◇ 人間無病の原理
ー病気は人類意識の迷い ー
すべての癒す力は自己に宿る「生命」から来るのであり、他から来るのではない。他に頼るものは自己を視ないものである。生命は自己に宿る神であり霊であり、物質ではないのである
◎ 「病気は無い」という事の本当の意味
◯ 良人に真剣に詫びる
前回のあらすじ
「あんた病気なんてないですよ、人間は神の子だから」とこう言うんです。「ないちゅったってあるんですよ、お医者さんがピンセットに綿はさんでタンポをこしらえて、それを突込んでこうやったら、いくらでも水飴みたいに黄色い膿が出るんですよ、病気あるんです。現にこのように」◯◯◯◯さんがこう言いましたら、鎌田先生が「それは病気があるんじゃないですよ、病気があらわれているんですよ」こう言われた。「あらわれているのと、あるのとは違うんですよ。人間は神の子であって、病気は絶対無いんですよ、それが實相と云うものなのですよ。そういう風に膿が沢山出ているようにあらわれているのは現象で、それはあんたの『心の影』」があらわれているんですよ。『子供は親の心の鏡』と教え
られています。あんたね、“良人の言うこと絶対聞きたくない”と思っているでしょう。耳というものは“聞きたい”と云う心が拵(こしら)えた器官なんだ。それが“聞きたくない”と云う心になったら、“聞きたい”と云う心が拵えた器官をこわすことになるんですよ。あんた、母親がそういう心を持っているから、子供にそれが映って、そして、あんたの“聞きたくない心”があらわれとるのであって、病気があるのじゃないですぜ、あんたの心反省して、その“聞きたくない”と云う心を捨てたら、そしたらそんな耳の病気消えてしまうんですよ。あんた胸に手を置いてよく考えてそんな心捨てなさいよ」こう言われた。そして鎌田先生は電車を降りて行かれた。
つづき
上野きみいさんは自分も電車を降りて自分の家の方向へ歩いてゆきながら考えたのでした。
「鎌田先生の言われたのは当たっている。私は本当に良人の言う事断じて聞いてやるまいと決心しておった。
というのは良人は私の他に二人の女を拵えているんだもの。あんな良人の言うこと絶対聞いてやるものかとわたしが大決心をするのも無理ないんだけれども、わたしが、良人を赦さなかったら、この子供の耳は治らないかも知れない。
手術しても治るにきまっていない。或は生命(いのち)にかかわるかも知れない」
きみいさんは、こう思うと、どうしてもあの良人を赦さんならん。絶対聞きたくないっていう様な心を棄てんならん…とこう考え出したとき、常々鎌田先生が
良人が浮気をするのは、妻が良人に愛情を素直に捧げんならん時に素直に愛情を捧げず、にこやかに笑って良人に応答しなければならない時にふくれっ面をしておったり、「お前こうしてくれ」と言われても、素直にハイと立ち上がらなかったり、いろいろ良人に対して面白くない返答をしたり、やさしい温い愛情の表現の足りない時に、
そんな時に良人は妻の愛情に飢えて何処かに愛情の「闇売り」はないかいななと思って、ふらふらしているとそんなときに女にひっかかるんだ。
本妻の愛情と云うものは白米の銀飯みたいなもので、それは盡きないいい味をしているんだけれども、その愛情の配給が足りないとき、戦争中に白米の銀飯の配給が足りないとき、何処かに代用食はないかいなとうろつき廻っていると、代用食にぶつかったら、それに飛びついたように、本妻の愛情に飢えているとき、ほかの女にとびつくのだ。それが浮気したという様な形になるんだ。
その相手の女が一人で終わらないのは、それは矢張り代用食だからうどん食ってみたけれどもどうもお腹がくちくないと云う訳で、又別の代用食、「“しゅうまい”でも食ってみようか」という事になるんだと教えられた事があるんだ。
ああそうだ良人は本当は私を愛しているから、だから一人の女で我慢出来ないで又別に二人も拵えたり色々代用食食べたりするんだ。ああ良人が浮気するのは私が悪かった、ああ済まなかった。良人が帰ったらお詫びをしましょうと考えまして、上野きみいさんは、良人がお帰りになった時に、両手をついて、
「今迄あんたばかりが悪いんだと思っておりましたけれども、今日鎌田先生に逢って気がつきました。みんな私が悪いのでございます。これからいい妻にならせて頂きますから、どうぞ赦して下さい」
こう言って涙を流して本真剣にお詫びをしたんです。そうしたら良人は「ようそんな気になってくれたな、わしも悪かった」と言われましてね。それから夫婦の心が本当に調和したのでした。
翌朝になりますと、毎朝子供の枕の上に二合も流れておった黄色い液體がすっかり消えてしまっておりました。驚いたきみいさんが、
「お父さん、この耳もう治っとるようですよ。何にも出ないですよ」といいますと、「どれ、どれ」と、良人が来て子供の耳を調べて、
「あっ治っとるね、何も膿が出ないね。だけどもねお医者さんが骨膜まで冒されとるから手術せんならんおっしゃったんだろう。矢張りね、治った様に見えても、兎も角医者へ連れてゆきなさいよ」といわれた。
それで、きみいさんは子供を医者へ行って見てもらったけれど本当に治ってしまっておって、医者も驚いて「こんな不思議なことはない。
昨日あんなに悪かったのに、今日はスッカリよくなっている。しかし明日はどうなるかわからないから、治っとるように見えていても、1週間は診せに来なさいよ」といわれた。
それできみいさんは1週間、日赤病院の耳鼻科に通いましたけれども、再発しなかったと云うのであります。このように肉體にあらわれている病気は、心の影があらわれているので、實のすがたに於いては、病気は無いのであります。
谷口雅春 著 「人間無病の原理」(病気は無いという事の本当の意味 完)
★ 二人も女を作っていた!本当に許せないと思いますね!でもやはりそういう原因を作っているのも事実です。相手が悪い、私は正しいと思っている限りは問題も病気も解決しないという事ですね。夫も妻も頭が痛いですね!笑!自分がくやしい思いするのは、誰かにそういう同じ思いをさせたからだといいます。自分がやってない事は来ないという事ですね!笑!とにかく問題(癌だろうが難病だろうが)解決の急所は父母に感謝という事のようです。
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★ それでは正しい生き方という事で再び生命の實相第二巻のつづきに戻ります。
◎ 生命の実相第二巻實相篇(下)
◯ 神への道しるべ
つづき
かりにわれわれが絵を描こうと思って、絵に精神統一をしていますと、その精神集中力が磁石的な引力となって絵を完成するに必要な霊界の波動が、「類をもって集まる」または「類は類を招(よ)ぶ」という心の法則に従って集まってくるのであります。
絵でも文学でも発明でも皆同じことであります。インスピレーションというのが、霊界の波動を感受することをいうのであります。われわれのいう精神統一とはポカンとして無念無想になってしまうことではなく、一心不乱に一つのことに精神を純粋に集中することであります。
われわれは何よりも思わなくなるということは決してできないものでありまして、たとい表面の心がポカンとして何も考えていなくとも、奥底にあって「隠れている表面に浮かばない心」は一つの習慣的なリズム(調子)をもって常に活動しているのであります。
だからわたしはこの「隠れている心」を「習慣の心」といっているのであります。ラジオの受信機が波長の合った放送だけを感受するように、われわれの心の習慣的なリズムは、そのリズム相応の精神波動を霊界から感受し、それを現実世界の形あるものとするのであります。
だから心の習慣的リズムの清まり方しだいでわれわれは最高(いとたか)き神界(しんかい)から発するリズムにも感ずることもできるのであります。「心の清き者は神を見ることができる」というのはこのことをいったのであります。
心の習慣的リズムの清きものは神を見ることができますが、心の習慣的リズムが芸術家であるものは、霊界の大芸術家から放散するリズムを感受して、それを現実世界の芸術としてあらわすのであります。
ダッフェ女史の自動書記にあらわれた霊界旅行記には、霊界の大芸術家を感受していかにこの地上の芸術家が芸術を完成するかの手続きがかなり明瞭に示されてあります。
つづく
谷口雅春 著 「生命の實相第二巻」
★昨日佐川氏の国会での証人喚問があり各テレビ局全て国会中継でした。このブログではなるべく政治経済問題には触れないようにしていますが、正しい生き方という面から見ると現実を見ることも大切ですので少し書きます。谷口雅春先生は国を愛する事でもたくさんの著書を書いておられます。その中でも戦後日本の占領軍による日本弱体化政策について細く書いてあります。まず第一は憲法が占領憲法でこんなお粗末な憲法はないと、この憲法を維持してる限り日本は滅びるとまで書いてあります。とにかく自由、と民主主義という甘い言葉で日本精神がなくなり日本はクラゲ状態と書いてあり、戦後日本が共産化されようとしたのを食い止めたのも谷口雅春先生がハッキリ何がダメでこうしなければならないと示されたので何とか日本は再び良くなってきたと私は思っています。
昨日のテレビを少し見て思ったのは、日本のテレビ局がすべて中国によって脅かされているのではと思いましたね!あれで喜んでるのは中国、北朝鮮、韓国です。自民党安倍政権がしっかりして憲法改正をやると言っています。これをやられて一番困るのは中国なんかです。今日本はドラえもんのノビタ状態です。アメリカに頼らないと何もできないのです。だから安倍政権の揺さぶりと見ています。又佐川氏は官僚です。その前に文部省の前川氏という新宿の飲み屋の女性の実態を調べに行ったいう事務次官がいましたね!これは官僚の中が腐ってきているのではと思います。以前から日本の官僚こそ共産化そのものと言われいました。
自分達が国を動かしているのだ、自分達がいなれば大臣達も何もできない見たいな噂は出ていました。それから以前学生運動がありました。その時東大や有名大学の優秀な学生達は官僚や有名企業に行く事ができず、まだできたてのテレビ界やマスコミに流れて行ったようです。そういう人達がテレビ、マスコミ業界を握っているのも事実です。又中国、韓国、北朝鮮、の人達が官僚から、マスコミ、あらゆるところに入っている事も事実です。あまりこういう事書くと驚かれるかもしれませが、今までの日本の繁栄は戦前の教育(教育勅語)を受けて戦争で生き残った人達が政財界で頑張ってくれたお陰と思っています。今日本人は経済的には何とか恵まれていますが、考え方がバラバラで、個人の意見はあっていいのですが、人間として、国民として最低守らなければならない事があるのが、わからない、教えらていない、自由、自由、といって自分が儲けることはばかりのようで大丈夫だろうかと見ています。
谷口雅春先生は、日本を美人に例えて書いておられます。まわりは、ロシア、中国、北朝鮮、韓国、です。憲法には我々は周囲の国を信頼して軍備を持たないと書いてあります。雅春先生はどこに信頼できる国家がありますか?日本は美人です。美人の人が夜一人で歩いたら危ないでしょう。せめて拳銃でも手に持っていれば簡単には襲って来ないでしょう!と書かれています。昨日のテレビ見ていて思った事を書きました。