③癌を克服した三つの記録

 

◎骨癌性肉腫癌も治る

 

私は『心と癌』(谷口雅春著・日本教文社刊)の中で、二十数例の癌の實例を挙げ、その中に大毎記者の○○氏の御子息の骨癌が片腕切断を行って一寸健康を快復したかに見えたが、身體の各部に癌細胞が転移して腫瘍をつくっていて至れりつくせりの医術的治療法の甲斐もなく昇天せられたことを紹介しておいたが、近頃、小児癌で死ぬ幼少年が多いのは、まことに悼(いた)ましいことである。

 

が、物質的方面からの治療では駄目であっても、肉體は単なる「物質」ではなく、“心の象徴”として“心の状態”をあらわしているのであり、幼少年の疾患の場合には両親の“心の状態”がその子供の肉體に象徴化してあらわれるので、両親が互いに調和し、互いに感謝の心に満たされ、先祖祀りを大切にし、癌という「ふくれる形」のものと同様の“不平の思い”を一切棄てて、天地一切のものに感謝するような心境になると、その骨癌も消えてしまうのであります。

 

その實例の一つとして次に掲げるのは、昭和四十四年、仙台市の公会堂で講習会があったときに、同市に住む○○さん(30歳)が次のような體験を発表なさったのであります。次にかかげるのはその體験談の録音であります。

 

皆様、有難うございます。(拍手)
谷口雅春先生の御前で、お禮の體験発表をさせて頂きます。
私が、この御教えに触れましたのは、五年前に近所に、前白鳩会長の○○さんが、引っ越して来られて間もなく、○○さんという方、に誘われたのが、縁でございました。

 

当時私は、主人に感謝出来ず、暗い気持で毎日を過ごして居りました。
お話をお聞きしたり、輪読会に参加したりして、“なるほど宗教とはこういういものかしら?とても良い教えだなあ”と思って、明るい気持になったこともありましたが、家の主人だけは、特別な人だから思って、どうしても主人にだけは、感謝することが出来ませんでした。

 

ところが、今年の一月のことです。突然一人っ子の五歳になる、晃一が左足の膝の上が腫(は)れまして、「痛い」と申します。
丁度、○○教化部長先生の、御指導がございましたので、主人は、「病院に連れて行け」と申しましたが、私は其方(そち)らの方には行かず、誌友会に行ったのでございます。誌友さんに話しましたら、「御主人の言いつけは聞きなさい!」と言われまして、直ぐ近くの開業医に行ったのでございます。

 

お医者さんに、「直ぐに大学病院に行くように」言われたので、“さては重病なのかな?”と思い乍(なが)ら大学病院の診察を受けましたところ「骨癌性肉腫という骨の癌だから、時を置かず、片足切断以外に、命の保証は出来ない」と言われたのです。 

 

その時の驚きと悲しみ、私はただ涙が、瀧のように流れるばかりでした。

 

直ぐ、“ああ、私の心の影だ”と思いましたが、どうしても“主人や、主人の両親に感謝すべきだ”と思っても感謝の気持が出て来ないのです。直ぐ平沢さんに相談しますと「お医者さんの言葉に動揺せず、ただ『實相』のみを見つづけて、『甘露の法雨』を一所懸命誦げるようにしなさい。天地一切のものに、感謝する以外にないのよ」と元気づけて下さいました。そして神癒祈願もお願いしました。

 

誌友さん達が、全員集団祈願を始めて下さいました。
しかし、病院では着々と手術の為の、準備が進んで参りますと、どうしてもそれに巻き込まれそうで居ても立ってもいられません。
私は、「生命の實相」以外に救われる道はないと思いまして、主人と二人で、本部の練成に行こうと決心したのでございます。

 

主人は初め、「宗教で病気が治るものか」と、反対でしたが、医者が「駄目だ!」と言うのですから、こうなっては仕方ありません。藁(わら)をも摑(つか)む思いで、賛成してくれました。

 

私共留守の間は、○○さんと、○○さん、それに○○さん、それに○○の誌友の全員の皆様が交替で、病院の子供を見て下さるし、夜は主人の父が「泊るから安心して行くように」と激励して下さいました。

 

私は、本当に誌友さん方の御愛念に、ただただ感謝の涙で、出発したのでございます。
車中での主人は、「生命の實相」のことは全然知りませんので「祈ってもらうのに、一週間もかかるのか」などと申して居りました。私はただ『甘露の法雨』を誦み統けて居りました。

 

昨年、清水さんという方が練成に行かれ、十八歳になる息子さんの、肺癌が治ったことを知っていましたので、“自分が悟れば晃ーも治るのだ”と思って真剣でございました。

 

私達は、六日目から受けたのでございますが、主人は神想観(座禅)が苦手のようで、その時間になると、渋い顔をしているようでしたが、御講話は、「素晴しい素晴しい、テープにとって置きたい勿體無い」としきりに残念がって居りました。

 

最後の日を迎えました時、私は主人と子供に対して懺悔(ざんげ)の涙が、止めどもなく溢れ落ちました。
主人も子供も、私を真理に導き下さる、観世音菩薩でございました。
帰りの汽車の中での主人は、弁当を買う時にも合掌、駅員さんにも合掌して「何もかも合掌する、素晴しい主人でございました。

 

練成から帰って、病院に行ってみますと、手術の日は、決っていました。
私共は又、○○さんに相談しましたら、「決断は御主人がなさるのですよ」と優しく言われました。
その言葉を聞いて主人は「生も死も神様の御心のままに」と言い、「切らない!」と決めたのでございます。

 

切断するという前日、主人はその旨を申し出ましたら、初めは「お子さんの為に、手術をなさるように」と勧めてくれましたが、何しろ主人の決心が固いものですから、暫(しばら)く考えていたそうですが、「私にも子供が居るので、その気持が分かります。他の方法がないこともないから、その方法を是非やってあげたい」と心をこめて、言って下さったそうでございます。

 

その時の主治医を、主人は、“ああ!神様の使いなんだなあ”と思わず合掌したそうです。
それで孑供の左足は、切断しない。主治医の、あれだけー所懸命になって下さる、お気持が嬉しくって、有難く冶療を受けることにしたのでございます。
それから、注射を1ヵ月程受け、コバルト放射を続けたのでございます。

 

その間には、他のベッドの方に神誌を差上げたり、看護婦さんにも、『生命の實相』を借りて行って、読んで下すったこともありました。毎日、體の衰弱程度を聞かれるのですが、副作用どころか、とても元気でございますし、子供の癌細胞は、増殖が激しいはずなのに、増殖は止まり、快方に向かっているのでございます。

 

一方、○○の留守宅では、一月以来誌友の皆様の集団祈願は、毎日十時より続けられ私も病院で同じ時間に致しました。教化部長先生も、共に祈って下さったり、○○先生も、雪の夜道に来て下さって、先祖供養をして下さいました。
ある時には、二十四時間続けて、誌友の方達が、『甘露の法雨』の読誦もして下さったこともあります。
父を初め、親類の人達も、見舞いに来ては、共に祈って下さったり、そして、この御教えの素晴しさに涙を流して下さったのです。それは五月の二十八日迄、毎日続けて下さいました。

 

切断しても、生命の保障をしてもらえなかった不治の病いも、この光の前には、消えたのでございます。
○○は本当に、この御教えの証(あかし)でございました。
今は、主人とも仲よく、「○○は観世音菩薩、貴方は神の子、世の光」と毎日感謝しているのでございます。

 

谷口雅春先生、本当に有難うございます。先生のお蔭様で私共は、このように救われました。教化部長先生はじめ諸先生方、そして御愛念項きました誌友の皆様方、本当に有難うございました。

 

この體験談でも、前(さき)の婦人の體験談と同じく、「夫にだけは感謝できなかった」という心境を述べておられます。戦前や戦中には小児癌などというものは殆ど全然聞かれなかったのでありますのに、戦後、幼少年の死亡統計によると、病気による死亡のうちトップにあるのが“癌”だということをきいて私は驚いているのであります。そして、その癌が、妻が夫に感謝できるようになり、先祖祀りを大切にし、聖経を誦げる…等々…の精神的な行事によって治療してしまう事実があらわれるのはどういう訳でしょうか。

 

戦後、アメリカ軍が上陸して占領憲法を押しつけ、男女の平等権を公公然と主張した結果、民主主義を早呑み込みした婦人が、婦権の拡張の思いから益々夫に対する感謝の念をわすれ、不平に「ふくれる思い」をいたずらに増大させた、その結果生じた精神状態が、肉體に象徴的表現をして、癌が殖え出したと結論できるのではないでしようか。何故なら、夫人の「ふくれる思い」がなくなり、「夫に対して、涙を滂沱(ぼうだ)と流して、前非を悔(く)い、懺悔し感謝するようになると、前掲の諸例に見るが如く、瘤(こぶ)や癌が消えているからであります。

(昭和46年5月)