○ 開腹したが切除不能と言われた癌が消えた

                                                                   サンパウロ   横山孝

 

 

 

「ブラジル最高柔道指導者、講道館七段の木原先生の奥さんが、一昨年十二月に病にたおれられましたので、私と家内が松尾先生の個人指導を受けられますようおすすめしたのであります。ところが木原先生はー向に受けつけて下さらない。

 

 

 

そのうちに病がだんだん悪化しまして、いよいよ子宮筋腫で手術をしなければならない、このままでは身体の方がもたないということになりました。その医者は木原先生の無二の親友、高桑さんという立派な医者で、絶対心配ない医者でありますからどうか手術をするようにと結着いたしまして私がお見舞いいたしました時に、もう明日はどうしても手術をしなければならんから、そのように手続をするからといわれました。

 

 

 

その時に私は、“木原先生!何とか明日もうー日待って下さい!,私が帰るまでは手術をしないでいて下さい”と言ったのであります。県からの派遣でサントスヘ来られる人があり、その人を明日出迎えに行かなければならなかったのです。“そうですか、もし手遅れならどうしますか?”

 

 

 

“木原先生!生命の實相は手遅れということは絶対にないのであります。病気は絶対に無いのであります。生命の實相ではいよいよ倒れたものが、医者から手を切られたものが、必ず立ちあがっておるのであります。ですから絶対手遅れということはないのであります”と私はいったのであります。

 

 

 

“それじゃ、そういうふうにしましようか?”

 

 

 

とおっしゃられますので、私は安心して家に帰りその次の日に池田ホテルで待ち合せることになりました。

私はその日十一時の自動車でサントスヘ行くことになっておったのでありますが、十一時になっても十二時になっても、一緒に行くはずの支部長も理事も来てくれない。“これは変だなあ”と思って私は家ヘ帰ったのであります。ところが支部長も川村理事も、私の店の方で待っておって、“もう行かれた”という手違いになってしまい、それで私はその日サントスヘ行かなくなったのであります。

 

 

 

それがみな神様の摂理であったのであります。

どうしてかというと、私がサントスで出迎えるベき船は十二時に着かなかった、その日の夕方に着いたので、私がサントスに行っていたらどうしてもサントスヘ泊らなければならないようになっておったのであります。そしたら翌朝木原先生の奥さんの入院していられる病院を訪問することができなかったはずだからです。

 

 

 

サントスヘ行かなくなった私は自分の家ヘ帰りますと、家内が、“さっき木原先生がまた来られて言われますのに、医者がどうしても手術しなければならないから、それで手術することになったから、どうすることもできない。ーぺん決意した以上私たちではどうすることもできないから、もう仕方がないとおっしゃられました”というのです。

 

 

 

では仕方がない。また明日の朝行ってみよう。ともかく今夜手術してくれる医者を菩薩様として安全にやっていただくようお祈りする事にしよう”

ということで、その晩私は自分の家で寝みました。

 

 

 

翌朝七時に病院ヘ私は駈けつけました。ところが奥さんがまだ手術台からおりてこないのです。もう少し待ってみよう、と約一時間以上待ちましたら、奥さんがおりてこられました。顔を見ましたら目を開いておられたので、やれやれと安心いたしました。

 

 

 

そしてしばらくたって、医者と日本人の看護婦がおりてきまして、

“ちよっとこっちヘ来て下さい”    と私たちを手招くのであります。それで私はハッと思ったのであります。

 

 

 

“ははあ、これは何かあるな”その時に医者が、

もうこれは手遅れであった。腹を切った所が、胃も腸も全部、癌で充満してしまって、手のつけようがない。もしこれを切ってしまったら、全部なげなければならんのだ。それはできない。もう救からん。切っても救からん、おいても救からん、もうこの六月まではもつまい”

 

 

 

というのであります。子官筋腫の診断で開腹してみたらそれは癌で、腹部全体にひろがっていたというのです。この時私が、“そうですか、それでお腹を切って中をどういうふうにしたのですか?”

 

 

 

“いや、お腹を切っただけだ。中は全部癌で充満している。その時に自分だけで誤診があってはいけないと思って、三人の医者を呼んで全部立会って貰って、それから診察して貰ったら、三人が三人ともこれはもう癌で充満していて手のつけようがない、手遅れになっているから駄目だ、というから、

 

 

 

あなたもあきらめて貰うより仕方がない”と医者がいうのです。日本人の看護婦が、本当にこの奥さんは綺麗な方で、お若いのに……というのです。その時、私は、

 

 

 

“この人には病気は無いんです。この人には絶対に病気はないのです。あなたは、この奥さんは気の毒だと言われるけれど、この奥さんは、まだ何十年生きられるか、あなた方は知りませんでしよう!まだ、この人は何十年生きられるか、あなた方にはわからないのです”

 

 

 

と言ったのです。そしたら、医者も、これはもう駄目だといったので、私が神経か何かの関係で、どうかしたのだな、と思ったらしく、コソコソ逃げて行きました。その時に私は木原先生に言ったのです。

 

 

 

“ね、木原先生!あなたは昨日、手遅れになった時はどうされますか、とおっしゃいましたが、もう今日はこれは手遅れですよ。これが人間の医者のいうことを信じておられましたら、もう本当に手遅れで、これで最後です。この六月まで奥さんは生きておられるんですよ、六月までですよ。

 

 

 

それがもしあなたが『病気本来無い』という神の言うことばを信じられるならば、これは奥さんはまだまだ生きられる。肉体は永遠ということはできないが、まだ二十年や三十年は、心配ない、奥さんは立派に起ちあがられる”

 

 

 

“それは、どういうわけですか?”

 

 

 

と木原先生はいわれるのでした。ともかく木原先生は、講道館七段、ブラジル最高段の師範で、ブラジルの最高の柔道界の指導者であります。パラナ州、リオグランデ州、アマゾン州、ミナス州―各方面の指導者です。各方面ヘ行って、さあ柔道の試合だといわれれば、全部指導される方であります。ただーつ私が念願といたしておりましたのは柔道をー緒に教えているのだから、伺とかして生命の實相に入っていただいて、生命の實相の精神で柔道を教えていただいたら、こんなよいことはないということであったのです。ところが生命の實相だけは私とー緒にしていただけなかった。だから私は残念だったんであります。

 

 

 

ところが丁度、その時は、木原先生の決意の時がきたのであります。医者がお腹を切って見て絶対駄目だといったのですから、木原先生はもうこれ以上は医者に頼ってはだめだ。どうすることもできない、やはり神に頼るよりは仕方がないということになったのです。そこで私は、

 

 

 

“これから私がいうのは、私がいうのじゃない、神様がいわせるんです。私のいうことを聞いください。神様がこう言わせるんだから、私一個が言うと思ったら間違いですから、聞いください”

 

 

 

といって私は生命の實相の説くところの人間神の子本来無病、夫婦が調和したところに子宮癌などは消えてしまうという話をしたのです。

 

 

 

ともかく先祖の霊(みたま)さんがこういうふうに導かれたんであります。ご先祖さんが導かれて私とともに柔道発展、柔道に生命の實相を織り込んで、ブラジル人、イギリス人、フランス人、―私の道場には各人種がおります―そのいろいろの人種や、ブラジルの各地ヘまわって、そして生命の實相の種を植えつけていただくのが、これが私の念願であって、それが達成されたと私は思ったのであります。

 

 

 

そして、もうこれ以上の話は自分の力ではだめなのだ、これから寺前先生にお願いして指導を受けていただこうと思いまして、ジャバクアラへ走りましてお願いしましたところ、“よろしい、それではすぐに行きましょう”とすぐ病院に駈けつけていただいて、約二時間にわたって、夫婦調和、ご先祖ヘの感謝―そういうことを全部指導していただいて、それから病院の中で二時間、ご先祖ヘの供養として『甘露の法雨』を読んでいただいたのであります。それからすぐに私はいいました。

 

 

 

“木原先生、もうこういう病気なんかあるんじゃないんだから、四日ばかりたったら病院を出ましょう。開腹のきず口さえ治ったら、ここを出ましょう。そして家で養生した方がいいから”

 

 

 

それから四日間たったら、私はすぐ迎えに来ました。そして奥さんは自宅ヘ帰られました。ーカ月、まあ色々の自壊作用も現われましたが、ーカ月後には木原さんの奥さんは完全に起たれたのであります。(拍手)

 

 

 

そしてそのーカ月後、ご先祖の供養をかねて、私の兄弟全部もまじり、親戚の人も近所の人も全部集まりまして、先祖供養、全快祝をかねてやったのであります。

 

 

 

その先生が今私のドン、ペイドロ道場で、講道館の柔道に生命の實相をおりこんで、一日に三百人という人間を指導して下さっているのであります。そしてその先生は今ここに来ておられます。奥さんも来ておられて講習を受けておられます…」

 

 

 

横山孝さんはここまで話すと、会場の後方三分の二程の位置に眼をやって指さすようにしながら、「木原先生!奥さん!どうぞ、お立ち下さい」と呼びかけると、立派な堂々とした体躯の木原先生と、やや窶(やつ)れた容貌の奥さんとが立たれました。すると横山孝さんが、「この方がブラジルの柔道最高指導者であります」と紹介します。木原先生は、感激で言葉もとぎれとぎれで、

 

 

 

「私は…先生…に救われました。これから、何干人、何万人という人間が、この生命の實相で救われると思うと、本当に嬉しくて、嬉しくて…ありがとうございます」と言われた。満場感激の拍手が嵐のように起こったのでありました。