

 

 

 

また、名誉や地位があれば幸福かといいますと、収賄罪などで検挙されたり、刑務所につながれたりする人なども、地位があったために乗ぜられ、とり返しのつかぬ羽目に陥るのであります。

 

 

 

こうして考え、眺めてみますと、一体何が幸福であるのか全然わからなくなります。ただひとつハッキリ言えることは、幸福とは条件ではなく、その人、その人の心にあるということがわかるのであります。

 

 

 

自動車でも、いくら優秀なエンジンや部品をとりそろえた高級者であっても、その車を運転する運転者しだいではスピードが出すぎたために大きな事故につながり不幸な目にあうことも大いにあります。

 

 

 

それは自動車という乗り物に幸、不幸があるのではなく、乗るその人にあるのです。

 

 

 

 

 

◯ すべての背後に法則がある

 

 

 

それでは一体幸福を願っていろいろな努力をしながら逆に不幸になって泣いたり、苦しんだりしなければならないのはどうしてでしょうか。

 

 

 

健康を願って注意に注意を重ね、用心しているのにどうして病気になるのだろうか。事故を起こさないようにと自分も家族も祈るように思って注意しているのに、なぜ交通事故に遭うのであろうか。

 

 

 

いつまでも夫婦仲よく暮すつもりで結婚したのに、なぜ三月や半年で夫婦別れをしたり、明けても暮れても夫婦げんかをしなければならないのか。

 

 

 

健康で優秀な、世のため人のために貢献できるような立派な人間に育ってもらいたいと願って、世話して育てた子供が、どうして勉強嫌いや怠けものになって、親を泣かせたりするのか、このように数え上げれば、際限がありませんが…。

 

 

 

このような矛盾がどうして生れるのか、わからない。わからないでただ迷うだけで、解決の道も方法も見当がつかないのです。 

 

 

 

世の多くの人はものごとが調子よく運ぶとよいと言い、はかばかしくいかないで悪い結果になると運が悪いと言います。何でもすぐに「運」「運」といわれますが、それでは「運とは何ですか?」とたずねると「運って運ですわな」だけで何もわかっていない。

 

 

 

だからちょっと調子がよければ有頂天になり、ちょっと調子が悪いと゛青菜に塩゛で一ぺんにしょげてしまうという、まるで七面鳥のように変るのであります。これでは不安で心配で仕方がないでしょう。

 

 

 

この運とは何かと申しますと、運とは゛運ぶ゛という意味です、運賃とか運送とかいう場合の運です。何が運ぶのであるかといいますと、それは法則であります。

 

 

 

この世界には法則なるものが厳然として存在するのであります。これはもちろん見ることは出来ませんが、見られないからないということはありません。一番手近な例でわかりやすいのは、皆様お互いの中に今現に生きて働いている生理の法則など、これはどんな唯物論者でも疑う人はないでしょう。

 

 

 

またこれは疑うことの出来ない事実であります。無意識に、何も気づかずにいてもちゃんと息をしている。また心臓も動いている。食べたものをみんなちゃんと消化して、赤い血にかえ、肉にも骨にも黒い髪の毛にもかえているこの働き、この事実を否定する人はありません。

 

 

 

しかし、それが何ものの働きであるかはわかりません。ただ働いているのでありますが、それを一般には生理の法則とよんでおります。生理とは生命(いのち)の法則という意味であります。

 

 

 

また、この大きな重たい地球が空中にポッカリ浮かんでいて、しかも一日に一回転して夜と昼をつくり、一年間に三百六十五回も回転している。一体何ものの力であり、働きであろうかと考えてみてもわからない。そこで、専門の学者はこれは天体の法則であると言い、一般には自然だといっております。

 

 

 

つづく

 

 

 

藤原 敏之 著 「すべてを癒す道」

 

 

 

 

 

 

★ 藤原先生のはわかりやすいのでこのまま掲載して行こうと思います。読んでて面白いでしょう!吹き出しますね!病気で死にそうな人で浮気する人はないなんてその通りですね!笑!

 

この先生は理屈では絶対負けませんよ私しは理屈で悩んで苦しんだ人間だからと話しておられます。この先生は戦後電柱に張ってあった「生命の實相」の講演会と言うチラシを見て聞きに行かれたようです。

 

栗原という講師が本当の自分をこれと思う人と云って鼻を指すから、そうそう!と思っているとこれは鼻ですという、そう言われてみれば鼻だから仕方ない、そうこうしているうちに体全部を自分と思う人と言うからそうそう、まとめないかんと思っているとこれは肉体で人間ではありません!と言われて、

 

バカバカしいこんな所に来るんじゃなかったと思ったら、講師が皆さん人間は肉体ではありません。私の首が道にあったら栗原の首があると言うでしょう。栗原〝の〟という所有格がつく時は持ち主が別にいるという事です!

 

と言われてなるほど!話しを聞いているうちに、今まで自分の肉体を自分と思っていたのが間違いだったとわかり、自分が神の生命であり、神から生かされていたんだとわかったので、今までの自分の考えを捨てました。

 

こちらが本当だとすると今までの考えは間違いと言う事です。これも本当、今までの考えも本当はありえません、本当の事がわかったら今までの考えを改めなければ、中途半端になります!と書いておられます。

 

私の体験からも自分と肉体とは別だという事がわかります。自分と肉体が分離した事がありますので、幽体離脱と聞いた事がありますが、私しの場合は肉体の中で分離しましたので、幽体離脱と言えるかどうかは知りませんが?

 

電球が灯っているのではありません、発電所の電気が灯っています。電球は道具です。それと同じように肉体は道具です。神様仏様の命が我々を生かしているという事です。

 

目の錯覚です!五感の錯覚で現象があるように見えています。これは天才科学者アインシュタインが言っています。ある薬を飲んでビルから物を落として何秒しかかからないものが薬で1時間かかって見えると!

 

昨日のテレビで野球のバッタボックスのあの小さい四角が王選手にはテニスコートのように広く思えたと、そしたらイチロー選手も同じことを云っていたという事で、外角にボールが来たら前に出ればいいし、内角は下がれば良いと、王選手のボールが止まって見えたは有名ですね!