つづき

 

 

◯ 国旗の図形は国家の運命を象徴する

 

 

 

国旗にその国の使命や「あり方」が象徴されているというのは、アメリカみたいにいろいろな人種が雑多に集まっている所では、その雑多の生命の象徴としてやっぱり星が澤山集まっているような星条旗をこしらえている。

 

 

 

もっとすぐれた美しい図案の国旗をこしらえてもよさそうなものですけれども、自然にああいう星条旗を国の象徴とするようになって来たというのは、肉眼には見えないところの国家の内部生命のあり方が、図形に象徴として現れて来ているのであります。

 

 

 

だから○を国家の象徴とする日本の国は、すべてのものを角立たずに、争そわずにまとめる。

 

 

 

しかも自分の中味は○(ゼロ)であって、何等の野心もない。

 

 

 

何等の野心もなくして、一切を包容するのであります。

 

 

 

外国精神は○く包容する精神ではなくて分割して仕切を設け、入れてやらんという精神である。

 

 

 

それは李承晩(りしょうばん)ラインの精神であり、北緯何度を境界線として朝鮮を分割する精神であり、ピョートル大帝湾の入口に線を引いて、「ここからは入れてやらん。あそこからは入れてやらん」という精神である。入れてやらん、というから争いが起こる。入れてやらんと言って互いに排斥しているから喧嘩になるのであります。

 

 

 

あの日米戦争の起こったのでも、その原因を遡ると、一番のもとは、日本人移民禁止法というのがアメリカに出来て、日本人は「入れてやらん」ということになった、日本の国は狭いのに、日本民族は「天(あめ)の益人(ますひと)」と大祓祝詞(おおはらいのりと)にありますとおり、盛んに人口が増加するのである。それで何處かに住地を求めねばならない。

 

 

 

地球は人類全體の住むようにつくられている。何もアメリカ人だけに神様がアメリカ大陸をこしらえたということはないのである。それは人類の共有である。

 

 

 

先にあの大陸へ行っておったからといったとて、餘っている地面が澤山あれば、後から行く人間にも譲ってもいい筈である。日本は人間が多くて困っているのに、同じ人類でありながら入れてやらんという。そういうことから争いが起こるというのは當然のことであります。

 

 

 

當時、日本は、アメリカで入れてやらんというから、支那の大陸へでも足を延ばさねばならんというので支那の大陸へ足をのばして、満州国をこしらえてそして日本の兄弟国として日本人が自由に移民出来る国をつくった。

 

 

 

すると日本が発展し過ぎるというのでアメリカが嫉妬心を起こして、「支那大陸へも入ったらいかんぞ」とアメリカが干渉する。

 

 

 

こうして日本人が自由に住むことのできる満州国をこしらえて支那大陸へ進出しておったのを、「みんな引っ込んでしまえ」とアメリカがいうものですから、それでは日本は死活の問題であるというので仕方がないから、力をもってしてでも人口を處理し得る地域に活路を開かねばならぬということになったのであります。

 

 

 

戦争の責任を日本になすり附けておりますけれども、戦争のもとはといったら地球の広漠たる部分を少数の人間が独占しようと思うからいかんのである。

地球は全人類のものである。それに目覚めることが平和の基であります。

 

 

 

 

 

◯ 衣食住にあらわれたる日本精神

 

 

 

日本は別に他国を奪おうというような野心はないのである。すべてのものを一つにまとめて中はカラッポの、○、の精神で野心も何もないのである。これが日本精神である。

 

 

 

だから日本人のこの精神のあらわれは衣食住、家具、什器にもあらわれています。日本人の考案した下駄というものは、「どんな者でも入れてやる」という日本人の包容精神のあらわれです。

 

 

 

どんな小さい足でもみんなそれを受け容れて履けるのです。子供でも大人の下駄をつっかけて履けるのです。そうかと思うと、大人でも子供の下駄をはいて、はけないということはないのであります。

 

 

 

これに反して、西洋人の考案した履物の靴はどうですか。ちょっと寸法が違うと、這入らなかったり、かかとが痛かったり、「これ以上入れてやらん」という差別排斥の心があらわれているのであります。皆形あるものは、形なき形の内部生命の表現であります。

 

 

 

その見地から西洋人の着物とを比較してみますと、西洋人が最初に考案した洋服というものを見ると、みんな腕は腕で別の袋をこしらえ、足は足で別の袋をこしらえ、胴は胴で別の袋をこしらえて、それをつぎ合わして着ている。

 

 

 

皆別々で、分割精神があらわれている。ところが、日本人の発明した着物は全體を一つに上から下へスポリと包む服装であります。

 

 

 

これは日本人の内部生命の實相というものが、すべてのものに角立たず、すべてのものを排斥せず、みんな大調和のうちに一つにまとめて、世界連邦のような、国々はそのまま個性をもって存続しながら、世界の国々が仲のよい家族になる。

 

 

 

即ち、八紘一宇の世界をつくるために盡力(じんりょく)するのが日本の使命であるのであります。

 

 

 

そこで、そういう日本の使命を持ったわが国がいよいよ国連に加盟できまして、非常任理事国になりまして、世界に對して発言権が出来て来たことは、日本の使命実現の機会が(いよいよ)近づいて来たことを示しております。

 

 

 

「政治の中心は東洋に移る」ということを、既に高級霊のヴェッテリニは一九一三年に豫言しているのでありまして、この豫言は出ているのでありますが、既に印度や中共やアジアに領土を半分有するソ連が外交上の発言権を多く持つようになって、この豫言は既に実現しているとも言えるのであります。

 

 

 

東洋民族の先進国と東洋のリーダーは日本の国である。

 

 

 

ということになって来ますと、いよいよ日本が世界の各国を一つ仲よき家族にまとめて、その運動の中心なって行かねばならぬ所の、その時期が近づいているのであるとも言えるのであります。

 

 

 

その時期はいつかはハッキリ判らない。併し、時の兆しというものはみればわかる。それが何月何日に来るかは「天の使いも誰も知るものなし。」「いちじくのたとえによりて之を学べ」とキリストはいっている。

 

 

 

「その木の枝が柔らかくふくらんで葉が開いて来たならば、夏が近いのであると知れ」とですね。

 

 

 

世界の様子を見ていると、大部、芽がふくらんで葉が柔らかく開いて来たような気がするのであります。ソ連が人工衛星を射ち上げ、大陸間弾道弾の成功をつたえるとアメリカは八千キロの目標に精確に命中したミサイル「スナーク」の成功と其後、大陸弾道弾アトラスの発射成功とを発表しています。(いよいよ)戦争が始まれば大変なことになります。既にそういう時になっているのです。

 

 

 

そこで日本が、世界平和の安定国として、○、の精神を発揮しなければならぬ時期が来ているのです。これを明らかにするのがこの生命の實相の使命であります。お釈迦さんが花をひねって弟子にこれを示されたのは、それの象徴なのであります。

 

 

 

日本皇室の御紋章が十六菊であるということは、釈尊の示された金波羅華(こんぱらげ)の秘密であります。

 

 

 

十六方向の国々が一つの中心に帰趨(きすう)して渾然一體となるーそうならせなければ、世界は原水爆戦で潰滅(かいめつ)す るほかはないのであります。

 

 

 

それで、この生命の實相の運動は、日本の使命実相を明らかにして、人類を本當の平和に導いて行くところの根本自覚を日本国民に興えるために神様が地上に下された運動でありますから、

 

 

 

ただ単に病気が治ったら、病院を退院するのと同じように生命の實相をやめるのでは生命の實相出現の本来の目的から外れているのであります。

 

 

 

病気も無論治ります。しかしそれは信仰の出口ではなく、入口なのであります。この運動を次から次へと傳えて、日本の使命を自覚せしめることが必要なのであります。

 

 

 

この生命の實相によって少しでもおかげを受けた人、物質的なおかげは受けないでも心の眼が開いた人は、ことごとくこの生命の實相の運動を、そういう国家的な運動に、人類的な運動に結 びつけて、生命の實相発祥の人類救済の根本目標に近づいて行かなければならないのであります。

 

 

 

日章旗及び十六菊の象徴するもの  ー(完)ー