今日の言葉
◯ 「夢」を打消せ
すべては霊である。何故ならすべて実在するものは、「神」とその「表現」とであるからである。神は完全であり調和であるから、完全であり調和であるものから不完全または不調和が表現されると云うことはあり得ないのである。それゆえ、神の最高の自己実現である人間が不完全になり不健康になっていると云うことはあり得ないのである。それが不完全になり不健康にあらわれているのは、「妄心」が夢を見ているのである。
あなたが不健康だったらそれは夢です。あなたの子供が不良だったらそれは夢です。あなたに職業がなかったら、それは夢です。あらゆる不完全なるものを心の中で「思念」によって「夢だ」「夢だ」と打消しなさい。そしてあなたの「実相」である完全さを既に「実在」であると、心の中で繰返し繰返し肯定なさい。実相世界の完全さに波長が合うまでその肯定が高調したとき実相の完全さが現実化します。
谷口雅春 著 「生活の知恵 365章」
◯ 今日は 「骨髓性白血病について」です
ある少年の、骨髄性白血病で鼻血が出てとまらないのを何とか癒したい希望の下に、全身の血液の交換輸血が試みられている事実が新聞紙とラジオとを賑わしたことがあるが、
私が木曾福島へ講習旅行をしたとき、ある子供が白血病で全身の皮膚から血を噴き出してとまらないで医師が絶望の宣告を下して、最後の頼みは宗教に依るほか仕方がないということになったと、長野県〇〇市の〇〇〇〇氏が招かれて往ったときの話をきいた。
〇〇〇〇氏は生命の實相の精神分析的観察によってこういって助言したのである。
人間には赤血球と白血球とがある。赤血球は赤いから陽である。陽は男だ。白血球は白いから陰である。陰は女だ。白血病に罹(かか)って白血球が過剰になって赤い血を皮膚の外へ逐(お)い出すというのは、夫婦の中で、陰である女性の勢力が旺(さか)んになって良人を剋(こく)している心のあらわれである。
だからこの子供の母親は、良人に対して絶対無我になって、唯ハイハイと随い、唯素直に良人に感謝する心にならねば救からぬと指導したのであった。
実際その家庭は婢天下(かかあてんか)であったのである。子供の母親はいたく感動し、みずからを反省して良人にわびたのである。間もなくその子供の出血は停まれり、白血病は完全に治ってしまったのであった。
これに似た病気で紫斑病(しはんびょう)というのがある。やはり血液成分の異常から、全身の皮膚に紫斑を生じ、高熱を発して皮膚から出血して死の転帰を見るのだそうである。
大阪駐在の生命の實相の講師故江藤嘉吉翁がまだ尚美堂という貴金属商をしていられた頃のことである。阪神間の有名なる医学博士S氏から電話が掛かって、「来て貰いたい」と言われる。
時計か貴金属のことででもあるかと思って問い訊す(ただ)すと、「娘が紫斑病で医学博士が三人立会っているけれども絶望状態である。その娘を救けたいから、精神指導に来て欲しい」ということであったのである。
江藤翁はS氏邸を訪問して病人を観察し、「肉体の中から血液が噴き出すのは、血肉相争っているところの近親者間の心の葛藤のあらわれであるから、その争いを反省して調和したら治る」と指導したのである。実はS氏は兄弟とも医学博士で、何かその兄弟の間に血肉相争う感情の衝突があったのだそうである。
S博士は大いにそれを反省して兄弟互いに心が調和すると共に、さしも重症であった紫斑病が治ってしまったのである。爾来S博士は生命の實相の信仰に入り、他で絶望だと宣告された患者にも無数の治験例を挙げているとのことである。S博士の氏名を伏せておいたのは医師の宣伝広告になっては可(い)かぬからと、家庭のことが多少関係しているからである。
谷口雅春 著 「美と健康の創造」
★ 明日で症状の宗教的分析は終わります。
実相から見れば病気は無いのである。これを縦の真理と言います。しかし現象的には病気があるように見えますこれを横の真理と言います。釈迦もキリストも病気は無いと縦の真理を説かれたが、釈迦、キリスト滅亡後だんだん縦の真理が弟子(悟る弟子がいなくなった)によって説かれなくなり、横の真理のみ因縁因果、因果応報、(お坊さんでも心で病気を治す人ほとんどいないのでは?)ばかりでしたが、谷口雅春先生がキリスト、釈迦と同じく、現象なし、物質なし、肉体なし、心もなしと縦の真理を再び説かれ奇跡的な事が続出しました。だから生命の實相を読んでいれば自分の心の間違いがわかり一人でに病気も問題も治るという事です。他人に頼る必要がないという事です。
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★ 再び霊界篇です!2017年(平成29年)9月29日に「差別心より観たる霊界の消息」ということで何回か連載で載せましたが、(頭注版生命の實相第九巻)興味のある方があるようですので、頭注版生命の實相第十巻より「平等心より観たる霊界の消息」を少し載せようと思います。
◎ 人間死語の秘密のトビラは開かれる
死とは何か、死んでから人間はどうなるのか、唯物論者のいうように、ただ単なる「灰」になってしまうのだろうか。もしそうであるならば、そこからはなんの創造も生まれず、希望も生き甲斐もない無軌道な生活があるだけです。「心霊科学」と聞くと、すぐインチキときめつける人が多いが、中には生命の永遠の不死を説いた秀(すぐ)れた学説と例証もあるのです。 本書は、欧米の権威ある実績を持つ心霊科学を紹介、霊界との密接な関係を現実生活にそくして詳解した画期的なものです。 谷口雅春著 生命の実相第9巻霊界篇上より
◯ 平等心より観たる霊界の消息
つづき
…… 途中省略 ……
それから後のある日、彼は数日の疑惑と苦悶とから起ち上がった。仕事をはじめねばならぬ。この考えは彼を勇気づけた。彼は先日までせっかく第五幕を書き続けていた戯曲を完成せしめようとして例のテーブルに対(む)かってペンをとった。しかし彼はペンをとると不思議に何も書けなかった。
妙な倦怠感が彼を襲って、ペンをとるまでの勇気や高揚した気持ちがすっかり消えてしまった。急に目に睡(ね)む気が来たように瞬(またた)いてあくびが出た。なぜこんなに仕事に気乗りがしないのであろうか。
ただの一分間でも惜しいほどに仕事が急がれるこの芝居の上演季節に、もう数日を無駄に過ごして来たことが彼にはまたとなく惜しく思われた。彼は気を引き立ててまたペンをとった。ペンが紙の上に行くとまた彼の手に妙なある操る力が外から加わった。
彼には誰かが来て自分の頸(くび)ねっこを引っつかんだようにも思われた。と、彼をとらえていた倦怠の感が急に消えた。前の日の時のような緊張が心によみがえってくるのを覚えた。彼のペンはいやでも応でも無理強いに彼の手を動かして次のようにしたためた。ー
「愛するわが子よ。
「わしはまた来たよ。お前はしばらく休養してまた勇気を回復した。お前の疑いも、もうほとんど全部なくなったようだ。お前はこのわし、というものをたんに神経作用だとも、とるにたらぬ詰まらない一時的現象だとも思わなくなったようだ。しかしねえお前、お前はわしを誤解している。
わしはお前の父だよ。お前の父がお前の頸(くび)のぼんのくぼのところに作用してお前の手にペンをぐっと握らせているのだ。どうだわかるか、このわしの力がわかるか。このペンを押しつけて弾きかえす音を聞け。お前はお前だけでこんな書き方ができると思うか。
お前の潜在意識にこんなことができると思うか、なんでもよい、ほかの機械的動力でこんなことができると思うか?ー」「否々、わが子よ。わしはお前の父なのだ。わしはお前の手の中に座を占めている。わしは十二年前と同様にこの世に生きていたときのように強健で真実な存在だよ。
お前はいま大きく眼を見ひらいて、部屋の周囲を凝視している。それだのにお前の手はこの手紙を書いておる。お前は頸と手の指とに強い痛みを感じている。
どうだ、お前がわしを信じないならばわしの力を見せようか。ほら、こんなに文字が太く書け出してきた。お前の腕は重いだろう。これがわかるか、ねえお前。」
ここまで書いてきたとき、マグナッセンの握っているペン軸がぽきりと折れてしまった。マグナッセンは仰天して魂もそぞろだった。彼は生まれて以来のはじめての経験にぶっつかたのだった。この現象は真実で疑いようがなかった。彼の膝はおののき、冷たい風がえり元から背筋へながれ込むように思われた。
彼はそれでも別のペン軸をとり出して、それを手にした。ペンが紙に触れるとそれは次のように書き出した。「どうだわかったろう!わしは、お前の握っているペン軸を折って見せた。もしお前がわしをそれでも信じないならば、こんなことぐらいは三番叟(さんばんそう)だ。
しかし、お前は信じているわしはお前の心の恐怖を見た。お前の背筋から流れ込む戦慄をも見たわたしはお前にただわしの力を見せればそれでたりたのだ。
ねえわが子よ、わしはわしは部屋の中をほっつきあるいてテーブルの脚を持ち上げ、自分の子供の腕の中で泣きくずれるようなセンチメンタルなガス体ではないんだよ。わしは霊だ。有力な霊だ。わしはお前の父の霊だ。
しかしこの世にいたときにお前がなつかしがっていたお前の父という肉体にやどっていたころのあのか弱い霊魂だったときとは、千倍も偉大な、千倍も強力な霊魂になっている。」「わしはお前のデスクを粉砕し、お前のテーブルを、木っ端微塵にしてしまうこともできるのだ。
わしを、救いをもとめて地上の親戚知己の周囲を、悲しげに飛びまわるべく来た弱い霊魂だと思うのは滑稽だ。それは見当違いだ。お前が想像したり空想したところとはすっかり異うぞ。わしがお前へ来たのはこの事実についての奥儀を語らんがためなのだ。」
「こういえば、ほかの人間に語ってならない霊界の神秘を話してくれると、お前は信じているようだ。ねぇ、そうだろう。わたしはお前の考えを読むことができるのだ。お前は霊にただしてたすねるにおよばない。なぜって霊はお前自身の考えをお前が意識するよりも前に知っているからだ。
わしは少しも霊界の秘密についてはお前に漏らすことはできない。またどんな霊でも人間には霊界の秘密をもらすものではないのだ。また人間に話してやっても霊界の秘密を理解するものではないのだ。人間の頭脳ではその神秘はわかるものではないのだ。」
「だが、お前の手にお前自身のものでない一つの力を現に感じている。そしてこの刹那、お前はそれがわしだということを知っている。わしは声でもありありと聞こえそうなほどのしっかりした書体で、しかも大文字で書いている。わしはお前のペンを通じて話すのだ。
わしの書き方があまりにに早いのでペンが紙に引っかかる。お前はこの奇跡をただあきれて諦視している。」「わが愛する子よ。わしはお前の父である。わしがお前を訪れるのは、地上に残した愛する子供に別れを惜しんで嘆くために来るのではないのである。
またお前の方がこの父を求めているから来たのでもないのである。なぜって、お前にはわしは必要でないからだ。わしがお前を愛するのは、わしがお前の父であるのと、わしが霊であるからだ。
わしがお前と別れていても嘆かないのは、わしはいつでもお前のたましいのうちに、おまえの思想のうちに自由にはいりこむことができるからだ。わしはお前の心のどんな奥底の秘密でも知っている。お前の生涯中一度でもお前の心をかすめた考えならわしの知らないものは一つもないのだ。
かくのごとき霊妙な性能をもっているのが霊の本性である。それをわしはお前に教えずにはいられないのだ。まだまだ教えることがたくさんある。お前はふつうの人々よりも多く真理を知るようになるだろう。わしはお前がわしの思想で考え、わしの思想で書くことができるように教えるつもりだ。」
このまえ、お前のところへ来たときに、わしは稲妻のように空中を飛来して、お前の思想の中に坐し、お前の手をもって書かしめているといったね。あれは本当だ。それは人間の霊魂の一種の特性であって、数百万マイルを一秒のうちに飛来し、その同じ秒のうちにもとの座に帰ることができるのだ。
わしは東京にいるかわいい芸者の頬をちょいと撫でておいて、次の一秒の後にお前の祖父のテーブルの脚のところへ来て音をたてることもできるのだ。こういえばいかにも神秘めかしく聞こえるでもあろうが、同時に興味深くお前は思っている。お前の唇に微笑みがのぼったのをわしは見ている。
真理は荘厳にしてまた愚かしきものである ー しかしこれは真理だ。この事柄について、わしはお前が今まで夢想だにしたことのないことをお前に教える。人間の霊は永遠である。霊は時間と空間とを超越している。霊はこの世の肉体を捨てて永遠の世界に移され、そこにて神をまのあたりに見るのである。
お前はまだ理解しえないにしても、今このことを知らなければならぬ。なぜならわれらは皆逝かねばならぬからだ。これは始めであり、終わりである。わが子よ、神は実在する。そして人間の霊は永遠で神聖であるのだ。
つづく
谷口雅春 著 「生命の實相第十巻」