歓喜の泉    悦びはどうしてくるか

 

 

◎ 嫉妬は最大の罪悪

 

 

◯ 相対的な比較が嫉妬の根源

 

 

嫉妬心の根源は、その人の生活が、絶対の立場にいないで、想対の立場にいるからである。彼らは相対的に比較して見て、自分が彼より劣っていると思うと、彼を憎む心が起こって来るのである。

 

 

「乏(とぼ)しからざる憂(うれ)えず、等しからざる憂う」と云う諺(ことわざ)があるが、現代の労働者の生活は、縄文土器時代の王様の生活よりも、豊かで便利で色々の享楽の道具も与えられていながら、縄文土器時代の王様ほどの歓びも感じられないで、常に収入の少なきを歎いているのは、彼等が相対的な比較上の立場にたって、「等しからざるを憂え」ているからである。

 

 

どんなに賛沢(ぜいたく)な生活を送り得るようになっても、相対的立場に立って等しからざるを不平に思う限りに於ては、憂えは去らないものなのである。

 

 

それらの憂えを去るためには人は絶対的立場に立って、自已のうちに比較を絶した超越者が宿っており、他の人の真似の出来ない個性美をその超越者が自分の上に実現しつつあるのだと云うことを深く自覚するよりほかに道はないのである。

 

 

絶対者の自覚それは宗教の問題である。宗教的さとりのみが人間を絶対者の自覚に入らしめ、永遠に争闘を根絶する力があるのである。

 

 

つづく

 

 

谷口雅春 著  「生活の知恵365章」

 

 

 

 

★凄い事が書いてありますね!笑!初めて読んだ人は何だこれはと思われるかもしれないですね!これを説明すると長くなりますので、簡単にいうと現象世界は現世(うつしよ)写っているんです。例えば映画のスクリーンが現象世界、という事はフイルムが實相世界(本当の世界)神、仏が創った完全円満な世界、これを発見されたのが、釈迦、キリスト、又本物の宗教の教祖達です。今私も皆様も完全円満な世界に完全円満にいるのですが、目や耳や、五官の感覚で見ると有限、相対に見えます。それで仏教では目を閉じて座禅をしたりして実相世界を観る修行をされています。又天才科学者アインシュタインは相対性理論を発表してこの世は相対の世界であると!

 

又今では物質は分子、電子、原子、素粒子、それから量子論で、私は良く分かりませんが物質という固まりはないという事です。そう見えているだけという事です。科学で証明されているんです!笑!目で見えませんが電波がある事は皆さんご存知の通りです。そのように肉体という固まりは目で見て見えているが無いと言うことです。という事は飛躍しますが、癌も難病も実際は無いという事です。

 

それでどうしたら病気が治るかという事は、映写機のレンズ(心)が歪んでいるからスクリーンに歪んで映っているのでレンズ(心)の歪みを直せば癌だろうが、難病だろうが治るという事です。飛躍していますので詳しい事は私のブログを見て下さい。レンズ(心)の歪みのなおし方ですが、テレビの画面を変えるにはチャンネルを変えればいいように、波長をNHKから他のチャンネルの波長に変えればいいのです。

 

心です。普段私達は不平、不満、不足、恐怖で生活しています。心がマイナスです。ストレスです。心をプラスにすればいいのです。やり方は不平、不満、不足、を感謝に変えるのです。

 

変える秘訣が「ありがとうございます」感謝の言葉です!これを毎日一万回唱えて癌がじっさなおった方もあります。もう一つ全ての問題の解決の根本は親に感謝です。

 

 

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★ 再び霊界篇です!2017年(平成29年)9月29日に「差別心より観たる霊界の消息」ということで何回か連載で載せましたが、(頭注版生命の實相第九巻)興味のある方があるようですので、頭注版生命の實相第十巻より「平等心より観たる霊界の消息」を少し載せようと思います。

 

 

 

◎ 人間死語の秘密のトビラは開かれる

 

死とは何か、死んでから人間はどうなるのか、唯物論者のいうように、ただ単なる「灰」になってしまうのだろうか。もしそうであるならば、そこからはなんの創造も生まれず、希望も生き甲斐もない無軌道な生活があるだけです。「心霊科学」と聞くと、すぐインチキときめつける人が多いが、中には生命の永遠の不死を説いた秀(すぐ)れた学説と例証もあるのです。 本書は、欧米の権威ある実績を持つ心霊科学を紹介、霊界との密接な関係を現実生活にそくして詳解した画期的なものです。  谷口雅春著  生命の実相第9巻霊界篇上より

 

 

 

 

◎ 平等心より観たる霊界の消息

 

 

◯  七

 

つづき

 

 

「しかし、その何事かはついに起こったのだ。そして、お前は、それをすべての人類に呼びかけねばならないのだ。さきにわたしがお前は選ばれたのだといったのは、やがてすべての人類が感じかつ見るにいたるところのことを、真っ先に感じかつ見ることができる人として選ばれたということである。

 

 

 

「わが愛子(いとしご)、三前お前は死んでしまったのだ。その時わたしはお前をわがものとすることができたのだ。これこそ常々わたしがお前に話したいと思っていたところの事柄なのだ。こう書くとお前は何がなんだかわけがわからなくなって、あたりをぼんやり見廻しているね。

 

 

 

お前の心はモヤモヤになって苦しんでいるね、しかし愛するわが子よ、お前は三年前本当に死んだのだったよ。「三年前、お前は病院のベッドに横たわっていた。手術後すっかり衰弱して敗血症を起こしていたのたのだ。お前の肉体は死んでしまって、お前の魂は肉体を去ろうとしていた。

 

 

 

これは本当のことだよ、わたしはそれを断言する。神の祝福に賭けて誓ってもいい。「お前の病気の精確な状態をここに述べる必要はない。けれども、お前も、あの時のことを人に話す際に、「つまりあの時は僕というものが死んだ時ですよ」とよく冗談のようにいったものだ。

 

 

 

お前は本当のことを知らないで真実をしゃべらされていたのだ。なぜってお前はあの時本当に死んでしまって、肉体はすっかり駄目になっていたのだからな。

 

 

 

「だが、このことが事実であっても、そのことをなぜ、今お前の手でもってここに書かねばならないのか、お前は判断に苦しむだろう。お前は父の霊魂がなぞのようないい加減な余談を書いて、お前をたぶらかそうとしているのだと思うだろう。

 

 

 

しかしわたしにはお前にこれをどうしても書かさねばならぬわたしだけの理由があるのだ。お前はぜひ書かねばならない。わたしはお前にこれを命ずるのだ。やがておそらくお前はこの理由を理解するようになるだろう。お前は暗黙のうちに抵抗しているね。

 

 

 

しかしペンをしっかりとお前の指の間に握らせて、この事実を強制的に書かせる力はわたしだよ。これはお前の死と奇跡的の回復とについての誤りのない真実だよ。…

 

 

 

「お前はベッドの中に横たわり、お前の心臓の鼓動は止まっていた。お前は、ただの一人ぽっちだった。お前の死の床の側には一人の付き添いの女性が座っているきりだった。お前は死んでしまっていた。そしてまた息を吹き返して、熟睡して救われたのだ。

 

 

 

「わが愛する児よ。その夜こそは、お前の全生涯のうちで最も美わしい瞬間だったのだ。お前はそれを知らねばならぬ、全世界もまたそれを知らねばならぬ。

「その時何が起こっていたか。一人の若き婦人の胸のうちに、お前の死を悲しんで激しく波打つ心臓がそこにあった。

 

 

 

わたしは今それをあえて書く、また書くだけの価いがあるのだ。書け、お前はそれを書かねばならぬ、わたしはそれを命ずる!夜だった。星が出ていた。彼女は街の中を悲嘆で心臓を波打たせ、恐怖で胸の中をすすり上げながら走っていた。彼女の魂はお前を愛していたのだ。

 

 

 

彼女は神を知らなかった。彼女は最も単純な祈りを捧げたこともなかった。しかしその苦しみの中に彼女はわたしに呼びかけたのだ。彼女は、もう死んでいていくら呼んでも聞こえないはずだと心では思っているわたしの名を呼んだのだ。彼女は苦しみの中に、かってお前の父たりし人の名を呼んだのだ。

 

 

 

そして、あなたにできることならこの人を助けてください。どうぞ死にかけている彼のために、あなたに神様がおありなら、「その神様に祈ってください!」こう彼女はふるえながら、泣きながら、わたしの名を呼びつづけたのだ。

 

 

 

「愛するわが子よ!その時、わたしは彼女の呼び声をきいたのだ。わたしが今お前に書かせているところのことをよく読んで、神が現に生きていますことを心の底から信ぜよ。わたしは霊界から彼女の声を聞いた。

 

 

 

すでに地上の世界からは死んでしまっているこの父は、星の乱れ降る夜の街を心乱して走っている彼女のうったえる声を聞いたのだ。それでわたしはお前のところへ来たのだ。わたしはお前に魂を入れ、お前に生命の息を吹き込んだのだーわがいうところを傾聴せよ、そしてこれを全世界に伝えよ。

 

 

 

お前に生命を吹き込んだのはお前の父であったのだ。お前蘇生(よみがえ)った。「わたしお前のために作曲した小唄を低い声でお前の魂に歌って聞かせた。お前の魂を揺すぶり、柔らかくお前を眠りに誘なったのはわたしだ。

 

 

 

お前は自然の安らかな眠りを得、その眠りから覚めたときにはお前は蘇生っていたのである。お前の愛する友だちは病床の側に立っていた。お前は眼をさまして彼女の眼にたまっている涙を見た。お前は微笑んだ。涙が同じくお前の眼からも湧いてきた。

 

 

 

なぜなら神がお前の友達の愛の中に宿り給うて、お前に対して微笑んでい給うからである。彼女はお前の枕頭に立ちながら、その魂はお前の病床のうちに神の祝福の微笑みを見ていたのだった。

 

 

 

「お前はその翌日、友達から送ってくれた白い花を覚えているか。お前は決してその花の香り高い匂いを忘れはしないであろうその薫りこそは神の微笑みであったのだ。すべて愛から献げられた物の美しさは神の微笑みであり、愛を贈る者の微笑みは神の微笑みである。

 

 

 

お前は枕辺の花を見ながら彼女の手を自分の両手で握ってむせび泣かずにはいられなかった。なぜなら神はお前たち二人の者に祝福の微笑みを投げかけ給うたからである。

 

 

 

「愛するわが児よ、いとし子よ。その日からわたしはお前の魂に付き添うているのである。その日以後お前のなすことはわたしに導かれてきたのである。わたしは不思議に曲がりくねった道を辿って、お前をこの輝かしい日にまで導いてきたのである。

 

 

 

今こそわたしはお前の手をとってお前に囁(ささや)くよーいとし子よ、喜びに満たされよ。わたしお前に神秘の幕を破って神について教えるのだもの。わが児よ、喜びに泣き濡れよ。心臓よ、波打てよ。お前は全世界にこの輝かしい音ずれを宣のべ伝える使命を受けたのだー神は現にありありと存在し給う。

 

 

 

何人も神の微笑みを見ることができるのだー父より。」ペンはここまで書くと停止してしまった。

 

 

 

つづく

 

 

谷口雅春 著 「生命の實相第十巻」

 

 

 

★霊界も現象世界です。