人間無病の原理
◎ 不調和な夫婦は簡単に別れてしまってよいか
◯ 人生はその人の考えた通りのものになる
石川達三氏は女性の“新らしいモラル”として、「神前で生涯の誓いをたてて結婚しても巧く行かない時は、三、四カ月で別れてしまうがよい。
この変化の激しい社会で三十年先の誓いを立てることはお伽話(とぎばなし)に近い。結婚は神とは無関係に人間と人間とが自由な意志で結びつくことなのだ。
各自の責任において気軽に結婚し、理由があれば気軽に離婚していいはずだ」という意味のことを「婦人公論」昭和三十七年四月号で発表して、異常な反響を呼んでいる。
次に掲げる事實は、結婚は当事者の努力によって幸福な生活を築いてゆくべきものであって、そこにこそ魂の進歩があり、創造の悦びがあり、真に築き上げられた家庭の幸福があることを明らかにしようとしたものである。
今年の五月、北海道の札幌で四日開の講習会がありましたときに住友◯◯鉱の◯◯◯◯さん(35歳)が次のような體験談をなさいました。
私は昭和二十一年に性格的に反対な夫と結婚いたしました。昭和三十年、夫も結核になり、わたしもお腹全體の結核に冒され、ふたり枕をならベて◯◯の病院に入院させていただきました。
その時、わたし達は地獄のどん底に堕(お)ちてしまいました。神も佛もないものだ、本当にわたし達は不幸な者だと思いました……
人生はその人の考えた通りに地獄にも極楽にもなるのであります。
◯◯◯◯さんの家庭が地獄のどん底の生活のような苦しい生活になったのは、神も佛もないからではないのであります。
「神も佛もない」と考えるような心が地獄のような世界をあらわす原因になるのであります。
この世界は「愛深き神によってつくられ、愛ふかき神によって護られている」ということを知り、
そう考えて、神に感謝するような気持を持ちつづけていましたら、
「その人の人生は、その人の思う通りの世界になる」のですから、
屹度(きっと)、愛ふかき神によって護られていると考えるに相応した、
善き幸福な世界があらわれて来ていたに相違ないのです。
ここが大切なところであります。
つづく
谷口雅春 著 「人間無病の原理」より
* すべてを癒やす道(藤原先生)
◎人生は神生なり
◯ 赤ちゃんは誰がつくるか
私のところに相談に来られる人はたいてい「どうしたら救われましょうか?」といって泣いてこられるのでありますが、私は「あなたはそれ以上にどうしてもらいたいのですか?どうしてもらったら救われたと思われるのですか?」と逆におたずねすることがあります。
どんなにしてもらっていても気がつかぬくらい困ったものはありません。
真昼間、日がカンカン照っていて明るいのに、目を閉じて光を見ないで「暗い、暗い」といって「どうしたら明るくなるでしょうか?」といっているようなものです。
よくよく考えてみますと救われていない人間なんて一人もいないのです。
一体神を離れ、神の恵みなくして地上に人間として生れ出ることが出来るでしょうか。先ず人生の根本から考えてみましょう。人生の一番の初まりは何でありましょうか。第一に人間の力で人間(子供)をつくることが出来るでしょうか。親の力で人間つくることが出来るでしょうか。もし゛自分の力で子供を造った゛などと思っておられたらそれこそ大変なまちがいであります。
私はよくお子様の問題で泣いて相談にこられる方に「そのお子様はあなたの子ではないですよ」と申しますと、「いいえ、私の子供でございます。もらい子じゃありません。私がうんで、私が育てて大きくしたのです」といわれますので「本当にあなたがお造りになったの?」とききますと「ええ、そうですよ」といわれる。
「それでは赤ちゃんが生まれたとき、かいい目の玉を二つもつけて出て来ますが、あの目玉いつ頃つくってはめてあげたのですか?」ときくと「そんなものつくるわけないでしょう!」と申されますので、「ああ、そうですか。それじゃ何を造ってあげたのですか?髪の毛をちゃんと生やして生まれてきますが、あれはいつ頃植えてあげたのですか?」ときくとまたも「そんなもの私が植えるわけないでしょう!」といわれる。…
何をたずねても「そんなことするわけないでしょう」といわれるので、「それではあなたは何一つして上げてないのですね」と申しますと…
あなたが造ったことになりませんね…
このように子供は造るものではなく授かるものなのです。人間以外の何ものかの力によって生まれ出るものである…
生命の實相では子供が授かり、子供が生まれるのは、まったく神業であり神意によるものであると教えられるのであります。
すべて神意によって始まった人生であることがよくおわかり頂けると思うのであります。
つづく
藤原敏之 著 「すべてを癒す道」より