受働を主働に変える

困難に面したとき困難を如何に解決すべきかを考えるのはよい。それは受働を主働に変ずることによって、困難は自分を征服するところの力を失うのである。

 

 

日本武尊(やまとたけるのみこと)が賊軍と焼津の萱原(かやはら)に於いて戦ったとき賊軍は風上に陣しており尊(みこと)は風下に陣していたが、賊は萱原に火をつけて来た、朦々(もうもう)と火焔(かえん)は尊の軍勢に向つて襲いかかつて来たのである。このままでは尊は受身であった。

 

 

困難に面して唯受身であるばかりでは困難に征服されてしまう。尊の運命は進退ここに谷(きわ)まった状態に陥(おちい)ったのである。

そのとき日本武尊は、受働を変じて自分の背後の萱原に主働的に火をっけたのである。風は猛烈に吹いて来るので、尊の背後の萱は、後へ後へと燃えて往って、そこは空地となり、尊の前の萱も燃えつきて、もう焔(ほのを)は尊を害することはできなくなった。

 

 

その時急に風向きが変化して、賊軍の群がる萱原に焔がひろがって行き、賊はついに大火傷を負うて全軍潰滅するに到(いた)ったのである。受働を主働に変ずることによって、人生はこのように勝敗が逆転するのである。