今日の言葉

 

◯ 心の馬を支配せよ

 

 

肉体の症状に心を引っかからせてはなりません。症状を心に描いて、それに恐怖を集中していますと、心が描く通りに象(かたち)が現れると云う原則にしたがって病気が一層増悪するものです。

 

心が「馬」であり、「病気」と云う厄介な荷物を搬(はこ)んで来るのも、この「馬」ですから、「馬」さえあなたが支配したならば、「病気」と云う荷物を搬び去らせることができるのです。だから「心」に注意しなさい。

 

まだ人を憎む心が残っていないか、本当に天地一切のものに感謝する心になれているであろうか。まだ病気を実在だと思って恐怖していないだろうか。本当に明るい心になれているだろうか。

 

そして「実相」の完全さをのみ心に描いて、実相の完全さに自分の心の波長を合わすことができているだろ うかと反省して、実相の完全さに自分の心の波長を合わすように努力するがよいのです。

 

 

 

谷口雅春 著 「生活の知恵365章」

 

 

 

◎ 関節の疾患の精神分析

 

 

山口市の◯◯◯◯翁は当時七十二歳であった。二年前、山へ材木を伐(き)りに行ったとき、辷(すべ)って倒れて腰をしたたか打ったのである。その時は辛うじて起き上って家に帰り、痛む脚・腰を按摩に来て揉(も)んでもらったのであるが、七十二日間、起き上ることが出来なかった。

 

 

少し動けるようになったが腰が痛くて仕方がない。鍼(はり)を試み、灸を試みたけれども、どうしても治らなかった。そこで日赤の医者に診断して貰ったらレントゲン診断の結果、十三日目に、「どうじゃ、治らぬじやろう、三年来ても、これは絶対治らぬ。

 

 

まあ温泉療法だから、湯田の温泉へでも行って気長く養生することじゃ」と言われた。温泉宿に行っても経費がかかるので、ニヵ月ほど、自宅で毎日湯を沸かして湯の花を入れて入浴したがどうしても治らない。

 

 

或る人が、それは蜜蜂に螫(さ)させるのが好いというので、「何故、蜜蜂に螫させるのが好いのか」とたずねると、蜜蜂の毒素で、神経痛や関節炎の毒素と中和させるのだというのである。

 

 

それは蜜蜂を牛乳に浸(つ)けて、翅(は)が重くなって飛べぬようになったやつを羽根のところをつかまえて腰の痛むところへ螫させると好いというのである。一度に三十匹もの蜜蜂をとって来て螫させるので、中々それは痛い治療であるけれども、この療法をしばらくつづけてみても治らなかった。

 

 

そのうちに、腰がだんだん屈(かが)んで来た。ほとんど身体が真半分に折れるかのようにかがんで、歩くのには四つ這いにならぬと歩けぬようになった。自分は若い時から色々罪を犯して来たから、これはいよいよ畜生道に堕(おち)るのかも知れぬ。

 

 

生きながら動物のように四つ這いにならぬと歩けないのだ、と悲しんでいた。ほとんど歩けないから寝転んで小説を読み耽(ふけ)ったが、手に入る小説も全部読んでしまって、あとは退屈で仕方がない。

 

 

それで、娘に何か読む本はないか―とたずねると、娘は、いつの頃からか『生命の實相』を十冊買って来て読んでいた。そして「お父さんこれ読んでごらん」と言うから、それを三冊だけ読んだが治らぬ。というのは、意味をかみしめて読まないで、ただうわの空で読んでいたからである。

 

 

その頃、「田原さんのお宅で生命の實相の講演会があるからお父さん行って聴いて見さっしやい」と言うから、辛うじて杖にすがってその講演を聴きに行った。何しろ腰が伊勢海老のように曲ってしまったので着物の前の裾が地面に引ずるので、前の裾を切って貰っていた位だった。

 

 

その講演会で、真理は実践しなければならない。ーつ読んだらーつ実行する事だ。うわの空でいくら早く読んでも駄目だという意味の話をきいた。

 

 

そうだ、今度はー日に四、五頁しか読まないでも、よくかみしめてからそれを実行しようと考え、「天地一切のものと和解せよ」というところから読み直して、「和解するとは感謝することである」と読むと、その通りに実行することにした。

 

 

するとその年の秋のある日、夢にただ声だけで「お前の腰は伸びた。もう自由に歩ける」という声がきこえて目が覚めた。覚めて気がついてみると、今まで、海老のように屈(まが)った腰は仰向けに眠ることが出来なかったが、仰向けに眠っている。

 

 

そして起って歩いてみると杖なしに自由に歩けるのである。そして十五貫目もある肥料桶を自分ひとりで舁(かつ)いでも何ともなくなったのである。感謝は実行しなければならぬ。腰の関節だけではない。あらゆる関節は、人と人とのつながりが円滑に行かぬからで、感謝によって円滑にすれば治るのである。

 

 

 

谷口雅春 著 「美と健康の創造」

 

 

 

★ 本当に感謝の言葉「ありがとうございます」ですね!毎日1万回唱えて癌が治ったと言いますが、私の友人は数じゃないはずだと言いましたが、私は数えませんでしたが、問題解決しました!笑!

 

 

★ 明日は喘息の精神分析です。

 

 

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★ 「生命の實相第七巻」を掲載しています。「生命の實相」40巻の中でも、第一巻、第二巻、第七巻、初めての人に進める時の本です。特に第七巻は正しい生き方を生活に、行動に活かす方法が書いてありますので、ここまでブログ読んできたがもう一つ良くならないとかいう方がおられましたらこれからのブログ読んでいただければ納得され、改善されるのではと思います!(注 このブログは頭注版 生命の實相を使用しています。新しい生命の實相も出ていますので、巻の内容が違いますのでお間違えないように!)

 

 

 

 

◎ 朗(ほが)らかに笑って生きよ

 

 

つづき

 

 

諸君がもしある会社につとめていて事務所の単調な砂漠のような仕事の連続に飽きてきた時、もし、その仕事と仕事とのつながりに、ちよっとした洒落(しゃれ)、ジョーク、諧謔(かいぎゃく)などに触発されて哄笑が飛び散るならば、諸君は砂漠でオアシスを見いだしたように蘇生(よみがえ)って再び元気よく仕事に掛かれるであろう。

 

 

 

聡明な上役は、仕事の合い間に下役の気を引き立てるような罪のない諧謔を飛ばす。能率を望む実際家もまた笑いの効果を知らねばならない。

 

 

 

上手な教育家は生徒を時々ユーモラスな話で笑わせながら授業を進めて行く、それで生徒に喜ばれてかえって成績がよいのである。これらは皆、「生命の實相」の生き方であるのだ。

 

 

 

アブラハム・リンカーンは自分の机の隅に最近出版の笑話の本を常に置いていて、頭がつかれて来たり、気が欝(ふさ)いできたりするとそれを開いてその一節を読むことにしていたという。

 

 

 

上品なユーモア、たくみな頓知、無邪気な馬鹿話、悪気のない哄笑―これらは天が与えた自然の良薬である。それは心と心との摩擦に油を塗り、けわしい人生の難路(なんろ)に息ぬきを作ってくれる。諸君は人生の戦いに疲れきったときほど、いっそう多量にこの良薬を用いねばならぬ。

 

 

 

いつも、自由に快活に高らかに朗らかに笑える人は幸福である。諸君がもし不幸であるならば、そして「こんなに人生が悲しいのになんで自分が笑えるか」と言いたいようであるならば、諸君よー室にしりぞいて、まず鏡を見て笑え。

 

 

 

鏡に映った表情を見て、自分がまだ幸福の要素を多分にもっていることを強く心に印象せよ。そして重ねて笑え。声をたてて笑え。ウィリアム・ジェイムズ教授も言ったように、表情は心の表われであると同時に、心は逆に表情で支配されるのである。

 

 

 

悲しい時ほど笑わねばならぬ。笑いぬくとき悲しさは征服される。なぜあなたは悲しいか。もし人が自分に対して薄情であるがゆえに悲しいのであるならば、自分自身に何か暗い近寄り難(がた)い冷(つめ)たいものがあったためだと知らねばならぬ。

 

 

 

そしてその暗い冷たい近寄り難いある物は、どうしたら追い出(だ)せるか。その唯一の駆除薬は朗かな高笑いであることを知らねばならぬのだ。同じ道理で快活な、会って気持のよい性質はその人の社会的地位にも影響する。

 

 

 

有能な才人でしかも随分勉強家でありながら、一生成功しえないような人はクソ真面目な、四角四面な、笑いを少しも解しないような人が多い。人は必ずしも仕事だけをする機械ではないのである、人にはなんとなきその人特有の空気(雰囲気)が付随している。

 

 

 

その空気が別の仕事をする。その空気が一緒に働く人たち全体の空気を活き活きとさすことができれば、それはすでに大いなる仕事である。自分だけの仕事がいくら上手に運んでも、その人につきまとう空気のなんとなく冷たい暗い陰鬱(いんうつ)な人は、大いに笑いを稽古(けいこ)することによって、その陰鬱を払い去れ。

 

 

 

心に従って運命は転換してくる。心のわだかまりがとれるに従ってその人の健康はよくなる。境遇も良化してくる。周囲の人がおのずから善くしてくれるからである。

 

 

 

つづく

 

 

谷口雅春 著 「生命の實相第七巻」

 

 

 

 

★ 谷口雅春先生がまだ立教される前アメリカ系の何とかいうオイルカンパニー会社で翻訳の仕事をされていた時、その時は既に悟られておられたが現象にとらわれていたと書いてあります。先生が話されたり、手をかざしたりすると病人が治っていたので、会社の休み時間や会社が終わってから治しに行きたいが上司がくだらない話しをして行けない時、先生はくだらない話をして!こっちは病気で苦しんでいる人を助けてあげたいのにと思っていると必ず仕事でミスしたり、上司と上手くいかなかったりしたと生命の實相第二十巻自伝篇に書いてあります。

 

当時先生は近所の挨拶で「今日はお天気がいいですね!」と挨拶されると空を見ればわかるのに何でそういう事を言うのかと思われていたようです。それでそれは愛なんだ!知恵だけでは駄目だと、それを富士山に例えて高さ(縦の線)を知恵、裾野(横の広がり)を愛として知恵が勝ると、頂上に近ずくと愛がなくなり、愛が勝ると目クラの導きで迷わす事になる。「天気がいいですね!」は愛で心と心の潤滑油であると書いてあります。知恵と愛のバランス、人事所三相応ですね!