無門關解釈第一則 

 

 

つづき

 

解釋

 

 

そこで祖師(そし)の置いた關所(せきしょ)とは「無(む)」の關所である。

 

 

 

「如何(いか)なるか是祖師(これそし)の關(くわん)、只者(ただこ)の一箇(こ)の無の字、乃(すなは)ち宗門(しゅうもん)の一關(いつくわん)なり。遂(つひ)にこれを目(なづ)けて禅宗無門關(ぜんしゅうむもんくわん)と曰(い)ふ」のがそれである。

 

 

 

そこで吾々(われわれ)は此の「無」の關所を透過(とうくわ)しなければならぬのである。關所であるから、關所に引っかかつてゐるものでは駄目である。

 

 

 

師はない、恩はない、君はない、忠義もない、親もない、孝もないー その「無い」に止(とどま)ってゐるものは「無」の關所を透過したものではない ー

 

 

 

斯(か)う云ふ「虚無(きょむ)」に引っかかつてゐる者(もの)を虚無主義(ニヒリズム)と云ふ。それは「無」のところに引掛り「無」に低徊(ていくわい)してゐるものであって、「無」を透得過した者ではない。

 

 

 

「無」は眞理に到る關門であつて眞理そのものではない。「無」を通過して來(こ)なければ、「實(じつ)」に到ることは出來ない。

 

 

 

「無」を透得過したとき「實」の世界、眞理の世界に於(おい)て、趙州和尚(でうしうをしやう)に相見(あひまみ)えるのみならず、歴代の祖師と互に手を把(と)り、眉(まゆ)と眉と相結ぶほど親しく、一心同體になって、眞理を把握することが出來る、

 

 

 

何と樂しい慶(よろこ)ばしいことではないかと云ふのが、「透得過する者は但(た)だ親しく趙州(でうしう)に見(まみ)ゆるのみにあらず、便(すなは)ち歴代の祖師と、手を把って共に行き、眉毛厮結(びまうあひむす)んで、同一眼(どういつげん)に見、同一耳(どういつに)に聞(もん)すべし。豈(あ)に慶快(けいくわい)ならざらんや」である。

 

 

 

ところが「無」を通過し切らないで「無」に引かかってゐると大變(たいへん)な間違ひを生ずることがある。

 

 

 

「谷口先生は物質無し、肉體無(にくたいな)しと説いてゐるが、それなら谷口先生は何を食べて生きてゐるか。飯も湯水もどんな物質も食べずに半年位私の眼の前で生きてゐることを見せてくれたら、お前の云ふことは信じよう」と云ふやうな手紙を頂いたことがある。

 

 

 

これは「無(む)」に引掛って、百八十度囘轉(かいてん)して、今迄食うてゐるものを逆に食はなくなったことを想像しての質問である。

 

 

 

地方へ講師が出るときにも時々これと同じやうな質問を受けることが往々ある。栗原講師が山口懸へ講演旅行をしたときにも、これと同じ質問が出た。栗原講師もさる者!

 

 

 

「谷口先生は御飯をお喫(あが)りになるばかりでなく、ウンコもお垂(た)れになります。そしてウンコも神様である。ウンコが出るので生きられるとウンコを拜(おが)んでゐられますよ」と人を食った返事をしたと云ふことである。

 

 

 

だから「無」に捉(とら)へられたら、虚無主義(きょむしゆぎ)に陥(おちい)って、飯も食へず、ウンコもされず、空気も吸へず、入浴も出來ない。生活が行詰(ゆきづま)って、自由自在どころの騒ぎではない。

 

 

 

日本國さへも本來「無」だなどと、とんだ虚無主義や、無政府主義が生まれないとも限らない。

 

 

 

或(あ)る人の『無門關(むもんくわん)』の講義に「無は佛性(ぶちしやう)ばかりの話でない、狗子(くし)も無だ、問(と)うた僧も無だ、答えた趙州も無だ、僧(そう)の戴(いただ)く天も無だ、趙州の立つ地も無だ。

 

 

 

何のことはない。無の天地に、無の僧が問(とひ)を發(はつ)して無の趙州(でうしう)が無と答へたやうなもんだ。全(まつた)く無の世界だ、無の佛法だ」と云ってゐるが、その解説者の言はうとした眞義は知らぬが、

 

 

 

斯(か)う云ふ不完全な説明の仕方が、これまでどれほど今迄の佛教研究家を惑(まど)はして來たか知れない。これだけでは「無」を透得過してゐない。「無」を把住(はぢゅう)してゐるのである。

 

 

 

「汝の立つ地も無だ … 天地も無だ」それでは頭の惡いものは空執佛教(くうしふぶつけう)に堕(おち)いつて「日本國土も無だ…何の爲に自衛の必要か」となる惧(おそ)れがある。

 

 

 

だから「無」をいつまでも把握(はあく)してゐてはならない。

 

 

 

「無」は門關であるから、何處(どこ)までも通り越さなければならぬのである。

 

 

 

だから無門は云ふ「晝夜提撕(ちうやていぜい)して虚無(こむ)の會(ゑ)を作(な)すなかれ」と。「虚無(きょむ)」と、固定的に否定し終わった「無(む)」ではないのである。

 

 

 

それは流動する「無」であり、通過するを要する門關としての「無」である。それは「有る」と「無い」との相對的理會(さうたいてきりくわい)に立つた「無」ではない。

 

 

 

だから「有無(うむ)の會(ゑ)を作(な)すこと莫(なか)れ」と無門は云ってゐるのである。それは絶體絶命、熱鐵(ねってつ)の灼熱(しゃくねつ)せる團子(だんご)が咽喉(のど)につまつたやうに吐(は)けども吐くことが出來ない。

 

 

 

最初は熱いと感じてゐたが、その熱を感ずる感覺器官さへも焼けて了(しま)って熱いも冷たいも無い、ただそこに熱鐵(ねってつ)だけがある。

 

 

 

のがれる道はないーその儘(まま)受けるーその心境になると、従前(じゆうぜん)の惡知覺(あくちかく)がなくなって、苦しい熱鐵の團子(だんご)を呑(の)まされたと思ってゐた苦しい感覺がなくなる。

 

 

 

そして「久々(きうきう)に純熟(じゆんじゆく)して自然(じねん)に内外打成一片(ないげだじやういつぺん)」となる。受ける自分(内界(ないかい))と興(あた)へる外界(ぐわいかい)とが渾然熟(こんぜんじゅく)して一體(いったい)となる。

 

 

 

一體となるとき、その儘(まま)そこが極樂(ごくらく)であることが、喋(しやべ)らないでも唖子(おし)が夢を見て自得(じとく)するが如く自得するやうになるのである。

 

 

 

忠義とは苦しいもの、孝行とは面倒くさいもの、夫婦相和(さうわ)は退屈なものと思ってゐたのが、忠孝とは愉(たの)しいもの、孝行

とは悦(よろこ)ばしいもの、夫婦相和は樂(らく)なものであると其の儘(まま)素直に行へるやうになるのである。病氣なら病氣が消える。

 

 

 

つづく

 

谷口雅春先生 「無門関解釋」より

 

 

 

 

*  生命の實相30巻P290

 

生命の實相では「病気はない」と説き、また一方では「心で病気が治る」とも説きます。どういうわけですか?

 

「時代を超えた真理を知ろうとする者は、すべての宗教の中から、その時代色というものを脱色してその奥にある真理をつかまなければならないと共に、これを時代の人に、ある境遇の人に伝える場合には、それに相応するような対機説法を用いてゆかなくてはならないのであります。生命の實相の会員でも人に教えをお説きになる場合にはそんな心算(つもり)で説いてゆかなければならないのです。ある時には、「病気本来なし」と哲学的実在論によって単刀直入に病気の存在を否定する。またある時には病気があるということを否定しないで「病気もよいじゃありませんか。痛いのは治る働きですよ。その痛さに感謝なさいよ」こう言うこともある。これは悟りに導くための方便自在なのです。ある時はまた「あなたはお医者さんに行きなさいよ」と言うこともある。いろいろの相手に従っていろいろに説き方が変わってくるのです。あるー人に言ったことを横合いから観て、それがいつも真理であると思っているとまちがいなのです。真理には絶対的真理と相対的真理があります。

 

相対的真理というのはその時の相手にとって相応するように真理を薄めて説く。「病気が無い」というのは絶対的真理すなわち第一義諦で、「病気は心の持ら方で生ずる」というのは相対的真理であります。「心で病気が治る」というのも「薬で病気が治る」というのも相対的真理であります。相対的真理というものは、相手に從って、効果が変わってくるので、心でも薬でも病気が治らぬことがあるのもその理由によるのであります」

 

このように説かれ、なお次に精しく解明しておられますので、ぜひ続ききもお読みください。