◎ あらゆる人生苦の解決と実例

 

 

 

真理の治験例―1

 

 

 

わたしは多年の間、癌と肺結核とのために苦しんでいました。わたしはニューヨーク、ミネアポリス、ダリュース等、各地の名医という名医をたずねて診察をこうたけれども、けっきょく不治症との宣告を受けたのでした。

 

 

 

肺結核にかかっていた近隣の人が本を読んで治ったというので、その人が深切にもわたしにエディ夫人著の『真理と健康』という本を貸して下さった。わたしはそれを読んで興味を覚えているうちに、早くも三ヵ月にして癒されてしまったのです。この書がわたしに伝えてくれた真理がわたしを癒してくれたのでした。

 

 

 

ただに病気が治ったばかりでなく、わたしの精神状態全体が改造されてしまいました。それ以来十一年間というもの、わたしは一日も病床についたことはありません。この期間にわたしはずいぶんいろいろの体験に接しました。幾多の火のような試煉を通過しましたが、この恵まれた真理がわたしをしてそれに耐えさせてくれました。時にはわたしはただ一人で誰もわたしに味方してくれる者がないと思われるような時もありましたが、神が常にわたしと偕(とも)にいてくださいました。

 

 

 

わたしはここに無痛分娩の実例を書いておきたいと思います。それは、わたしがこのアイダホに来てからの体験です。このわたしの体験はこの種の「真理の治験例」を求めていられる愛姉(あいし)たちの励ましとなると思うので書かせていただきます。ここでは手助けをしてくれる人がありませんので産褥につく時まで家事に従事していましたが、完全に健康でした。

 

 

 

或る朝、午前五時にわたしは良人(おっと)を起こしました。午前五時半にはもう子供が生まれていました。わたしと良人とのほか誰も産む時にはいなかったのです。生まれた子供をかかえて暖炉のそばの椅子にかけているわたしを見て家族のほかの者はびっくりしました。息子が朝食を運んで来てくれましたのでウンとわたしは食べたものでです。昼食にはもう食堂に出かけて皆と一緒にたべました。第二日には室内を散歩し、第三日には庭園を散歩し、それから、最近まで三年間ズッと健康でおしています。これまで常に産科医のやっかいになって苦しみとおしてきたお産の経験あるわたしに奇跡のようなことです。真理を求めていられる愛姉たちにこれが参考となることを祈ります。(アイダホ州、リュースイストン市、F・C・C夫人)

 

 

 

 

真理の治験例―2

 

 

 

九年前のことです。わたしのひとり子は生死の境をさまようていました。ボストン市きっての名医は不治の宣告をくだして、もし死ななくても生涯病気に苦しみまたちんばになってしまうだろうといいました。

 

 

 

禁食品が多くて食べ物の種類はきわめてわずかに限らていました。注意に注意を加えていましても半日に一度は痙攣(ひきつけ)を起こしました。子供はまた佝僂病(くるびょう)にもかかって手足の骨が曲がっていまして、医者はこの子供の身体には普通人(ふつうじん)の骨はないのだといいました。 

 

 

 

わたしがはじめてクリスチャン・サイエンスのことを知った当時は子供が苦しんでいる最中で、わたしが失望の暗黒のどん底に沈んでいる時でした。救いの神のみ手が、或る人を通じて、神の真理が現代に演じつつある奇跡をきたりて見よ、という福音(ふくいん)をわたしにもたらしてくれたのでした。わたしは自分の子供を助けることができるためならばどんなことでもしたいと思っていたところでしたから、さっそくその招きに応じたのであります。

 

 

 

やがて金曜日の夕方、はじめてわたしはクリスチャン・サイエンスの集まりに列席しました。毎週のふつうの礼拝日であるにかかわらず、礼拝がはじまるまでに席はすっかり一杯になっていましたのでまず驚いたことでした。その席で、いろいろ病気の治った体験談をききました。……翌日治療をしてくださる先生のお宅をたずねましたが、あまりに諸方から患者に招ばれていらしってお目にかかることができませんでした。

 

 

 

わたしは前夜聞いた治病の体験談のうちに単に『真理と健康』の本を読んで治ったという人々の話を聴(き)き、この本を一部借りたいと思いましたが、この書を借りることが友だちにとってそんなに犠牲を払わしめることだろうとは夢にも思いおよばなかったのであります。ところが友だちにこの本を貸してくれといいますと、その友だちはまるで自分の生命に別れでもするようにその書と別れることを惜しみながら貸してくれたものです。

 

 

 

わたしは家にかえってこの書を昼も夜も読みました。黙って読んだり、声をあげて読んだりしました。わたしにはこの書はむずかしくて十分わからないような気がしました。しかしさっそく「真理の療能」があらわれはじめました。

 

 

 

痙攣(ひきつけ)で苦しんでいた子供が常態に復して、すぐ病床から離れて、他の子供と同じように家の周囲を跳び廻って遊ぶようになりました。ちょうどその頃、米国西部へはるばる移転せねばならぬような事情が突発しました。 

 

 

 

まだ「真理の道」に入って間もないわたしのことです。良人はこの旅行で子供の病気が後戻りをしないだろうか。と心配しました。しかし子供はますますよくなって行きました。わたしは間断なく聖書と『真理と健康』の真理の治験例などを読みました。

 

 

 

われわれは二週間の汽車旅行で、汽車に酔わない人といってはただわれわれ家族の者ばかりでした。子供の手足は完全にまっすぐになってしまいました。子供は欲しいものはなんでめ食べることができるようになり、それいらいもう数年間、どこも不足のない壮健な子供として暮しています。付近に激烈な伝染性の小児病がはやった時も彼は少しも感染せずにすみました。

 

 

 

わたしは数ヶ月間自分自身の多くの持病をかえりみる余裕なしに『真理と健康』の本を読みつづけました。わたしはがんらいあまり強壮ではなかったのです。医学の法則と遺伝の法則とを信じて不健康な生活をたどたどしく送っていたのです。わたしは『真理と健康』を読みはじめるちょうど前日、ボストンの有名な眼科医に眼の診断を受けました。眼科医はわたしの眼がひどい状態になっていると診断して、生涯眼鏡をかけていなければならないといったのです。

 

 

 

そのうちに『真理と健康』を読み始めたのでしたが、自分の眼に気がついたときには、眼鏡の必要がスッカリなくなっていました。この本を読んでいる間中わたしは夜となく昼となく眼を酷使し、いろいろ細い手仕事をも眼鏡をかけずにしたものです。

 

 

 

子供の病気をなおしたい一念で真理の本を読んでいますと、わたし自身の病気も全部なおってしまったのです。外にあらわれた病気はただ破壊されんがためのみに表面に浮かびあがってきたものでした。歯痛も起こらなくなり、知らず識(し)らず顔の斑点(しみ)までとれてしまいましたが、こんなことはわたしのえた魂の向上に比べればとるにたりない小事です。わたしは感謝に満ちた心で一切のものを受けています。(カリフォルニア州ロスアンゼルス、M・T・W夫人) 

 

 

 

 

 

真理の治験例ー3

 

 

 

ながい間わたしは耳と咽喉との病気に苦しんで、英国でも米国でも専門家の治療を受けましたが、少しもよくならずに悪くなる一方でした。ところがクリスチャン・サイエンスで治ったある人から『真理と健康』の本を買って研究するようにすすめられました。最初、わたしはいやいやながらに買ってみたのですが、五十ページも読んでいるうちにわたしの魂を解放する真理を発見したように感じました。それ以来わたしの病気は拭(ぬぐ)うようになり、二度と再発しなかったのであります。

 

 

 

先日、三歳になるわたしの娘が誤って肩の関節を脱いたのであります。その時家にいるのはわたしばかりでした。娘は激しく痛むので顔色は蒼白(まつさお)になっていました。わたしは極力心霊治療をやってみましたが、一方では誰かが来たらすぐ医者へ駆けつけてもらおうと思っていました。彼女はますます苦しみ激しく泣き叫びました。わたしは幼女の着物をぬがせて関節をはめこもうとしました。

 

 

 

しかしそれは患部の痛みを増させるばかりのでわたしはとうとう恐ろしくなりました。その時きらめくように、「お前は治療家がそばにいないときにどうしたら好いか考えよ。今この神の力と実在とを実証すべき時ではないか?」という考えが浮かびました…。

 

 

 

わたしは『真理と健康』の本を声高(こわだか)に読みはじめました。半時間もすると幼女は脱けた方の手を上げようとしだしましたが、また痛そうに叫んで顔を蒼白にしました。わたしはまた声高に読みつづけました。するとこんどは幼女はお菓子を口のところへもってゆこうとするのです。

 

 

 

なんと嬉しいではありませんか、脱(ぬ)けた方の手がほとんど口のところまで届いても痛みがないのです。わたしはなおも『真理と健康』を読みつづけていますと、わたしの妹が子供の二人の兄をつれて帰って来ました。幼女は兄弟が帰って来たのを見るとすっかり手の痛みを忘れてベッドから走り出て「わたしは腕をぬいて痛かったの。だけどお母さんが本を読んで治してくださったわ」と申しました。この出来事は午前十時から午後三時までのことであります。それきり幼女は何事もなかったように外で遊んでいました。(ウインペック市、W・G夫人)