(完) 人間は何のために生きているのであるか

 

そうすれば、いかに人間が苦労してこしらえた文明も一朝にして崩壊してしまうのである従ってこのような「もの」や「法則」をつくることが吾々人間の真の目的である筈はありません芸術家は、立派な作品を残すことがその使命なのではなく、そのような立派な作品を創造することによって、何ものか不滅なるものを一層あらわし出すのであります。

 

「作品」は彼の足跡であって、「彼自身」はそれをいつでもつくり出す事の出来る主人公である。そうしてその「彼自身」なる主人公は、肉体が滅んでも不滅であり地球が存在しなくなっても決してなくなることのない永遠に不死不滅なるところの「本当なる吾」であります。「真の個性」であります。

 

この「本当の吾」は、肉体がなくなっても地球がなくなっても、決してなくならないところの、不滅なる「生命」であって、これが丁度朝顔の種子が次第に発芽して大きな花をひらくように、現象面にひらいて表現されてくるのであります。

 

そのあらわれが「現象の吾」であり、従ってこの「現象の吾」は進歩発達し向上するのであります。それは朝顔の種子から芽をふいて来て次第に花が開くような風にして次第に進歩する。これは言い換えれば「人格の向上」であり「魂の発展」であります。

 

吾々人間は、この「魂の発展」を目標として生活しつつあるのであります。それは言いかえれば「本当の吾」があらわれることであります。そこで、吾々は何が尊いと言って、「人格の向上」くらい尊いものはない。色々の立派な絵や社会をあらわすのは、それによって内なる魂をみがく手段にすぎないのであり、その手段がそれ自体ある種の価値をもって、人間に貢献するのであります。

 

それは何故かと云うと真の彼自身が人々に貢献し「神」の知恵と愛とを実現しようとして努力したその心が、作品を通じて人々に伝わって来るからであります。そこで吾々は価値判断の規準を物より心へ、さらに外物より、内なる心へと求め、さらにそれが吾々に内在する生命にあるという結論が得られたのであります。

 

人生の目的はこの「本当の吾」をあらわし出すことであったのであります。吾々は内なる生命の規準によって、凡ての正しき価値判断を下すことが出来るのであります。

 

そうして神の普遍的な「知恵」と「愛」とが最も具体的にあらわれたところの「最大多数人に最大幸福を与える行動」が、吾々の追求すべき最も手近な目標である事がわかるのであります。

 

吾々は一人でも多くの人のためになる、愛ふかい、知恵あふるる行動をとらなければならないのであります。そこに人生の意義があり、人格向上の最短路を見出だすことが出来るのであります。


(完)