◎ 須佐之男命(すさのおのみこと)        「天に成る「幽の世界」の霊交)」


◯ 統(す)め丸(まる)める魂(たましい)



つづき


そこで天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、曾毗良(そびら)(背中)には千本の箭(や)の入れものである靫(ゆぎ)(矢を入れる容器)をつけていられ、



比良(ひら)(前面)には五百本の箭(や)の入った靫(ゆぎ)を附(つ)け、威風堂々(いふうどうどう)と左手の肘(ひじ)には竹鞆(たかとも)をつけていられた。



竹鞆(たかとも)は、革(かわ)でつくられた弓弦(ゆずる)の反動を受ける道具である。



竹製ではないが、タカはその反動を鞆(とも)に受けたときの音を形容したので、"竹"という漢字はタカの音標文字(おんぴょうもんじ)として使ったのであります。



次にある「男(お)タケび蹈(ふ)みタケび」にあるタケも同じく音を立てることであります。



"男(お)タケび"は雄々(おお)しく叫(さけ)ぶことであり、"蹈(ふ)みタケび"は堂々と音を立てて足蹈(あしぶ)みすることであります。



このように天照大御神(あまてらすおおみかみ)は須佐之男命(すさのおのみこと)との外交折衝(がいこうせつしょう)に、



先ず"武力"をしめして國家の権威を明らかにせられたのであります。



そうしますと須佐之男命(すさのおのみこと)は、前述の通りの事情を申し上げて、「地球にはもう住むことならぬと伊邪那岐大御神(いざなぎのおおみかみ)が仰せられたので、一應(おう)あなた様にお暇乞(いとまご)いにあがったのでございます」と申し上げたのであります。



すると天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、「お前の心が清く明(あか)きことは何をもって知ることができるか、その證據(しょうこ)は如何(いか)に?」と仰せられたのであります。



そこで須佐之男命(すさのおのみこと)は、「それでは受靈(うけひ)をして子供を生んで、その結果として生まれた子供の善惡によって、私の心の善惡を知って下さい」と申し上げたのであります。



もっとも、日本の古代民族は、善惡正邪(ぜんあくせいじゃ)という言葉を使わなかったのであります。



善くない心を「きたなき心」と言い、善き心を「清く明(あか)き心」又は「清明心(あかきこころ)」と稱(しょう)したのであります。



日本民族は「汚(けが)れる」ということを、きわめてきらう民族でありました。



毎日入浴又は水浴(すいよく)したり、上厠(じょうし)した後には必ず手を洗う。



建物にはゴテゴテ塗料を施(ほどこ)さないで白木(しらき)を使う。神官(しんかん)は白装束(しろしょうぞく)をつけるなどの風習は皆この"汚(けが)れ"を厭(いと)い、清きことを好む國民性からおのずから發(はつ)した習慣であります。



恥辱(ちじょく)を受けたら切腹又は自害するとかいうふうも、單(たん)に"生命軽視(せいめいけいし)"の精神というよりも、生命の清らかさを保存するために、汚辱(おじよく)のこの世界には生きていたくないという積極的な"清明心(せいめいしん)゛の發露(はつろ)だったのであります。



"うけひ"は漢字では"誓(ちかい)゛という字を書きますけれども單に"誓う"だけではなく、言葉で誓った事柄(ことがら)を、互いに靈(れい)を交(まじ)えて(靈交(ちか)いて)具體的結果によってその誓いを立證(りつしょう)するのであります。



つづく



谷口雅春 著 「古事記と現代の預言」




★ ここに外交交渉の仕方が書いてあるのですね。軍事力のない交渉は上手くいかないという事でしょう。これが世界の常識というのでしょう。

昨日もテレビ朝日で羽田の空域が狭く横田基地(米軍)が多くを占めていて横田基地の管制塔の許可なしでは飛べない、交渉に云っても未だになおっていない、ドイツ、イタリアは既に返還されているのにと如何にも日本の交渉がダメなように云っていたが、自国を守る軍隊もなく、自衛隊もまだ正式に認めきらない、憲法一つ変えきらない、日本に安全なんか任せられないというとこでしょう。そうさせているのは貴方達マスコミでしょうと言いたいですね!笑!


自分の国を守る軍隊を持たない限り無理なのではないでしょうか!因みに共産党は国防費を減らして福祉に回せと云っていますが、共産党政権樹立したら軍隊を保持するとなっているようです。戦後占領憲法で軍隊を保持しないとなった時まっ先に反論したのが、共産党の議長 野坂参三で軍隊のない国なんか有り得ないといったようです。




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◎ 古事記物語


◯ 須佐之男命(すさのうおのみこと)  


速須佐之男命(はやすさのおのみこと)命(よ)させられし国を治(しらさ)ずして八拳頒心前(やつかひげむなさき)に至るまでに啼(な)き伊佐知伎(いさちき)なり其の泣きませる状(さま)は青山(あおやま)を枯山(かれやま)のごとく泣き枯(から)し河海(かわうみ)は悉(ことごと)に泣き乾(かわかす)是(ここ)をもて悪神(あしきかみ)の音(おとない)狭蝿(さばえ)の如(ごとく)く皆満ち萬(よろず)の物(もの)の妖(わざわい)い悉(ことごと)に発り(おこり)き



伊耶那岐命様(いざなぎのみこと)のおことばの通り、天照大御神(あまてらすおおみかみ)は高天原(たかあまはら)を、月読命(つくよみのみこと)は夜の国をお治(おさ)めすることになりましたが、

建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)は、お願いされた国を、治めようともしません。泣いているだけです。

なん年もたって、大人になり、あごのひげが胸までのびてきても、毎日毎日、すごいいきおいでお泣きになっておりました。

その泣きかたのはげしさといいましたら大変なもので、青あおと草や木のおいしげっていた山は、枯山のように草や木が、枯れてしまいました。

また海や川が火のついたような泣き声のために、すっかりかわいてしまいました。

国を治める神様が、こんなふうに毎日泣いてばかりおりますので、悪い神たちがたくさんでてきて、五月頃の蝿(はえ)のようにさわぎたてて、いろいろな妖(わざわい)が次から次とおこってきました。

そこで、父の伊耶那岐命(いざなぎのみこと)は、一体どうしたことなのかと心配になって、建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)をお呼びになりました。

「いつたいどういうわけで、おまえはわたしがお願いした国を治めようともしないで、毎日毎日泣きわめいてばかりいるのか」と尋(たず)ねました。

すると建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)は、「わたしは、おかあさんにあいたくてたまりません。おかあさんのいるという、黄泉国(よもつくに)へ行って、一目でもよいから、おかあさんにあいたいと思って泣いているのです」と答えました。

伊耶那岐大御神(いざなぎのおおみかみ)は、これを聞くとたいへんおいかりになりまして、「そのようにわがままで、聞きわけのないことを言うのなら、おまえは、自分の好きなようにしなさい」と言いました。

建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)は、「それなら、わたしはこれから、おねえ様であらせられる天照大御神(あまてらすおおみかみ)のところへ行って事情をお話してきます」と言って、天照大御神様(あまてらすおおみかみ)の治めている高天原(たかあまはら)へ登っていきました。

ところがその歩きかたがあまりにも荒々しいので、ひと足ふみだすごとに山や川になりひびき、地面は、地しんのようにゆれ動きました。


つづく