◎ 占領憲法の非真理性とその影響
◯ 私は日本を愛する故に反体制に味方する( 昭和44年)
私は現在の日本の政治体制に反対しているものであります。それゆえに私は反体制論者であります。だから、その暴カ的行動には賛成できないが、若い人は敏感に現在の体制がアメリカ生まれの体制であり、押しつけられたヤルタ.ポツダム体制であり本来の日本の姿でないことを感じて、ジッとしておれない感じがして青年運動が暴発しているのだと思うのであります。
なぜ、私が現在の日本の政治体制に反対するかといいますと、それは真理に反しているからであります。そしてこの政治体制は日本人みずからが定めた政治体制ではなく、占領軍、特にアメリカ軍が原子爆弾という非常な不法兵器を使って、一時的に日本国民に抵抗の自由意志を喪失せしめた上、脅迫によって押しつけた現行の日本国憲法―すなわち"占領憲法゛がつくりあげた政治体制であるからです。
そしてこの憲法の下に成立している政権はアメリカ製憲法に基いて成立している仮相政権であり、日本建国の精神と、その伝統に基づいて成立している政権ではなく、アメリカ軍を背景とした幕府的存在でありますから、すみやかに自分の政権が「何」の上に立っているかを脚下照顧(きゃっかしょうこ)し、自悔自粛(じかいじしゅく)して、日本国本来の、国家統治の大権を皇祖皇宗(こうそこうそう)を通じて承(う)け給える天皇に、国家統治の大権を奉還すべきものであると信ずるのであります。
◯ 日本国憲法がニセモノの憲法である第一証拠
日本国民の中にも、むろん、今の偽造憲法をいつまでも護持したいと思っている人があります。それはちょうど、ニセ紙幣をたくさんもってそれからいつまでも恵福を得たいと思っている人は、ニセ紙幣と知りながら、「イヤこれはニセ紙幣ではない、本物の紙幣だ」と言いはって、それを通用させたがるのは当然のことであります。
しかし今の偽造憲法が、ニセモノであることは、第一その憲法には、われわれが祖先から使ってきた国号が使ってないことであります。われわれの国家は「大日本帝国」と称したのでありますが、このアメリカ作文の憲法には「日本国憲法」とあり、「大日本帝国」とは別の国号が使ってあるのであります。占領軍が日本を軽蔑する意味で、"大日本帝国"の“大“の字をとり去り、天皇を廃絶または呪詛する意味で"帝"の字をとり去り、国号をことさらに変更して、その憲法を作文したのでありますから、日本国憲法がわが国の憲法でないことは当然であります。このことは、現行の憲法がわが国の真の憲法ではない、ニセモノの憲法であるという第一の証拠であります。
◯ 時間の流れを停止せしめて成立した憲法
「日本国憲法」がホンモノのわが国の憲法ではなくニセモノ憲法である証拠の第二は、その憲法の制定が、明治憲法第七十三条の、「将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議二付スヘシ」とあるにかかわらず、
明治憲法を改正するにあたって帝国議会の議に付したということが書かれていないで、その憲法前文に、「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し…この憲法を確定する」と書いていることであります。
「帝国議会」の議に付さなければならないのを、「国会における代表者を通じて行動し」と書いているのであります。国会という名称は、占領軍作文の「日本国憲法」において定められている立法府でありまして、そんなところで、この憲法の制定が確定するなどということはあり得ないのであります。
もっとも、この偽憲法は、帝国議会の貴族院議員たちはこれを通過させないつもりであったのでありますが、正面から占領軍に反抗しては政治追放又は戦犯裁判に処せられるから、時間をかせいで、時間切れで審議未了で流してしまうつもりであったのであります。ところがいよいよ時間切れになるその日の午後十二時の五分前になりますと、帝国議会のすべての時計が全部停ってしまった。
むろん、これは議事の進行を見守っている占領軍が全の時計を止めてしまったのであります。これでいつまでたっても時間切れにはならない。このような乱暴な押しつけ又は強制によって、「日本国憲法」と称するアメリカ製作文は、形式だけは議会を通過したのであります。
◯ 西欧文明は「分割によって支配せよ」が原理
この日本国憲法は、当時それを作製したアメリカの意図は、日本国民をバラバラに分割して国民互いに内紛内争を起して、家庭を不調和にし、経済界を衰退せしめ、国内に階級闘争を激化せしめ、もって国力を疲弊せしめて、」いつまでも、日本を東洋の第四等国以下の状態に抑えておく計画だったのであります。
これは日本が最初に真珠湾を爆撃してアメリカの太平洋艦隊の大半を全滅させたーその復讐の意味もあったし、戦争中、日本軍が予想外に強くて、アメリカ軍を悩まし続けて来た、そういう強い戦力を再び持つことのできないようにしたいーそれゆえに日本国内の分裂を誘起するに適当な条項を、日本国憲法の中に織り込んでおくことにしたのであります。
それですから、その意図の結果が、今、実際にあらわれて来ているのでありまして、階級闘争は激化し、事業は、資本・経営・労働の三者一体であるとき栄えるのであるが、労務者が経営者を敵として闘い、敵と敵とが同じ事務所や工場で仕事をしている奇怪な光景を現出しています。
また学生は学長や教授会と相反目し、学生そのものがゲバ棒、投石、火焔瓶等をもって学校そのものの校舎、講堂、教室を破壊し、研究資料や勉学施設を破壊し、さらに街頭にまでも進出し停車場を焼打ちするような乱暴を働く。
家庭は父母と子供との間は分割されたままで相互断絶して、親の世代と子の世代との間には魂の対話はないのであります。老人は愛情の関係によって護られないで杜会保障という物質的施設の中にほうり込まれて、子供たちの世界から遮断され断絶したまま此の世を去って行くのであります。
◯ 今はまだ占領継続中である
「もう戦後ではない」という語が、最近よくきかれるのでありますが、占領憲法が横行して、それに支配されている間は、占領軍の精神に支配されているのでありますから、戦後どころかまだ戦中で、占領継続中なのであります。
ゲバ棒を振りまわして日本の大学や交通機関をマヒさせている大学生は、この占領軍の占領憲法に指嗾(しそう)せられて日本破壊、日本弱体化のために活動しているのであります。
私が日本の現在の政治体制に反対するというのは、現在の政治体制は占領軍の精神でできた憲法に支えられてできているから、いわば現在の政治体制は、占領軍の傀儡(かいらい)政治体制であるからであります。だからその政治体制の首班たる佐藤総理大臣が、「私の在任する限りこの憲法を改正しません」とたびたび言明するのは当然のことであります。もし佐藤総理が占領精神の延長でないならば、こんな「憲法の精神を守ります」などとは言わないに違いないのであります。
◯ 占領憲法のもつ欺瞞性
占領憲法には最初に、この憲法の趣旨を総括的にまとめた前文があって、その中には次のようなことが書かれているのであります。
「…ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権カは国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。」
第一、「主権が国民に存する」ことが人類普遍の原理ではないのであります。そして「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって…」など書かれていますが、実際は、今国政を行なっている者を信託していない人間がたくさんいるのであります。
それは野党の人たちであって、常に政府攻撃をして「自分たち国民はお前たちを信任しないぞ」叫んでいるのであります。だから「国政は国民の厳粛な信託によるものである」という憲法の文章は空文であるかウソが書いてあるのであって、決して「人類普遍の原理」でも何でもないのであります。
だいいち、国家の主権が国民に存するということが日本国家においては真理ではないのであります。
◯ 国家に統一意思はなく内戦を孕む民主政治
占領軍が上陸して来て日本弱体化の政策を遂行するにあたって、第一に行なったことは、日本国家を「生きている生命体」で置くときは、日本は復活するに相違ないというので、生命体の中枢と部分とのつながりを断絶することにしたのである。
つまり心臓は心臓だけの中枢で動けばよいのであって、生命の中枢が部分を支配する権限を奪ってしまったことである。
大学を例にとってみても、大学は自治であって、警察力はその中に介入することはできない、国家財産である東大の校舎がどんなにあらされても、国家はそれに介入することができない。国家は大学の費用を出すだけであって、その大学内で、「革命」即ち「国家をつぶす学」の研究や教授が行なわれていても、その学の内容に干渉することはできない。こうして国家は一個の生命体ではなく、目的を異にするバラバラの団体が群居している聚落(しゅうらく)にすぎないことになってしまっているのが日本国の現状である。
民主主義政体というものは、それは国民各自の福利のための組合であるから、国家を形成するすべての階級、団体及び個人の利害が一致する時にのみ平和であるけれども、もしその利害が衝突することになれば、国内は分裂して内戦にまで発展する危険があり、日本の現状は今やその徴侯を孕んでいるのである。
◯ 個性ある伝統を剥奪された国はすでに植民地である
すべての高級な生命体には個性があるのである。生命の個性ある顕現の歴史的文化的発展がいわゆる伝統というものであって、単なる民族の習慣とか゛しきたり"とかいうものではないのである。
国家は生命体であるから、歴史を通じてその個性ある表現をつづける。その伝統を破壊することは国家という生命体の個性を破壊されるということになる。
国家とその文化とが個性を剥奪されて、外国のそれを押し付けられたとき、その国家は仮りに独立国の体面を保っているにしても、その国の内容は植民地であり、その国の文化は植民地文化となったのである。
その国の文化の中には、その国独得の政治形態が含まれていること無論である。政治形態を占領軍に押しつけられた時、日本はアメリカの殖民地になったので
ある。それが今もなおつづいているのが日本の現体制民主政治であるのである。私は反体制であるというのは、そういう意味においてである。
つづく
谷口雅春 著 「私の日本国憲法論」より
◯ 迷妄の自壊作用
私たちが「人間神の子・本来無病」の"縦の真理"を知り、「唯心所現」の"横の真理"によって心の悩みを解きほぐして行くに随って、迷妄の根の浅いものである場合には、速やかに症状が消え去るのであるけれども、それが迷妄の根が深いものである場合には、一見その症状が悪化したように見えることがある。
そんな時に驚いてはならないのである。それは迷妄の上に築き上げられたる高層建築のような重い慢性的な病気は、その迷妄の基礎工事がくずれ去ると共に、大いなる音を立てて崩れ落ちる。その崩れ落ちる大音響や、崩れ落ちた残骸の堆積は、以前のそのままで病気の建物が建っていた時よりも、混沌としたいやらしい光景を呈するのである。
これが迷妄の自壊せる徴候である。自然の浄化作用によって、その崩れ落ちた自壊の残骸が搬び去られるまでは、尚しばらくその症状はつづくのであるけれども、自壊作用そのものは、病気の精神的基礎が崩れた証拠であるから、もうその時「病気は消えた」と宣言してもよいのである。
谷口雅春 著 「生活の知恵365章」より